国民党

国民党中華民国を率いる蒋介石が毛沢東の中国共産党に敗れた理由は外モンゴル放棄による中華大一統否定と正統性喪失にある!

孫文

孫文らの標榜した西洋的近代国家概念と辛亥革命後の中国的国家観、民族観を検討する。

1.辛亥革命前後の国家観の変容
 1)孫文らの標榜する民族革命
 2)辛亥革命以前の革命家の国家意識
 3)辛亥革命後の五族共和論への転換
2.中華世界分裂回避の論理
 1)漢族単一民族国家観の放棄
 2)清朝の帝国の原理の再認識
 3)中華大一統、中華天下意識の復活
3.中華民族国家理念の構築
 1)中華民族による一民族一国家の論理
 2)「大義覚迷録」の原理の援用
 3)漢族を中核とする「中華民族国家」
4.中華民国の中華世界支配の施策
 1)モンゴル、チベットの直轄化
 2)蒋介石による中華民族一元論
 3)外モンゴル放棄と中華大一統の原理への抵触

1.辛亥革命前後の国家観の変容

孫文2

1)孫文らの標榜する民族革命

清朝打倒を目指す孫文らの革命派が、満族支配の状況からの漢族の国家回復を目指すにあたって標榜した民族革命のシンボルとしては、「漢族」ではなく「中華」が強調されれていた。革命家の民族的文脈において、「漢」は「中華」そして「中国人」と同じものであったにもかかわらず、「中華」にこだわった理由は、「漢族」が「中華文明圏」としての独自の歴史と文化、そして生活領域をもつ偉大な「民族的」共同体であることを強調し、清朝の中国支配の不法性と漢民族国家の正統性を「中華」という呼び方で一層鮮明にすることにあった。(1)
章炳麟は、1907年の「中華民国解」で次のように述べている。「華と言い、夏と言い、漢と言い、互いに三つの意味を持ち合う。漢を族名にしてもそこに邦国の意味があり、華を国名にしても、そこに種族の意味もある。これに(未来の中国国家に)中華民国と名付けるわけである」。ここの「漢族」と「中華」の国家が同じサイズであり、換言すれば「中華国家」は、事実上漢族による「単一民族国家」であった。(2)
 

2)辛亥革命以前の革命家の国家意識

モンゴル帝国
このように辛亥革命以前の段階での清朝打倒を目指す革命家の意識には、新国家は「漢族」中心の「単一民族国家」がイメージされていた。すなわちこれは「漢族」による「中華世界」の回復を志向するものであり、事実上「漢化」の力学が革命原理として提起されていた。
しかし、清朝最大版図は従来の「中華文明エリア」を大幅に上回る規模であり、清朝の領域内には漢民族以外にもモンゴル族、チベット族、新疆エリアのムスリム等多数の民族が混在していた。もし新たな革命が純粋な単一民族国家を真剣に目指すとなれば、その領域は清朝最大版図ではなく、せいぜいが明朝最大版図から満洲を除く程度が関の山であり、モンゴル、チベット、新疆、満洲は「中華国家」から離れて独立させざるを得ない可能性があったと想定される。

3)辛亥革命後の五族共和論への転換

西太后
しかるに、1911年に辛亥革命の後に発足した中華民国は、「単一民族国家」志向では無く、「五族共和」を標榜する方向に変化しており、孫文自身も辛亥革命後に「漢・満・蒙・回・西の五族が一つとなって、独裁を排し、共和を建設する」「民国は五族を合わせて成立したものであり、全ての五族民衆は兄弟である」と述べた。(3)
まさにカメレオンのような変身ぶりであるが、このような方針転換の理由は何であろうか。漢族の「単一民族国家」と言う発想では、何が都合が悪かったのであろうか。

2.中華世界分裂回避の論理

五族共和

1)漢族単一民族国家観の放棄

このように革命前の「単一民族国家」志向から革命後に「五族共和」に方向性が変化した理由の一つは、革命の成功により満族に対する反感が急速に緩和したことや「単一民族国家」と言う行き方が中国の現実から遊離していることが明確化したためである、と言えよう。また在野の評論家的立場から国家政治の中心となってきた革命派としては、領土の分裂を回避したいとの意識が生じ、清朝の政治構造の基本であった「五族」をベースにしないと清朝の版図を維持して「共和制」を導入することが困難なことがはっきりしたことによる、と観て良いだろう。いま一つの理由としては、辛亥革命後に辺境の蒙・西・回の社会で一斉に独立運動が発生し、領土の分裂が現実化してくることで、中華民国の原理に「一民族一国家」という国民国家の基本理念を採用すると、そのまま中華世界の分裂に直結することが明確化したためでもあった。(4)

