⭕️アメリカをウェストファリア型国民国家に変容させようとするトランプ革命!

2023年6月14日

アメリカをウェストファリア型国民国家に変容させるトランプ路線と言う観点から、近代の国民国家を規定するウェストファリア体制の枠組みを再確認しながら、トランプ大統領が推進するバノン主義=アメリカファーストの影響で、これまでは単なる国民国家というよりも理想主義的、脱国民国家的、あるいは普遍的な価値観をベースとするグローバリズムが主流の特殊国家として屹立していたアメリカが、「地球温暖化対策からの離脱」「対中貿易戦争」「中東紛争地域からの撤退」などの戦略で徐々に普通の国として変容する在りようを検討していきたいと思います。
さらに、そのようなアメリカの戦略転換も踏まえ、「アントニオ・ネグリの帝国論」も援用しながら、トランプ大統領のバノン主義=アメリカファーストの根本的な意義を解明していきます。

アントニオ・ネグリによる「世界帝国」の概念

資本主義の進展による帝国の変質

ここでベースとなる考え方としてのアントニオ・ネグリの言う「帝国」とは、巨大な資本制システムそれ自体を指していています。このシステムは特定の国家や国民と言う枠を超えたもので「一種の機械装置」であり、特に命令中枢や末端の制御装置も存在しないものです。この「帝国」の捉え方は、いわゆる「近代の帝国」あるいは「帝国主義的な枠組み」とは異なります。「近代の帝国」の捉え方では、帝国主義=資本制システムというものは、国家と資本が合体して、国家の侵略と資本の侵略がほぼ一体としてなされるのが常態でした。これは国家の侵略を国の指導者が先導し、国民は高揚するナショナリズムに踊らされて、それに追随し、結果的に国民国家意識がさらに高まるような状況がベースにありました。
また資本の側においても財閥当主や企業の総帥と言ったような中枢指導層が、国家のトップと一体となって侵略を合議し推進するような中核権力の所在がはっきりした政治体制であったと言えるでしょう。(1)

機械装置のような新たな帝国の成立

そういう状況を踏まえてアントニオ・ネグリは、これまでの「国民国家」の延長線上での資本制システムについて取り上げるとともに、さらに現在それを超えるような巨大な資本制システムが「帝国」として成立しつつあることを描写しています。そして、その巨大な資本制システムを背景とする「帝国」は、機械装置のようなもので、命令を発する中枢機能も末端の制御装置も無いような存在で、近代の資本制システムを背景とする「国民国家」とは大きく相違するところがある、という認識を示しています。

それではまず近代西欧諸国の国民国家をベースとする体制が、どのようにして成立してきたかをそれ以前の中世のアナーキーな状況と対比させつつ確認してみましょう。

「世界帝国」以前の状況を支配した「国民国家」の枠組み

ヨーロッパにおける中世の秩序

国民国家をベースとする体制の基盤は、中世のアナーキーな支配状況を克服する過程で最終的に三十年戦争の講和条約であるウェストファリア条約で確立したと言えますが、それでは中世のアナーキーな支配状況とはどのようなものだったでしょうか。

中世の秩序としては、
・封建的な領主と家臣関係において支配が重層的なだけでなく、領域的にも広範な飛び地をもった支配や領主=支配者の頻繁な交替が可能であり、近代的な排他的主権、所有権が確立していない。
・自然な法、宗教、慣習により正統化された地域支配体制で教皇、皇帝などがそれぞれの秩序を支える組織を持っていた。(2)
すなわち、ウェストファリア条約以前の国際秩序の編成原理は、緩やかな「帝国」の原理とでもいうべきものであり、開かれたエリア内を帝国や教会、都市国家をベースにしたネットワークが多層的につないでおり、その主導権は理念上は世界全体を支配したいと考える帝国=古代ローマの後継を志向する「神聖ローマ帝国」や「ローマ教皇庁」が握ろうと努力し、イタリアの都市国家が経済ネットワークをコントロールするような体制でした。

ウェストファリア条約で確立した新たな国際秩序

これに対して三十年戦争後の1648年に戦後の講和条約としてウェストファリア条約が締結されました。
ウェストファリア条約で方向性が定まった国際秩序は、以下のように類型化されます。
・「国際法上の国家主権」の概念が重要な位置を獲得
・中世の教会のような国家より上位の権威を政治権力として否定(政教分離)
・外部の権力を認めず、領域内部の絶対権力を主張するウェストファリア型国家主権
尚、EUの所属国家は、「国際法上の国家主権」は維持しつつ、「ウェストファリア型」国家主権の一部を放棄しており、台湾は後者は維持しつつも前者の獲得は出来ないでいる、と考えてよいでしょう。このようにウェストファリア体制においては、中世的な「帝国」や「ローマ教皇庁」の主導権が後景に退き、主権国家群が新しいシステムを形成することとなりました。(3)

