帝国支配の本質とその統治構造!

トランプ時代を迎えた世界の緊迫した情勢を帝国をキーワードに把握し、世界及び日本の在り方を包括的に検討し、アメリカがアメリカファーストに走る状況下での日本、中国、中東、欧州の対応を構想する。 

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西洋の衝撃への対処の失敗がオスマン帝国崩壊=イスラム世界秩序解体に直結した!

      2018/10/25

オスマン帝国における近代化の動きは、帝国の根底を揺るがす徹底的過ぎる改革だったともいわれており、明治維新のように伝統を維持しつつ国家体制を変革することに失敗したために、帝国及びイスラム世界秩序の双方ともに崩壊することになった、との認識がある。

1.バルカン非ムスリム諸国民の独立とイスラム世界秩序=オスマン帝国の行く末
1)徹底的過ぎる改革がもたらす事態
2)危機に対処するオスマン帝国の柔軟性と根本的改革の遂行
3)バルカン喪失後のオスマン帝国の課題
2.バルカン非ムスリム諸国家喪失後の生き残り策を模索するオスマン帝国
1)帝国解体の危機への二様の対処策としてのイスラム的世界秩序回帰と近代国際体系への参加
2)ムスリム臣民内のアラブ民族意識の芽生えとトルコ主義の拡大
3.西洋の衝撃によるオスマン帝国の解体の流れ
1)ナショナリズムの高揚とイスラム的世界秩序の崩壊
2)オスマン帝国の疑似国民国家化への志向とその崩壊過程
3)イスラム世界の自己完結性の喪失とオスマン帝国のトルコネーションステート化

1.バルカン非ムスリム諸国民の独立とイスラム世界秩序=オスマン帝国の行く末

1)徹底的過ぎる改革がもたらす事態

ペレストロイカ
イスラム的世界帝国と言うのは、オスマン帝国の存立基盤であった。もっと広くとらえればイスラム世界一体化の成立基盤でもあったのではなかろうか。もともとイスラム的世界秩序の理念においては、「イスラムの家」の政治的統一が前提とされ、ムスリムの諸国家から構成される国際体系は全く想定していなかった(1)と言う点から観ても、徹底的過ぎる改革が帝国の存立基盤を犯して、逆に帝国の崩壊に導いてしまったのかもしれない。近年ではソ連を崩壊に導く遠因となったペレストロイカなども、このような例に当てはまるだろう。
ペレストロイカは、体制変換モデルを提起しながら、以下のような三重の矛盾を内包していたという。

①ペレストロイカは、ソビエト共産党の一党ヘゲモニーの堅持を意図しながら、市民社会の登場と成熟を前提とし、その歴史的所産であることを強調し続けていた。
②ペレストロイカが、社会主義経済システムの枠内での経済活性化の道を模索しながら、他方で資本主義的制度の多様な導入を画策していた。
③ペレストロイカは、本質的には国家=党の支配の中央集権的なメカニズムとしての「帝国」を維持しようとしながら、民主化・分権化を強調し、共和国主権を求める絶え間ない動きを引き出してしまった。(2)

このように改革の姿勢が、「帝国」の存立基盤を動揺させ、世論の大勢がそこになびいてしまうと、そういう動きをとどめることは困難であ
ろう。

2)危機に対処するオスマン帝国の柔軟性と根本的改革の遂行

ロマノフ王朝
とはいえオスマン帝国は、ソビエト社会主義共和国連邦のように突如として崩壊するようなことは無かった。あらゆる予想を裏切って、オスマン帝国はスペイン帝国、ジェノヴァ共和国、ヴェネツィア共和国、ポーランド選挙王国、神聖ローマ帝国、ブルボン王朝、ナポレオン王国、権力ある存在としての教皇庁やロマノフ王朝、ハプスブルグ帝国、ホーエンツォレルン帝国よりも長生きした。(3)
イスラム的世界帝国の根幹レベルからの改革を目指すと言う方針のもとで、1839年に「ギュルハネ勅書」が、1856年には「改革の勅
令」が出され、オスマン帝国の臣民は、その宗教に関わらずほぼ平等の権利を有することとなった。オスマン主義と呼ばれるこの方針は、イ
スラム的な伝統的帝国概念を根底から覆し、世俗的多民族国家としてのオスマン帝国の延命を目指す画期的なものであったが、ムスリム臣民には浸透したものの、非ムスリムのバルカン諸民族のナショナリズムや民族独立運動を抑え込むことには失敗し、オスマン帝国のイスラム的世界帝国から世俗的多民族国家への転換に至る道は閉された。(4)

3)バルカン喪失後のオスマン帝国の課題

ムスリム

このようにオスマン帝国は自らイスラム的世界帝国の本質を放棄し、世俗的多民族国家への転換を図りながらも、このような方針の直接の要因となったバルカン諸国をつなぎとめることには失敗してしまった。これにより、非ムスリムのキリスト教徒を主体とするバルカンの喪失がほぼ既定事実化してくると、今度はオスマン帝国にとってムスリム臣民を如何にしてつなぎとめて、帝国を維持していくかが課題となってくる。

2.バルカン非ムスリム諸国家喪失後の生き残り策を模索するオスマン帝国

1)帝国解体の危機への二様の対処策としてのイスラム的世界秩序回帰と近代国際体系への参加

正統カリフ時代
非ムスリムのバルカン諸民族の独立と外圧の高まりの中でオスマン帝国はその存立のためにいくつかの方策を探ったが、その一つは伝統的なイスラム的国際体系観に回帰し、イスラム世界の統一と全ムスリムの団結により危機に対処することであった。スルタン・カリフ制の理論を援用しつつ、オスマン帝国の君主としてのスルタンが同時に地上における預言者ムハンマドの代理人であるカリフとして、全世界のムスリムの指導者として君臨する、との考え方である。いま一つの方策はトルコ民族のナショナリズムを拠り所に近代的国際体系に参加し、ネーションステートの一員になるという考え方であり、これには大トルコ民族主義とアナトリアを中心とするネーションステートを形成しようとするトルコ主義とがあったが、これはトルコ主義へと徐々に収斂していった。(5)