2)清朝の帝国の原理の再認識

順治帝

このような変化は、ある意味では、清朝の「帝国の原理」をそのまま継続していかないと、「多民族国家としての清朝最大版図エリアの大一統」が崩壊することに権力の座についた革命派がようやく気付いたことによる、と言えるだろう。雍正帝の「大義覚迷録」の精神は、ここに「中華民国」の多民族国家としての大一統の原理を提供することになったと言えようか。
このような考え方に立って蒙古・西蔵の事務を主管とする「蒙蔵事務局」(後に「蒙蔵院」)が設置され、蒙古・西蔵(新疆は既に省制に組み込まれ直轄化していた)に対して、清朝の「理藩院」の延長線上での民族統治政策が実施されたが、これは「皇朝」の統治が「共和」に代わったものの「中華世界の大一統」が中華民国においても清朝同様に前提とされていたことが了解される。(5)

3)中華大一統、中華天下意識の復活

中華天下

このように観てくると、中華民国の政治に清朝の「中華大一統」を標榜する統治方式が大きな影響を与えていることが明瞭になってくる。漢族国家の復興を掲げて遂行された辛亥革命により出現した政権の眼前には、清朝により大幅に拡大された「中華天下」があり、その拡大された中華エリアを有効に統治するためには、単に漢族至上主義を振り回すだけでは無理があった、と言えよう。
 

3.中華民族国家理念の構築

中華民族

1)中華民族による一民族一国家の論理

その後、孫文は「五族共和」の理念が、民族独立を志向する漢族以外の民族に「独立運動」の正統性を与えかねないと気付くに至り、「五族共和」に替わる中華民国の原理として、「中華民族」による「一民族一国家」としての「中華民族国家の」理念を強調し、「国民国家の理論に基づく近代国家建設の推進」と「多民族国家清朝の版図の継承」の両方を実現しようとした。(6)
ここで強調された「中華」は、辛亥革命以前に満州族を駆逐するために「漢族による単一民族国家」を建設する正統性を訴えるシンボルとしてのものではなく、満州族を含む「五族」を団結させ融和するためのシンボルとしての「中華」であった。(7)

2)「大義覚迷録」の原理の援用

大義覚迷録
この「中華」は、「漢民族だけの狭い中華」ではなく、またしても「大義覚迷録」の精神による「華夷一家」としての「中華」であり、「五族」が融和することで形成される「新たな民族」としての「中華」であった。それでは、中華民国においてはこのような「中華」はどのように実現されると考えられていたのか。
孫文によれば、「民族の同化」がその答えであり、「チベット・モンゴル・回・満は、みな自衛能力を持っていない。民族主義を高揚させ、チベット・モンゴル・回・満を我が漢民族に同化させ、一つの最大民族国家建設することは、漢族の自決に基づくものである」「我が党としては、民族主義においてはなお努力すべきで、必ずチベット・モンゴル・回・満を我が漢族に同化させ、併せて一大民族主義をもつ国家を成し遂げさせる」ということであった。(8)

3)漢族を中核とする「中華民族国家」

少数民族問題
ただし、ここで強調された「中華民族国家」の中身は、事実上「漢民族国家」に他ならず、「中華民族」も「漢族」が中核との認識であり、「漢族にとっての利害」が「中華民族にとっての利害」に一致するとの思い込みが強かった。このため中華民国国民政府にとって「中華民族国家」とは「漢民族国家」に他ならないという意識を超えることは困難であったと言えよう。(9)
孫文及びその後継者の考え方は、辛亥革命前は「五族を中華から排除」していたが、辛亥革命後は「五族を中華に同化」させる方針に変わったということであろう。孫文らは「西欧発祥の近代的国民国家体制」と「中華大一統としての多民族統一国家」の矛盾に対する回答として、このような行き方を採用したわけであるが、ここに「現在の中国の民族問題」の淵源の一つがありそうである。