ここにおいて初めて主権国家の位置づけが固まり、領土と国民の範囲が明確になり、主権国家の側からは領土内での国民の安全や私的所有権を保障する意志が明確になった、ということになります。この流れから国家間の安定した外交関係や勢力均衡が模索され、対等な国家関係という観念がある程度までは定着していきます。(4)

ウェストファリア体制と植民地支配システムの終焉

このように中世から近代への転換を経る中で西欧諸国は、西欧の枠組みの中での比較的平和で安定した状況を確保しつつ、その他の地域を収奪するシステムを徐々に形成していくことになりました。
ところがネグリによれば、このようなウェストファリア体制は既に終わっている、という認識を提示しており、その論点は以下のようなものです。
ネグリによれば、「元来ウェストファリア体制に基づく勢力均衡や秩序維持の対象は、あくまでも欧州の範囲内であり、この枠外のアジア・アフリカにおいては欧州諸国は国際法に拘束されずに自由に侵略して良い、という暗黙の了解があった。これがいわゆる植民地と宗主国の関係の構築であり、これにより欧州諸国は搾取と収奪を基本とする植民地支配システムを完成させ、欧州における平和と秩序は維持されることとなった。(5)」ということです。

確かにこのようなダブルスタンダードな状況は、特に第二次世界大戦後のアジア・アフリカ諸国の独立までは顕著に存在していたと言えるでしょう。アジアにおいてはオスマン帝国はその中東エリアが主としてイギリスの植民地となり、インドもイギリスの植民地と化しました。また清国も領土割譲こそ香港、マカオにとどまりましたが、その経済権益を欧州列強や日本に奪われることとなりました。

ただし、植民地分割が完了し拡大する余地が無くなると、植民地の再分割に向けた帝国主義戦争が始まってしまいます。これにより欧州の国民国家同士の平和維持システムが破綻に瀕することとなりました。(6)
これも歴史に照らして観れば、第一次世界大戦などはその典型的な事例として挙げられます。この戦争は、後発国たるドイツが、英仏露の植民地獲得の先発国に挑んだ戦争という側面も濃厚でした。

国民国家のような主体の存在しない資本の拡大運動としての帝国

一方資本制システム自体は、国民国家がもっている主体的頭脳のようなものを欠いていて、無限に拡大しようと動くだけでいかなる力もこれに対抗することが出来ない、ということがあります。従って、資本はただただ拡大していくが、この過程で植民地と宗主国という関係を破壊せざるを得なくなってきます。その果てには、資本がフランスやドイツと言うような国民国家にまたがる多国籍企業という形態が出てきます。そうなってくると、本来互いが均衡関係を保つ単位であった国民国家が、それをまたぐ多国籍企業のような形態の進展により乗り越えられ包摂されて、均衡関係が崩壊してしまいます。このように国民国家という枠組みが掘り崩されるとその先には、国連の機能停止や国際法の意味の喪失につながっていくような事態があり得る、ということになります。(7)

「国民国家」による秩序を掘り崩す新たな世界秩序を巡る動きとトランプ革命の関係性

ナショナリズムを基盤とするウェストファリア体制に馴染まないアメリカ帝国

近代の国際秩序が国民国家の枠組みの中で、成立し一定の均衡状態を維持してきたのは、間違いないところです。そのような平和と安定の基盤が国民国家の枠を超える資本の動きの中で掘り崩され、形骸化しつつあるということですが、確かに多国籍企業の動きは国境を越えており、主権国家の領域内での絶対的な支配権も国境を越えてしまえばその動きを完全に捕捉することは困難になることは間違いないところでしょう。このような状況は広い意味で「古代ローマが実現」し「神聖ローマ帝国が憧憬」して果たせなかった「世界帝国の再生」とでも呼べるのかもしれません。国民国家により形成された「近代の帝国」の典型としての「国民帝国」(「植民地帝国」)とは相違する本格的な「世界帝国」がウェストファリア体制に続く新たな世界秩序として姿を現しつつある可能性もあるのです。

ここでいう「世界帝国の再生」を理解する場合のモデルとしてアメリカの存在を検討してみましょう。アメリカは国家成立当初より従来の西欧型国民国家の実態とはかけ離れており、元来「国民国家の要件」を欠いた存在であると言えるでしょう。アメリカの国家形成の原理は、民族的な基盤に基づくナショナリズムとは言えず、あくまでも「自由と民主主義」ということになりますが、これは国民国家的な次元の理念ではありません。すなわち、「自由と民主主義」を主体的に受け入れることが出来る人間であれば、たとえそれが元はどんな人種、民族、言語の人間であっても支障なくアメリカの国民になることが可能であるという原理です。このような原理及びそれに基づく国家とは、明らかに国民国家、ナショナリズムと言った要素を否定するものであり、もともとアメリカは脱ウェストファリア的な状況を志向する原理に基づく「特殊な国家」であった、と言えるでしょう。