2)ムスリム臣民内のアラブ民族意識の芽生えとトルコ主義の拡大

アナトリア

オスマン帝国におけるムスリム臣民は、トルコ人だけではない。元々オスマン帝国はイスラム世界の辺境の一帝国に過ぎなかった(6)ので
あり、マホメットの出自やメッカ・メジナの周辺民族を想起すれば、アラブ人の動きをここで確認しておく必要があるだろう。
ムスリム意識からトルコ人意識が出てき始めていた19世紀後半にはムスリム臣民のうちアラブ人にもアラブ人意識が芽生え、アラブ・ナショナリズムへと結実していくこととなった。このようなアラブナショナリズムの形成はイスラム世界の伝統的秩序観に決定的な亀裂をもたらした。またこれが近代西欧に由来するナショナリズムへの志向に対抗する、イスラム世界の伝統への回帰としてのパン・イスラム主義の発展を阻害する要素となった。(7)
同じムスリムのアラブ人からも離反されては、オスマン帝国の取るべき道は、アナトリアを中心とするネーション・ステートの形成をベースとするトルコ主義に収斂せざるを得なくなるだろう。

3.西洋の衝撃によるオスマン帝国の解体に向けた奔流

1)ナショナリズムの高揚とイスラム的世界秩序の崩壊

イスラム世界帝国

このように18世紀以降の西洋の衝撃によりイスラム世界における伝統的国際体系は、徐々に掘り崩されイスラム的世界帝国としてのオスマン帝国は解体に追い込まれていった。こうした世界帝国崩壊の過程で、ナショナリズムの高揚と主権平等のネーションステート形成に向けた流れが奔流のように噴出した。(8)

2)オスマン帝国の疑似国民国家化への志向とその崩壊過程

中華帝国
オスマン帝国はかつて民族と宗教の多様性のダイナミズムを誇る世界帝国としてイスラム世界及びバルカン半島を支配していたわけであるが、「西洋の衝撃」を受けてその多元的な支配構造を「疑似国民国家」化して西欧のリードする新しい世界システムに適応しようとした。
このような「疑似国民国家」に変質したのはオスマン帝国だけではなく、「中華帝国」も同時期に同じ様な対応を取っていた。(9)
「中華帝国」では「天の思想あるいは天下主義がいつのまにか明確な輪郭をともなった国民主義へと変質していた」。(10)ここで言う「天=天下」が中華エリアのベースであったが、清の時代に藩部を取り込んで大幅に拡大した「天下としての中華エリア」=「清朝最大版図」が、そのまま「国家領域」として受け入れられ、「天下の民」=「国民」=「中華民族」と捉えなおされることで非常に自然な形で「疑似国民国家」中華民国が誕生したと言えよう。そしてこの延長線上に現在の中華人民共和国も位置づけられるだろう。
他方オスマン帝国は、非ムスリムを抱え込んだイスラム的世界帝国の位置付けを、まずバルカン半島の非ムスリムの独立で喪失し、ムスリムを包括するイスラム的世界帝国の位置付けをアラブ民族主義の台頭で放棄し、究極的にはアナトリアをベースとするトルコ主義に純化した国民国家を選択することで、あらゆる「帝国」としての歴史に訣別したと言えよう。

3)イスラム世界の自己完結性の喪失とオスマン帝国のトルコネーションステート化

トルコ共和国

こうしてイスラム世界は、「西洋の衝撃」を被ることで、それまでの自己完結性を喪失して、グローバルシステムとしての近代国際体系の一部に組み込まれ、「中東」と呼ばれる一地域として再編成されることとなった。そうした動きの中で記述の通りオスマン帝国の中核たるトルコ民族もアナトリアを中心にトルコナショナリズムによって世俗的な近代西欧の方式をベースとしたトルコ共和国というネーションステートを成立させ今日に至っている。

尚、「西洋の衝撃」が、オスマン帝国に与えた影響を西欧キリスト教文明に対峙したイスラム世界帝国としてのオスマン帝国という見地から分析した以下のリンクもご参照ください。
西洋の衝撃で崩壊したオスマン帝国のようなイスラム世界秩序をトランプ政権は再建可能か?

<参考文献>
(1)鈴木董:イスラムの家からバベルの塔へ リブロポート 1993 第一章イスラム世界秩序 p25
(2)進藤榮一:ポストペレストロイカの世界像 筑摩書房 1992 ペレストロイカの本質 p61-p63
(3)アラン・パーマー:オスマン帝国衰亡史 中央公論社 1998 第三章チューリップ時代とその後 p57
(4)鈴木董:イスラムの家からバベルの塔へ リブロポート 1993 第一章イスラム世界秩序 p61-p62
(5)鈴木董:イスラムの家からバベルの塔へ リブロポート 1993 第一章イスラム世界秩序 p62-p63
(6)鈴木董:帝国とは何か 岩波書店 1997 多様性と開放性の帝国 p160
(7)鈴木董:イスラムの家からバベルの塔へ リブロポート 1993 第一章イスラム世界秩序 p64
(8)鈴木董:イスラムの家からバベルの塔へ リブロポート 1993 第二章「西洋の衝撃」とイスラム国際体系 p64
(9)山内昌之:帝国と国民 岩波書店 2004 序章 ひきさかれた帝国 p14
(10)村田雄二郎:帝国とは何か 岩波書店 1997  中国皇帝と天皇  p125-p126

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