4.中華民国の中華世界支配の施策

ダライラマ

1)モンゴル、チベットの直轄化

このような理念の変化に基づき、「中華民族国家化」すなわち「漢化」「五族の漢民族への同化」の過程が、「国民国家」形成に直結すると言う観点から1928年に蒙古、西蔵両地域を全て省制に移行させ「直轄化」「内地化」を推進することとした。ここに具体的な統治政策において、清朝の基本方針であった「藩部」の設置や五族の多様性を維持した「大一統」から、「内地化」「漢化」をベースとした「同化による大一統」に基本的な方針が変化したと言えよう。(10)
「中華天下」が外部からの侵略や併合の圧力を受け続ける中では、既に清朝期に新疆が省とされ「内地化」「中国化」が開始されていたことも考えると、このような中央集権的な施策はやむを得ないかもしれない。尚、現在の中華人民共和国では、これらの蒙古、西蔵、新疆はそれぞれ自治区となっており、省制は採用されていない。

2)蒋介石による中華民族一元論

蔣介石
このような行き方は、辛亥革命以降の旧「藩部」である「蒙古」「西蔵」「新疆」で顕在化してきた「中華世界からの離脱」を目指す動きへの対抗として実施された側面も強かった。その後蒋介石は1929年に「中華民族一元論」を唱え始め、「中華民族」とは「黄帝子孫に属する同一の宗族」であり、いわゆる五族を含めて既に中華民族として一体化、一元化した存在である、と主張したが、これは旧「藩部」の独立の動きを阻止し、「中華民族としての大一統」を維持するために人為的な政策的見地から集権化を進めざるを得なかったため、と理解される。

3)外モンゴル放棄と中華大一統の原理への抵触

国共内戦
国民党政権は、既に1927年に外モンゴルの「独立」を容認しているが、このことは国民党政権が「中華大一統」の原理を根底では把握していなかった証左ではなかろうか。(11)
中華民族一元論にしても「中華と夷狄の共存及び多くの夷狄を版図に組み込むことこそが中華帝国の存在理由である、と言う天下思想の原理」(12)への本質的な理解が欠けている、ということかもしれない。
このような国民党政権あるいは蒋介石の「中華大一統」に対する本質的なレベルでの理解の欠如が、中国共産党あるいは毛沢東の「中華大一統」に対する理解度の深さに敗れる過程が、この後の中国国民党の台湾への下野や、中国共産党の大陸支配に至る一つの要因を為した可能性もある。

尚、本稿でも取り上げた中華大一統や天下思想については、以下のリンクでも詳しく取り扱っております。
中国伝統の支配正統性の根拠である大一統,天下思想,儒家正統の解明!

参考文献
(1)王柯:多民族国家 中国 岩波書店 2005 第二章 漢民族国家という幻想 p41-p42
(2)王柯:多民族国家 中国 岩波書店 2005 第二章 漢民族国家という幻想 p42-p43
(3)王柯:多民族国家 中国 岩波書店 2005 第二章 漢民族国家という幻想 p43
(4)王柯:多民族国家 中国 岩波書店 2005 第二章 漢民族国家という幻想 p43-p44
(5)加々美光行:中国の民族問題 岩波書店 2008 第Ⅰ章 清朝期から民国期までの民族政策 p51
(6)王柯:多民族国家 中国 岩波書店 2005 第二章 漢民族国家という幻想 p45
(7)王柯:帝国の研究 名古屋大学出版会 2003 第5章「帝国」と「民族」 p210
(8)王柯:帝国の研究 名古屋大学出版会 2003 第5章「帝国」と「民族」 p214
(9)王柯:多民族国家 中国 岩波書店 2005 第二章 漢民族国家という幻想 p46-p47
(10)加々美光行:中国の民族問題 岩波書店 2008 第Ⅰ章 清朝期から民国期までの民族政策 p52
(11)加々美光行:中国の民族問題 岩波書店 2008 第Ⅰ章 清朝期から民国期までの民族政策 p53-p54
(12)王柯:帝国の研究 名古屋大学出版会 2003 第5章「帝国」と「民族」 p207

一党独裁の中国共産党が,なぜ辛亥革命で解体し国民党が失敗した中華帝国の再建と大一統に成功したのかを解明!

毛沢東

中国共産党が辛亥革命以来途絶え、中華民国=国民党政府が失敗した、中華帝国としての強権的支配と漢族及び周辺諸民族を包括した中華大一統の再現に一定の成功をおさめた要因について検討する。

1.中国共産党による中国再建策の成功
 1)中国の伝統的要素を有効活用した革命
 2)中国的色彩の強い社会主義革命
 3)帝国的秩序の20世紀的再建
2.中国共産党の6つの中核的施策による中国再建
 1)中国共産党の施策による中華大一統の4条件の止揚
 2)中華民国,国民党政権の再建策の失敗と中国共産党の成功
 3)中国共産党による大衆動員の成功と市民的自由の等閑視
3.改革開放政策の推進と中国共産党統治の行方
 1)改革開放による市場経済の復活と政治的自由の凍結
 2)経済自由化の中国共産党による「帝国的統治」への影響は?

