帝国支配の本質とその統治構造!

トランプ時代を迎えた世界の緊迫した情勢を帝国をキーワードに把握し、世界及び日本の在り方を包括的に検討し、アメリカがアメリカファーストに走る状況下での日本、中国、中東、欧州の対応を構想する。 

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鄧小平,中国共産党が,なぜ天安門事件で民主化運動を武力弾圧しなければならなかったのかを解明!

      2018/09/16

天安門事件

天安門事件での民主化デモへの武力弾圧を経ても「安定」した支配を継続する中国共産党の統治原理について検討する。 

1.天安門事件に至る道程における「人民日報」の「動乱社説」の政治性
 1)「人民日報」に発表された「動乱社説」の主張
 2)「動乱社説」において明確にされた中国共産党による統治構造の枠組み
 3)中国共産党による政治の核心的原理の表面化
2.「動乱社説」後の天安門事件における「反革命暴乱武力鎮圧」への道程
 1)「動乱社説」後も盛り上がる「反体制的」な活動
 2)天安門事件に直結する中国共産党政権側の動き
 3)中国共産党側の「対話」拒否の姿勢
 4)武力鎮圧に直結する「戒厳令」の布告
3.日中で相違する治安維持のための実力行使の方法論
 1)日本の安保闘争の鎮圧方針と鄧小平体制の方針の相違
 2)中国における政権側の絶対的な統一権力の維持と貫徹への強い志向性
 3)中国共産党の本質的性格としての「民衆に依拠しない専制的な」方向性の明確化
4.中華世界大一統維持を最優先する中国共産党
 1)「暴徒の物理的排除」を超える中華天下統一維持のための「実力行使」
 2)皇帝専制時代から中国共産党一党独裁を通底する「帝国的権力」
5.天安門事件鎮圧における武力行使と中国共産党支配の正統性調達
 1)鄧小平体制の天安門事件での武力行使と人民大衆の認識
 2)中国共産党の統治方針の個人崇拝的方向性からの転換

1.天安門事件に至る道程における「人民日報」の「動乱社説」の政治性

人民日報,動乱社説

1)「人民日報」に発表された「動乱社説」の主張

天安門広場に市民,学生が集結し、各種の要求を掲げると言う未曽有の緊迫した状況の中で、「人民日報」が、いわゆる「動乱社説」を発表し(1989/4/26)、この中で、「胡耀邦追悼大会終了後に、下心をもったごく少数の者が、共産党の指導と社会制度反対を扇動し、一部の大学で不法組織を結成し、様々な活動やより大きな事件を起こそうとしたが、これは、明らかに計画的な陰謀であり、動乱である。その実質は、中国共産党の指導と社会主義制度を根本から否定することにあり、全党と全国各民族人民の前で行われた重大な政治闘争である」と主張した。(1)

2)「動乱社説」において明確にされた中国共産党による統治構造の枠組み

中国共産党

この「動乱社説」で取り上げられた、「党の指導と社会主義制度」は、中華人民共和国がその建国にあたり、まさに「国是」として選択した基本的な国家の枠組みであり、人民民主主義独裁として規定された。さらにマルクス・レーニン主義の前衛党理論に立脚し、中華世界の独立や統一を確保するナショナリズムの旗手として屹立する中国共産党を中核的存在とし、国家の政治の全てが中国共産党の指導のもとに行われるべきものとされていた。このような体制において、人民は日常生活の場でも全ての活動が、党のもとに組織化され、全ての運動が党の指導のもとに行われることとなり、これは現代に至るまで、現代の中華世界の政治構造の有りようの最も基本的な枠組みとして常に機能している。(2)

3)中国共産党による政治の核心的原理の表面化

中国共産党中央委員会

このように、「動乱社説」は、「中国共産党の指導や関与の範囲外の一切の組織、活動、運動を全て不法組織、体制への挑戦と看做す」と言う中国共産党政権の核心に存在する最も原理的な政治の有りようを、極めて明白に白日のもとに晒すこととなった。また共産党による一党独裁体制とは、どのような政治的な枠組みと政治構造を持つのか、ということを鮮明に映し出したものであったとも言えよう。(3)