脱ナショナリズムの普遍的な原理に基づく帝国としてのアメリカ

合衆国大統領であったジョージ・ブッシュ・ジュニアが21世紀初頭にリトアニアや東欧各国を歴訪して熱狂的に迎えられた時に現地で、イラク戦争に反対した独仏を「古い欧州だ」と切り捨てた発言があって注目されたことがありました。これは単にブッシュ・ネオコン政権の偏った発言という要素もあったものの、本質的にはウェストファリア型の国民国家原理に基づく西欧を牽制しつつ、元来「自由と民主主義」とは対立していたものの、ウェストファリア体制とは異なる「社会主義」という「普遍的な理念」に基づいて形成されていた東欧圏を取り込もうとした戦略的な発言であり、結果的にその戦略が一定の成功を収めたもの、とも言えるかもしれません。(8)(9)

すなわち、当時のアメリカは「社会主義」という普遍的な原理で成り立っていた東欧諸国を、ソ連の崩壊を機に新たに「自由と民主主義」という普遍的な原理で取り込み、その勢力圏を拡大した、とも言いかえることが出来たかも知れません。
またこの状況は、アメリカ一国の問題と言うよりも冷戦後の現代世界を全て呑み込もうとする「グローバリゼーション」や「資本主義の発展した段階」「市場原理主義」と言った現象を包括的に捉えて、「世界帝国の再生」現象の一端と描写出来たのかも知れなかったのです。

トランプ大統領のアメリカファーストによるグローバリズム,市場原理主義,資本主義への攻撃

しかるに、そのような普遍的な「自由と民主主義」という理念をベースに脱ナショナリズム的な観点から国家を成立させてきたはずのアメリカにトランプ大統領が誕生したのは、アメリカの建国以来の理念を根底から揺るがす衝撃的な変化、と言える気がしています。

すなわち、トランプ大統領の成功の要因は、アメリカを「自由と民主主義」という普遍的な原理に基づく特殊国家から、ナショナリズムに基づく国民国家の枠組みに再構成することにある程度成功した、ということにあるのではないか、というのが私の現時点での見立てになります。
この際、トランプ大統領が、本来国民国家としての由来を持ちにくいはずのアメリカにとってのナショナリズムの基盤に据えたのは、かつての偉大なアメリカ、すなわち第二次世界大戦に圧勝し繁栄を極めた戦後の1950年代頃のアメリカへの郷愁=ロマンチズムであり、そこに向かってアメリカを再生しようとする「Make America Great Again」というスローガンであった、ということになりましょうか。

そして、トランプ大統領の選挙運動においては、かつてのあの時の反映しセピア色の繁栄を謳歌していた時代のアメリカへの特に白人有権者の郷愁=ロマンチズムをかきたてることに全力を挙げることで票を掘り起こし、アメリカを一気にグローバリズム,市場原理主義,資本主義を基調とする普遍主義の特殊国家から、ナショナリズムに基づくアメリカ市民を第一に考えるアメリカ国民国家へと、その歴史的な枠組みまで再構成しようとしつつあるのではないか、と考えられます。

そのように考えると、トランプ大統領の出現は、ソ連・東欧圏の崩壊による20世紀後半の革命に匹敵する、ある意味では世界史的で革命的な事象と捉えることもできるのかもしれません。

そして、まさにこれは1930年代にヒトラーが、ドイツで行った政治運動と同一線上にある、とも言えるような気がします。
まさしく、トランプ大統領の出現は、ドイツ映画「帰ってきたヒトラー」が先取りした事態の現実バージョンとも見なせそうです。

尚、アメリカファーストの帰結として一部で想定されている、アメリカ版文化大革命と中国の文化大革命の関連性については以下のリンクで詳しく分析しています。

トランプのアメリカファースト路線でヒトラーの予言したアメリカの文化大革命的混乱状況が完成する!

参考文献
(1)的場昭弘:マルクスを再読する 五月書房 2004 第一章 アントニオ・ネグリの「帝国」の概念 p14
(2)杉原董:帝国の研究 名古屋大学出版会 2003 第4章 近代国際秩序の形成と展開 p141
(3)杉原董:帝国の研究 名古屋大学出版会 2003 第4章 近代国際秩序の形成と展開 p140
(4)杉原董:帝国の研究 名古屋大学出版会 2003 第4章 近代国際秩序の形成と展開 p141
(5)的場昭弘:マルクスを再読する 五月書房 2004 第一章 アントニオ・ネグリの「帝国」の概念 p16
(6)レーニン:帝国主義論「帝国主義の世界再分割」についての記述
(7)的場昭弘:マルクスを再読する 五月書房 2004 第一章 アントニオ・ネグリの「帝国」の概念 p17
(8)加々美光行:裸の共和国 世界書院 2010 第5章 大漢民族主義は超えられるか P203
(9)加々美光行:21世紀の世界政治3中国世界 筑摩書房 1999 第14章 覇権国家の諸類型 P149