1.中国共産党による中国再建策の成功

中国共産党22

1)中国の伝統的要素を有効活用した革命

中華世界において、清帝国瓦解後に実践された統一作業において、結果的に成功を観た唯一の方法は中国共産党による方式であった。この手法は、伝統的な体制を一新して、半封建的な要素を一掃するような、革新的な社会主義革命とは言えなかった。どちらかというと、伝統的な国家統一原理を有効に活用するものの、単に王朝循環的な伝統的統一国家の再編と言うわけでもない、新しいタイプの国家建設の形を取っていた。(1)
このように共産党の中国における統一国家の再建作業が成功した要因の一つは、構造的に旧帝国の支配機構を踏襲しつつ、新たな主体によって、それを推進したことにあった、と言えよう。

2)中国的色彩の強い社会主義革命

チャイナドレス
すなわち、共産党による革命は、王朝変遷における易姓革命のような伝統的な循環論に還元される革命でも、資本主義発展の延長線上にある西欧的な国民国家構築でも、資本主義を止揚する社会主義による革命でもなかった。中華世界において成功した共産党による革命は、清帝国の瓦解という政治的危機を打開するために行われた、社会主義的色彩を持つ国民国家建設の一環であった。
また共産党による革命は、社会主義や国民国家と言う概念そのものからしても、従来の概念とは異なる優れて中国的な色彩の強い、社会主義的手法であり、国民国家建設と言えた。

3)帝国的秩序の20世紀的再建

スターリン
このことは、資本主義が発展することで形成される疎外状況を解決する社会主義的手法と言う側面も資本主義の発展による新たな市民社会形成に向けた領域内の統合を目指す国民国家建設とも根本的に相違する存在であった。(2)
中国共産党の指導部が採用した中国における統一国家の再建作業は、社会主義国家の建設でも、資本主義国家の建設でも、ましてや旧帝国の再建でも無かったが、どちらかと言うと共産党の再建作業の中国的な特質を踏まえて考えると、旧帝国的な秩序構造を20世紀半ばと言う時代状況に合わせて、修正して再建してみせた、と言う要素が濃厚である。

2.中国共産党の6つの中核的施策による中国再建

近代化

1)中国共産党の施策による中華大一統の4条件の止揚

共産党による革命においては、中国人民という民族的中核、共産党と言う政治的中核、マルクス・レーニン主義と毛沢東思想と言う思想的中核、一党独裁的官僚体制と言う機構的中核、人民解放軍と言う軍事的中核、国家計画経済と集団経営と言う経済的中核の6つの中核が、相互に結合することで、中国的社会主義国家、中国的国民国家が樹立された。このように集団化・中央集権化・組織化を強力に推進することで、辛亥革命以来混迷の極致にあった分裂した中華世界の再統合に成功したのである。これは、結果的には金観濤の主張する中華世界大一統の4条件を十分に満たし、地上のどこにも存在しない伝統的な国家統一の原理に基づく 「帝国」を再建したと言えよう。(3)
すなわち旧帝国が大一統を実現しえた構造的な要素としては、金観濤の主張する「中華世界大一統の4条件」が適用し得るが、共産党が採用し現実に遂行した民族、政治、思想、統治、軍事、経済の6つの要素における中核的な政策は、この大一統4条件を見事に止揚して、中国は共産党を統治者とする「帝国」的な存在として見事に再建されたのである。

2)中華民国,国民党政権の再建策の失敗と中国共産党の成功

蒋介石,毛沢東
国民党的な手法においては、国民国家建設の推進主体としての国民不在に対処するにあたり、国民を政治的に排除した国民党独裁と三民主義イデオロギーによる人民の指導を目指しており、教育と地方自治の現場での体験学習を通じて、人民の政治的成熟を期待したが、これは実質的な国民の政治参加の拒否であり、最終的には国民の支持を得られなかった。(4)
結局のところ国民党が推進しようとしていた、国民形成のための手段は、人民を政治の場から完全に排除しつつ、教育と地方自治での体験による人民の政治的成熟を促すような施策であったが、人民はこの方式を支持しなかった。
一方で共産党は、人民の政治参加を、上からの政治動員と言う形で、実現しようとした。特に土地革命の過程における、貧農の反地主闘争への動員は、農民の白蓮教的な平等意識を刺激し、政治統合に非常に有効であった。また抗日戦争において、紅軍を農民革命軍に再編成し、農民を軍事的組織化で、組織人として再生させようとした。

