帝国支配の本質とその統治構造!

トランプ時代を迎えた世界の緊迫した情勢を帝国をキーワードに把握し、世界及び日本の在り方を包括的に検討し、アメリカがアメリカファーストに走る状況下での日本、中国、中東、欧州の対応を構想する。 

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米中冷戦に突入した習近平の独裁は清朝の軍機処の現代版である中国共産党中央政治局常務委員会が基盤である。!

      2018/10/27

天安門楼上

軍機処

習近平は遂に2018年3月5日に開催された全国人民代表大会で国家主席の任期撤廃を盛り込んだ憲法修正案を発表し、実質的な中華帝国皇帝への道を歩み始めました。ここでは清朝の最高意思決定機関である軍機処の権限とその役割が、現代の中国共産党中央政治局常務員会に脈々と受け継がれていることを清朝極盛期の統治方式から解明していきます。

1.清朝皇帝のチベット仏教保護者としての意識
 1)清朝皇帝と従来の中華皇帝の意識の比較
 2)清朝皇帝の文化的立ち位置
 3)清朝に服属したモンゴル人やチベット人の中華文明への意識
 4)モンゴル・チベット・新疆に君臨する清朝皇帝の立場
2.清朝による中国内地以外の新領域支配の実相
 1)中国内地以外の新領域の支配状況
 2)大一統の原則と礼部、藩部の統治論理
 3)清朝の対外関係の論理
3.清朝皇帝の視点から捉える最大版図を実現した中華帝国の実像
 1)中華帝国の拡大により鼎立する支配地域の状況
 2)清朝皇帝にとっての軍機処の存在意義

1.清朝皇帝のチベット仏教保護者としての意識

1)清朝皇帝と従来の中華皇帝の意識の比較

文殊菩薩
清の皇帝はチベット仏教を保護する「神武英明皇帝」あるいは「文殊菩薩皇帝」としてモンゴル、チベット人から尊敬と服従を確保(1)し、それまでの漢人による中華帝国が成しえなかった空前の中国領土の拡大を実現したが、皇帝自身はチベット仏教に対してどのような認識と位置付けをいだいていたであろうか。
本来中華皇帝は「儒家正統と漢字を中心とする中華文明」の中心として存在し、周辺の文化・風俗に対してはランクの異なるものとして接するのが常であったと思量されるが、果たして清の皇帝はどうであったのか。
清の皇帝が漢文でモンゴル人やチベット人のためのチベット仏教の保護を説明する時は、「易経」からの出典による「神道を以て教を設ける」と言うフレーズを用いるケースが多く、これだけを観れば清朝の皇帝も従来の中華帝国の皇帝同様に「チベット仏教に対する尊崇は、見せかけであり、辺境の民を手なずけるための方便である」と言うようにも読み取れる。(2)
とはいえ、このような観方は「中華」寄りの観方であり、実際のところ清朝皇帝の胸の内がどのあたりにあったかということは、もう少し慎重に検討していく必要があるだろう。
またこのことは、清朝の支配構造やその政権基盤も含めて再確認していく必要があることは言うまでも無い。

2)清朝皇帝の文化的立ち位置

チベット仏教
一方で見方を変えれば、ここでいう「神道」とはチベット仏教のことであり、その力でモンゴル人、チベット人を教化し、平和と安定をもたらしている とすれば、元来の中華文明たる「儒家正統・漢字文化」に依拠する必要もなく、独自の世界観で自足することを認めているとも受け取れるだろう。(3)
こちらの方が、実際に近いのかもしれない。清朝は中華文明エリアとしての中国内地とそれ以外の地域を藩部として区別して支配したが、支配構造だけでなく文化的にも両者を並列的に捉えていたのではないだろうか。
いずれにせよ、清に服属した一般のモンゴル人やチベット人がこの後「儒家正統や漢字文化」を中華文明の精髄としてチベット仏教文化より優れたものとして受け入れたという形跡は観掛けられない。(4)