2.「動乱社説」後の天安門事件における「反革命暴乱武力鎮圧」への道程

天安門事件222

1)「動乱社説」後も盛り上がる「反体制的」な活動

国家権力の中枢が、「動乱社説」と言う形で、中華人民共和国の在り方と中国共産党の存立基盤を明確に表明したことで、「天安門に集結した学生・知識人」は抜き差しならない立場に追い込まれることになったが、逆に「反体制的な活動」そのものは、五四運動の記念日を挟んで、百万人規模のデモの出現など、一層大規模な盛り上がりを見せる展開となった。

2)天安門事件に直結する中国共産党政権側の動き

天安門事件336

この後の展開のポイントは主として、2点取り上げることが出来るだろう。(4)

・第一は、共産党政権側が、「対話」要求に一切応じようとしなかったこと。
・第二は、実際のところ、学生知識人の「物価抑制、生活向上、官倒反対、民主と法制建設」は、政権のスローガンでもあったが、「治安回復」と「秩序維持」のために、人民を敵に回すことも厭わず「首都戒厳令」の布告に踏み切ったこと、である。

3)中国共産党側の「対話」拒否の姿勢

趙紫陽,対話

第一の政権側が「対話」を一切拒否する姿勢は、まさに「党の指導によらない不法組織を容認しない姿勢を貫いた」ということであり、「全国のあらゆる機関、組織、工場、団体における党の指導を体現する合法組織」の存立基盤を確保し、全国に遍く張り巡らされた共産党一党独裁体制の網の目を綻びさせないための措置であった、と言えよう。

4)武力鎮圧に直結する「戒厳令」の布告

第二の「戒厳令」布告に関しては、中国共産党政権が人民の側を向いているのか、あるいは体制維持を最優先するのかの試金石でもあったし、ここで「戒厳令」を選択することで、中国共産党政権の本質を明らかにするものであった、と言えるだろう。この「戒厳令」布告から「反革命暴乱武力鎮圧」までの距離は、ほんの一歩であった。

3.日中で相違する治安維持のための実力行使の方法論

安保闘争

1)日本の安保闘争の鎮圧方針と鄧小平体制の方針の相違

我が国の安保闘争においては、最終段階まで政権側に動員されたのは警視庁機動隊を中心とする警察権力のみであり、自衛隊による武力鎮圧が結果的になされなかったことは、国家権力の中枢部における日中の相違を象徴する出来事とも言えるのではないだろうか。
結局鄧小平体制は、学生・知識人との開かれた場での対話ではなく、物理的強制力による鎮圧を選択した。中国の歴史を辿ってみると、「国家制度の運用」「制度的手続きを含みこんだ政治過程の進行」というのは、統治権力にとって異質であった。鄧小平は、次のように語って統治権力の一元的掌握の強い決意を表明している。
「彼ら(今回の運動に参加した学生たち)は、憲法の中の民主主義、自由を用いて、われわれと闘争している」(5)「中国で、もしあなた方の三権分立や普通選挙制度を持ちこむならば、中国は必ずや動乱の局面になり、今日はこのデモ、明日はこのデモとなろう」(6)

2)中国における政権側の絶対的な統一権力の維持と貫徹への強い志向性

天安門事件221

中国においては、強固な一元的権力の貫徹が行われないと、潜在するアナーキー的な状況が噴出して大混乱に陥る、という危機感が政治指導者の共通認識であり、実際に統一権力が崩壊すると分裂割拠の有りようとなる、と言うのが歴史的事実でもあった。このような歴史的な経緯もあり、国家権力の側は常に絶対的な統一権力の維持と貫徹を志向してきたと言えようし、鄧小平の権力観もその延長線上にあったことは疑いないと思われる。(7)

3)中国共産党の本質的性格としての「民衆に依拠しない専制的な」方向性の明確化

中国共産党専制支配

中国において整備されてきた「憲法」やその中で規定された自由・民主主義はあくまでも「法の支配」のためのものではなく「法による支配」の正統性を支える存在ということになろうか。(「法制の確立」とは、むろん「法の支配」ではなかった。それは「何よりも法による支配」を意味していた」(8))
このような権力の在り方は、中国の政治風土に根ざしたものであり、「党の指導」の基本的根拠を構成するマルクス・レーニン主義の「前衛党」の意味、役割とは全く無縁のものであることは確かであり、むしろ伝統的かつ前近代的な専制権力の一つの態様を表出していた。(9)
ここに至って、中国共産党の権力中枢はギリギリの段階で、「民衆に依拠しない専制的な」性格を如実に明らかにした、と言えるだろう。