3)中国共産党による大衆動員の成功と市民的自由の等閑視

人海戦術
さらに共産党の多用した人海戦術は、農業集団化や工業集団化を通じて、多くの人民を社会主義建設に参加させようとするものであり、このような政治動員を通じて、未熟な人民を政治的に成熟した国民に転化させるために行われた。 
このように国民党が政治教育による国民形成に失敗した後を受けて、共産党は人民を政治運動に投入することによる、国民形成を目指したのであった。(5)
国民党の政治教育による国民形成方式は破綻したが、共産党は農民を白蓮教的な平等主義も踏まえた反地主闘争に動員し、抗日戦争でも農民革命軍に動員することで、組織人として育成することを実践した。その後も人海戦術と言う手法を多用しながら、政治動員を通じた人民の成熟による国民形成を推進することで、共産党は真の国民形成の実現はともかくとしても、革命の貫徹と社会主義建設と言う政治的な果実を手にしたのであった。
共産党指導下における人民の政治への投入は、一見下からの政治参加のようで、実質は上からの政治動員であり、その運動は結果的に、人民の下からの自立化や多元化を伴うことは無かった。さらに共産党による革命の場においては、個人の自主性の発露のために重要な要素となる、思想の自由化や政治選択の自主的決定の機会は、共産党の一党独裁や毛沢東思想の統制下において、等閑視された。(6)
巨大な政治的果実をもたらした人民の政治動員は、結局は上からの施策であって、人民の自発的な性質のものでは無かったために、人民の自立や市民的な成熟とは無縁であった。また思想の自由化や政治選択の自由については、今日に至るまで実現していない。

3.改革開放政策の推進と中国共産党統治の行方

改革開放

1)改革開放による市場経済の復活と政治的自由の凍結

このような1949年の共産党による革命開始以来の幾多の年月における最大の変革は、経済的集団化の停止・解体であった。さらに、改革開放政策においては、市場経済が復活されることとなった。
共産党の指導部は、金観濤の大一統の原理に基づく清帝国に連なる統一的大帝国たる中華人民共和国は、既に盤石の安定を観ているとの認識の下に、遂に経済的な自由化に踏み切ったのである。一方で、政治的自由化は、帝国の統一に新たなる火種を宿しかねないと言う判断から、採用されるには至っていない。現時点における中華世界の情勢としては、経済的自由化の推進の中で社会主義における新たな政治的主体の形成が進んでいると言え、このことが孫文以来の未完の国民革命における最終的な革命主体になる可能性も秘めている。(7)

2)経済自由化の中国共産党による「帝国的統治」への影響は?

民主化運動

今後、中華世界が本当の意味での国民革命を推進し始めるのかどうかについては、隣国日本としても注視せざるを得ないであろう。
共産党により見事に再建された「帝国」的な存在としての現代中国は、既に盤石の安定を観たと言うことで、経済的な自由については、遂に自由主義、市場経済に舵が切られたが、政治的あるいは思想的な自由や民主主義といった人民の市民的な権利に関しては、未だに封印されたままである。
経済自由化に伴う自由企業の拡大や資本家階級とでも言うべきものの創生が、今後中華世界において共産党が確立した新たなる「帝国」の統治構造にどのような影響を与えるかについては、習近平体制の今後とも併せて目が離せないところである。

<参考文献>
(1)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p368
(2)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p369
(3)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p369-p370
(4)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p370
(5)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p370-p371
(6)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p371
(7)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p371

 

孫文,蒋介石らの国民党政府による中華大一統と帝国的秩序再建の失敗要因の検討!

蒋介石

辛亥革命後のウェスタン・システムの脅威の中での中華民国,国民党政権による帝国的秩序再建の試みの挫折とその要因について解明する。

1.辛亥革命後の中華民国の課題
 1)ウェスタン・システムの拡大とアジア諸国の再編
 2)西欧世界と対抗・共存可能な国家の再建
2.辛亥革命後の国民国家建設の主体
 1)国家建設主体の正統性調達原理
 2)国民党による訓政独裁政権による国民国家建設の前提条件の整備
3.軍事面の統一の推進状況
 1)軍権の全面的掌握の失敗
 2)軍権の全面的掌握失敗の影響
4.財政面の統一の推進状況
 1)国民党政権維持の基盤となった財政面の統一
 2)幣制改革の実施と国家経済の寡占化
 3)経済の一部資本家による私物化の弊害
5.思想面の統一の推進状況
 1)孫中山の三民主義の思想イデオロギー化推進
 2)思想統一による国民統合の挫折
6.中華民国時代の中国と昭和初期の日本の対比
 1)「国家・国民意識総動員」を必要とした日本の危機の時代
 2)日本の危機の時代状況と中華民国の状況の類似性