3)清朝に服属したモンゴル人やチベット人の中華文明への意識

八旗
清朝の支配者の感覚は一先ず置くとしても、モンゴル人やチベット人の側では、中華文明に対して、自分たちの誇るチベット仏教文化が劣っているという認識は皆無であったようである。「中華」と言う概念そのものがモンゴル語、チベット語、ウイグル・カザフ族が用いるトルコ語東部方言には未だに翻訳されていないという。(5)

4)モンゴル・チベット・新疆に君臨する清朝皇帝の立場

五族共和
それでは、中華文明に平伏したわけでもない新領土のモンゴル・チベット・新疆の人々に清朝皇帝が、服従と尊敬を勝ち得て一定の平和を築けたのは何故なのか。答えは既に記述してきたとおり、清の皇帝が新領土に対して中華文明の代表たる「儒家正統・漢字文化」を体現した存在として君臨するのではなく、全く別の顔で「文殊菩薩皇帝」「神武英明皇帝」たるチベット仏教の保護者として現れ「中華文明を押し付けるのではなく、個別の宗教文化を尊重し、保護育成を図った=教を尊重した」(6)ことによるのだろう。すなわち、清の皇帝は中華文明の代表でもなければ、チベット仏教の保護者というだけでもなく、実質的に展開した版図においてそれぞれの文明・文化を尊重し、平和と安定を保証するような存在を目指したのではなかったか。そしてその保証を得るためには版図の住人は、「皇帝の支配を受け入れさえすればよい」(7)のであった。
このように考えると清の帝国としての統治が中華文明と辺境との境界であった「万里の長城」の存在を前時代の遺物に変えてしまう空前の広がりと安定を確保した理由の一端が垣間見えるような気がするのである。

2.清朝による中国内地以外の新領域支配の実相

それでは、ここからは清朝の「中国内地」以外の地域支配について確認していきたい。

1)中国内地以外の新領域の支配状況

大清帝国

清の支配する漢人の「中国内地」以外の地域支配の在り方、枠組みは以下のように各地の実情に合わせて木目細かく設定されていた。
・「旗地」:八旗の旗人に分配された所領
・「盟旗」:モンゴルの王侯が軍事的な義務(定期的な狩猟訓練への供奉)⇒北京への参勤交代(年班)と引き替えに牧民と牧地への支配を認められたもの
・ダライラマ政権とそれに寄進された土地
・「ラマ旗」:チベット仏教寺院領が独立の旗となったもの
・「土司」「千戸長」「百戸長」:チベット高原東部等の各地の部族の長を西南の非漢人地域同様に認知し、小規模な地域支配が認められたもの
・クムル、トルファン:ジュンガル駆逐において清に協力したトルコ系ムスリム王の領地
・新疆のオアシス:イリ将軍の軍事支配の下で各地のトルコ系ムスリム有力者をハーキーム・ベグに任命

上記のエリアと皇帝との関係は、科挙官僚ではなく八旗の軍人を多用して維持されており、明らかに中国内地の漢人地域とは異なる統治が遂行されていた。(8)

2)大一統の原則と礼部、藩部の統治論理

朝貢
ここに取り上げた内容は、これまで中華大一統の原則として取り上げてきている金観濤の「大一統四原則」(9)を大きく逸脱していて興 味深い。また清朝がこのような多種多様な地域をまとめ上げ、拡大版「大一統」を安定的に実現してきた論理について確認しておく必要があるだろう。
また朝鮮や琉球などの朝貢国一般が「礼部」に管轄され儒家正統的な「礼」が、清と朝貢国を結合する原則となっていたが、新領土に関しては「理藩院」の管轄であり「藩部」と総称されており、その関係の基本にはチベット仏教やイスラムの教えを皇帝が保護するという認識が色濃く打ち出され、儀礼や文書に反映された。またロシアやネパールとの関係も朝貢国を取り扱う「礼部」ではなく「理藩院」が管轄していた。(10)