4.中華世界大一統維持を最優先する中国共産党

李世民

1)「暴徒の物理的排除」を超える中華天下統一維持のための「実力行使」

戒厳令布告から武力行使に至る15日間の過程において、一部では地方の人民解放軍部隊のデモ支持というような噂も流れていたが、このような中で軍閥割拠や分裂の可能性の排除は党指導部にとって至上命題であったろう。結局党指導部は予想される広範な人民大衆の批判の矢面に立つことや国際的なボイコットの動きのマイナス面よりも、天安門広場を制圧して国家を統一的に支配貫徹して秩序を維持することを最優先に決断を下した。天安門広場の武力制圧は、単なる「暴徒」の物理的排除ではなく、中華天下の統一維持を貫徹する伝統的専制権力の現れとしての権力の側からする力そのものの示唆であり、抵抗するあらゆる力に対する威嚇であり、非服従者に対する見せしめとなった。(10)

2)皇帝専制時代から中国共産党一党独裁を通底する「帝国的権力」

  
乾隆帝

六四天安門事件で行使された権力は、まずは「一党独裁権力」であり、「開発独裁権力」の要素も併せ持ち、さらにはそれが「伝統的専制権力」と結合された重層的な権力であったといえよう。(11) 
ここで立ち現れることとなった幾つかの権力の実態のうち、「伝統的専制権力」こそは、かつての皇帝専制時代から中国共産党一党独裁時代を一貫して流れる「帝国的な権力」の有りようを白のもとに晒したことになるだろう。中国共産党中枢部は、中華世界大一統維持のために、まさに「快刀乱麻を断つ」一撃に出たのである。

5.天安門事件鎮圧における武力行使と中国共産党支配の正統性調達

鄧小平333

1)鄧小平体制の天安門事件での武力行使と人民大衆の認識

鄧小平体制のこのような武力行使と言う選択が人民大衆の支持を受けるか否かは疑問であった。人民大衆は学生・知識人の自由と民主の要求は支持していないし、三権分立や多数政党主義なども考えてもいないが、中国の政治文化の徳治主義の伝統を踏まえれば武力行使と言う物理的強制力の発動にも批判的であった。天安門に集結した「暴徒」が特に人民大衆の生活を危険に陥れるものと断定出来ない以上、今回のような武力弾圧は体制の側にとっても一定の政治的打撃となったと言えよう。

2)中国共産党の統治方針の個人崇拝的方向性からの転換

江沢民

六四天安門事件後の動向として、毛沢東や鄧小平のような個人カリスマに頼った統治は困難になっており、党が指導の中心とならざるを得なくなってきているが、同時期のソ連・東欧の体制崩壊の影響もあり共産党の支配の正当性も急速に後退しつつあった。このような中で党が国民を指導する正統性の根拠としては、「愛国主義」と「天と自然の理」を社会主義に加える動きが観られた。

 ・「今日の中国においては、愛国主義と社会主義は本質的に統一されています」(12)
 ・「社会主義は中国の国情に合致し、人民の心から擁護されている。40年の風雨を経て、社会主義は神州の大地に根を下ろし、天を衝く大樹に成長し、葉を茂らせ、生気はつらつとしている」(13)

このように「天の理」「自然の理」が強調されている状況を観れば、中国における社会主義は西欧起源の原型が後景に退き、中国化あるいは中国伝統の徳治主義や「天の思想」が前面に復活しつつあることが窺えよう。

尚、本稿でも取り上げた天安門事件と中国共産党の方針については、以下のリンクでも詳しく取り扱っております。
天安門事件に至る国内状況及び鄧小平体制の支持基盤の解明!

<参考文献>
(1)人民日報 旗幟鮮明に動乱に反対せよ 1989/4/26
(2)野村浩一:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の権力と伝統 p185-p186 
   野村浩一:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の権力と伝統 p186-p187
(3)野村浩一:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の権力と伝統 p187
(4)野村浩一:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の権力と伝統 p192
(5)矢吹晋:チャイナクライシス 重要文献 第一巻 蒼蒼社1989 鄧小平講話 1989/4/25
(6)人民日報 1989/6/24 カーター元米大統領との談話 
(7)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第1章 中国の危機とは何か p13
(8)野村浩一:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の権力と伝統 P199
(9)野村浩一:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の権力と伝統 P199
(10)野村浩一:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の権力と伝統 p199
(11)野村浩一:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の権力と伝統 p199-p200
(12)江沢民演説 1989/9/29
(13)人民日報 1989/10/1

十全老人

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