1.辛亥革命後の中華民国の課題

辛亥革命1

1)ウェスタン・システムの拡大とアジア諸国の再編

辛亥革命以前の中華世界においては、歴代の王朝によって彩られる強固な中華帝国の皇帝専制体制が続いてきた。しかるにアヘン戦争以来の西欧列強の中国侵略が活発化するにつれて、半植民地化され、結果的に統一的な帝国は瓦解の危機に瀕することとなった。中国の近代とは、このような瓦解しつつある伝統的な帝国を近代的に再編するための苦悩の歴史となったと言えよう。
これは、「西欧国家体制(ウェスタン・システム)の世界的拡大の過程においてアジア諸国が解体・再編成される近代化の苦悩」(1)でもあった。
また中東のイスラム世界は、このような近代的再編の過程で、跡形もなくなく解体された。(2)

2)西欧世界と対抗・共存可能な国家の再建

中華民国旗
このような帝国瓦解の危機の中で、西欧世界と対抗・共存するために、必然的にウェスタン・システムの中核をなす独立した国民国家の建設を目指した(3)のが、中華民国=国民党政府の役割であったと言えよう。
国民国家の西欧的基準としては、市民的自由を有した国民を中心として、統一国家・統一市場の建設とそのための国民統合を目指すということになるが、中華世界においてはこの中核的存在たる「市民的自由を有した国民」は不在であったため、上からの国民国家建設が志向された。(4)

2.辛亥革命後の国民国家建設の主体

蒋介石閲兵

1)国家建設主体の正統性調達原理

それでは、このような上からの国民国家建設を行うにあたっての正統性は、どこから調達されるのであろうか。
「市民的自由を有した国民」は不在であるとすれば、そこに頼ることも出来ない。そこで出てきたのが、いわゆる「訓政独裁論」であった。
これは、「未熟な国民に代わって国民党が政治的軍事的に独裁政権を樹立し、上から強力に国民国家の建設と経済発展、政治制度の近代化を促進する」(5)と言うものである。
またこの「訓政独裁論」は、孫中山が好んで用いた「以党治国」論を中核にしていた。これは人民に代わって党が国家を統治するという「代行システム」を意味し、その前提条件としては「中国の国民には自己を統治する政治能力が存在しないと言う断定」があった。孫中山は、このように有能なエリート集団である国民党が全権を掌握し、無能な大衆を訓導することで、はじめて近代的統一国家の建設が可能であると考えていた。(6)

2)国民党による訓政独裁政権による国民国家建設の前提条件の整備

蒋介石2
中国国民が無能であるとは思えないが、国家安全保障上の緊急の非常事態においては、軍隊的な指揮命令系統の一貫した一枚岩の組織で、紡錘陣形で一点突破せざるを得ないようなこともあるだろう。ただし、民意のチェックの無い長期独裁権力は、確実に腐敗堕落するので、訓政独裁に関してもその停止条件と次の体制への平和的移管方式を明確にしておくことは大前提となろう。
こうした国民党による「訓政独裁政権」のもとで、強力な近代的国民国家建設を目指して、その前提となる「軍事面の統一」「財政面の統一」「思想的な統一」が推進されることとなった。(7)それでは、国民党によるこれらの3つの国民国家建設の前提条件整備の行方はどうなったのであろうか。

3.軍事面の統一の推進状況

張学良

1)軍権の全面的掌握の失敗

まず軍事統一についてであるが、国民党政権時代は抗日戦争・国民党内部の軍事抗争・共産党との内戦等、常に戦争と内戦に明け暮れていた。このため国民党政権としては、軍閥割拠の状況を排除し、国民党のもとに全軍を掌握する体制確立が急務となった。
北伐戦争における国民革命軍すらも、元は旧軍閥の私兵集団を糾合したものであったので、蒋介石はこれらの軍隊を国民革命軍総司令のもとに再編・統一すべく1929年1月に編遣会議を招集し、全ての軍隊を中央の全国編遣委員会に従属させようとした。しかし、地方軍閥が既得権益保持のために反発し、反蒋戦争となった。この反蒋戦争は張学良らの協力で抑えきったものの、国民党政権=蒋介石が軍権を全面的に掌握することには失敗した。(8)