3)清朝の対外関係の論理

理藩院
このように清朝は、国内統治のみならず、対外関係に関しても儒家正統をベースとする「中華」文明の強い影響下の地域とそれ以外の地域で区別していたことがわかる。清朝は国内における「大一統」の維持に関しだけでなく、対外関係においても単なる「中華」の延長線上にはとどまらない「別の顔を持った帝国」としての幅の広さを示していたと言えよう。
このように「礼部」が管轄する「儒家正統・漢字文化・科挙官僚・朝貢国」の伝統中華文明エリアと「理藩院」が管轄する「チベット仏教・イスラム・八旗軍人・現地独自支配の尊重」の新領土エリアが、いわゆる「東南の弦月」「北西の弦月」として清の皇帝の権威と威令の下で異なる統治原理で服属し(11)、長期にわたり安定した清による平和を享受した源泉となった。

3.清朝皇帝の視点から捉える最大版図を実現した中華帝国の実像

1)中華帝国の拡大により鼎立する支配地域の状況

新疆モスク

このような状況を観れば、支配する領域の各地に対して最適な支配機構を誂えることに心を砕いた清朝皇帝が、「儒家正統・漢字文化・科挙官僚」をベースとする中華文明エリア=中国内地のみを清朝の中枢的なエリアとは認識していなかった、と想定出来るのではなかろうか。中華文明エリア=中国内地も藩部としての新領土エリアも等しく清朝皇帝の支配体制の下にあり、「チベット仏教」「イスラム」「儒家正統」というそれぞれの「神道」を以て教を設ける」対象として、それぞれ「モンゴル・チベットエリア」「新疆エリア」「中華文明エリア=中国内地」が存在したというのが、清朝皇帝から観た実像に近かったのではなかろうか。

2)清朝皇帝にとっての軍機処の存在意義


雍正帝の創設した軍機処は、「礼部」と「理藩院」の両者を有機的に結合し、縦割りを排して、清朝全体を見渡しつつ「迅速かつ効果的」な統治を実現するために必要不可欠な役割を担うこととなった。(12)
ここまで観てくると既に明らかなように清朝皇帝にとっての「神道」とは、「チベット仏教」「イスラム教」だけでなく「儒家正統」といえども、その中にスッポリと収まるような膨大な器の容器であったことが観えてくる。
清朝皇帝はこのように「神道を以って、教を設け」つつ、自らは超然と「軍機処」という、清朝内のあらゆる「神道」を超越する最高意思決定機関を通して全てを支配しようとしていた、と言うことになろう。
そのように考えれば、現代の中国共産党中央政治局常務委員会と清朝における軍機処の位置づけの類似性が一層浮かび上がってくる、と言えるだろう。

尚、本稿とも関連する清朝の中華帝国統治方針に関しては、以下のリンクでも取り扱っております。
清朝極盛期の乾隆帝のチベット,新疆征服は戦略的な帝国統治政策のモデルケースである!
清朝極盛期の乾隆帝のチベット,新疆侵略による永続的な中華帝国最大版図拡大実現の背景!

参考文献
(1)平野聡:大清帝国と中華の混迷 講談社 2007 第三章 盛世の闇 p150
(2)平野聡:大清帝国と中華の混迷 講談社 2007 第三章 盛世の闇 p150-p151
(3)平野聡:大清帝国と中華の混迷 講談社 2007 第三章 盛世の闇 p152
(4)平野聡:大清帝国と中華の混迷 講談社 2007 第三章 盛世の闇 p152
(5)平野聡:大清帝国と中華の混迷 講談社 2007 第三章 盛世の闇 p152
(6)平野聡:大清帝国と中華の混迷 講談社 2007 第三章 盛世の闇 p153
(7)平野聡:大清帝国と中華の混迷 講談社 2007 第三章 盛世の闇 p154
(8)平野聡:大清帝国と中華の混迷 講談社 2007 第三章 盛世の闇 p156
(9)金観濤:中国社会の超安定システム 研文出版 1987 第一章 中国封建社会の宗法一体化構造 p32
(10)平野聡:大清帝国と中華の混迷 講談社 2007 第三章 盛世の闇 p157
(11)平野聡:大清帝国と中華の混迷 講談社 2007 第三章 盛世の闇 p157
(12)平野聡:大清帝国と中華の混迷 講談社 2007 第三章 盛世の闇 p158

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