2)軍権の全面的掌握失敗の影響

袁世凱
抗日戦争や共産党との内戦以前の問題として、国民党内部の軍権の掌握にこれだけ手間取ると、このような戦争の時代に政治的な主導権を握ることが困難になってしまうだろう。袁世凱が権力を伸張させた理由が、清朝政権下及び辛亥革命後におけるその軍事的なパワーの結集に成功したことにあったのと裏腹に、国民党政権では軍権が分散していたことが、国家権力が集中的に発揮出来なかった主要な一因とも言えるだろう。

4.財政面の統一の推進状況

浙江財閥

1)国民党政権維持の基盤となった財政面の統一

次に財政面の統一についてであるが、国民党政権はこの方面では一定の成果を収めたと言えよう。そして、このことが国民党政権が、中華世界の最も困難な時代に20年にわたって政権を維持出来た根拠の一つと言えようか。
財政的な強化の第一の要素としては、中国ナショナリズムが求め続けていた関税自主権の回復の実現が挙げられる。まず「関税自主権の回復が、1928 年の中米関税条約から 1930 年の日中関税協定にいたる諸条約によって達成された。同時に、28年関税から 34年関税にいたる交渉過程で、関税の引上げにも成功を収めた」(9)のであった。

2)幣制改革の実施と国家経済の寡占化

四大家族
さらに財政的強化に貢献した第二の要素としては、幣制改革があった。1935年11月イギリスのリース・ロス指導下に、中央銀行・中国銀行・交通銀行に法幣発行の権限を与え、イギリス・ポンドとリンクさせようとした。このような通貨の統一と安定化政策は、中国経済の発展にインパクトを与えることに成功した。一方で政府が通貨発行の三銀行を支配し、蒋介石が軍事費捻出のために通貨増発と金融市場操作に走ったことと、「四大家族」と言われる官僚資本家による国家経済の寡占化が進んだこと、のために健全な財政統一は実現しなかった。(10)

3)経済の一部資本家による私物化の弊害

宗家三姉妹
この財政面の状況は、国民党政権にとって強い追い風となしうる成果であったように思われるが、どちらかというと蒋介石及び一部の資本家たちによって、その成果が職権乱用的に私物化されてしまった印象が強い。本来は軍事的に追い詰められつつも、関税自主権の回復と言った国権発揚の機会をフルに活かしたり、通貨の統一と安定化による健全な経済発展の可能性を目先の利益につなげるだけでなく、もう少し長期的な資本主義的な市場の発展につなげていければ、その後の歴史も変わってきたかもしれない。

5.思想面の統一の推進状況

三民主義,孫文

1)孫中山の三民主義の思想イデオロギー化推進

最後に思想面の統一についてであるが、これは孫中山の「三民主義」を思想イデオロギーの中核に据えようとする運動の形態を取った。国民党政権の「訓政独裁」が成り立つ前提条件は、人民大衆の政治的未熟にあるとするのであれば、人民を政治的に教育=訓導していく必要があるだろう。
孫中山によれば、「バラバラの砂」である人民を団結した国民に改編する必要があるのであり、国民統合の課題を実現する必要があった。
また蒋介石は、自由な市民の自由な連合による国民統合ではなく「三民主義」による強引な思想統一を目指した。これは、1934年以降「新生活運動」による道徳主義的民族復興運動となり、抗日戦争期には「国民精神総動員」運動として組織された。これらは「忠孝仁愛信義和平」をスローガンに国家と国民党に忠誠をつくすことを目的とした国民意識の統合であった。

2)思想統一による国民統合の挫折

蒋介石111
このような運動は、国民党内では汪精衛による「国民の思想統一による蒋介石個人独裁化」批判につながり、一方では青年層への共産主義思想の浸透もあって、思想統一による国民統合は挫折した。
こうして思想統一は、人民の政治的成熟を志向しながら、党イデオロギーへの強制的な政治動員しか産み出さず、自由な政治的選択と自主的な政治参加の機会を失わせ、自律的な政治的成熟を困難にした。こうして国民不在は継続することとなり、そのために以党治国の訓政独裁と言う過渡的体制は、その後も継続していくこととなった。(11)

6.中華民国時代の中国と昭和初期の日本の対比

国家総動員

1)「国家・国民意識総動員」を必要とした日本の危機の時代

ここで我が国との対比してみると、明治維新後の大日本帝国について言えば、明治時代の国力増強の成果も踏まえて、第一次世界大戦の戦勝もあり、大正時代には民主主義も開花して自由で豊かな「大正デモクラシー」時代を謳歌したということがあった。
その後、状況が激変し大恐慌から戦争の時代に突入して「国家総動員」を基調とする太平洋戦争での日米決戦にまで至ることとなった。
すなわち、自由な市民が繁栄を謳歌した時代を潜り抜けた先の危機の時代においては、上からの「国家総動員」=「国民意識総動員」や「赤紙」による強制的な国民の戦争への徴兵が遂行されたわけである。

2)日本の危機の時代状況と中華民国の状況の類似性

蒋介石,毛沢東
そういう観点から見れば、中華民国=国民党政府時代の中国は、まさに大日本帝国に当てはめれば、その全期に渡って昭和初期並みあるいはそれ以上の危機の時代であったとも言えるわけであり、そこにおいて常に上からの「訓政」や「国民意識総動員」が行われたのも無理のないこととと言えるかもしれない。
結局、このような経過を辿る中で中国国民党による近代的国民国家建設の試みは失敗に終わり、中国国民党との内戦に勝利した中国共産党が同様な政治課題に取り組んでいくこととなった。

尚、本稿とも関連する中華民国、国民党政府時代の中国の混乱については、以下のリンクでも取り扱っております。
孫文,蒋介石,国民党政府が目指した近代化,国民国家建設,帝国的秩序再建の行方!

参考文献
(1)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p345
(2)鈴木董:イスラムの家からバベルの塔へ リブロポート 1993 第2章 「西洋の衝撃」とイスラム国際体系 p65
(3)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p346
(4)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p346
(5)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p354
(6)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p355
(7)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p355
(8)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p356
(9)久保亨(信州大学):第九回 2009年12月18日 「関税自主権の回復と幣制改革」ASNET講義録 平成21年度冬学期「書き直される中国近現代史(その2)」
(10)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p357-p358
(11)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p357-p358

中国の伝統的な帝国支配構造、賢人政治と近代以降の国民党、共産党による一党独裁体制の同一性!

台湾

孫文による辛亥革命を起源に持ち、「以党治国」を掲げてエリートによる一党独裁体制を一貫して貫いてきた国民党が支配する台湾が、1990年代に中華世界において歴史上初めて完全な民主化を達成したことの意義とその影響を検討する。

1.中華天下における統治方式の特徴
1)中華世界という巨大帝国を統治するための方策
2)強力な一元的支配を貫徹するための中核の必要性
2.中華世界における独裁権力を正統化してきた論理
1)何故中国には独裁的権力が必須なのか?=エリート専制支配の正統化
2)中国伝統の賢人政治を継承する国民党、共産党
3.中国を統治するためのイデオロギーの特徴
1)多元的価値共存の否定
2)中華帝国から現代中国まで通底する絶対的価値の重視

1.中華天下における統治方式の特徴

大清帝国

1)中華世界という巨大帝国を統治するための方策

中華世界は、欧州並みの面積を持つ巨大帝国であって、その内部は異質で多様な政治、経済、社会的要素が混在した多元的社会であると言える。多元社会であれば、それを反映した多元政治が似合うと思われるが、現実はその反対の政治体制が続いてきている。
すなわち多元社会であるからこそ、その内部に異質な要素がひしめき合っている帝国を統一するには、強力な一元的支配が必要であると歴代の為政者は考えてきた。(1)

2)強力な一元的支配を貫徹するための中核の必要性

国民党,中華民国旗

一元的支配を行うには、一元的支配の中核が必要になるが、辛亥革命前の段階ではその中核は、皇帝を頂点とした巨大な官僚体制であり、辛亥革命後は皇帝専制に代わって国民党や共産党が登場してきた。(2)
このように中華世界においては、有史以来一貫して人民大衆が政治の主体になることはなく、あくまでも統治される立場にとどまってきた。このような状況は辛亥革命においても大きく変化することはなく逆に近代化に伴い支配体制が洗練され、国民党あるいは共産党の党のエリートによる独裁体制が強化されてきたとも極言出来よう。

2.中華世界における独裁権力を正統化してきた論理

訓政

1)何故中国には独裁的権力が必須なのか?=エリート専制支配の正統化

それでは、辛亥革命を経過しながらも相変わらず中華世界で「一党独裁」を正統化してきた論理とは何だったのだろうか。
中華世界において、皇帝支配から始まり、袁世凱の帝政論、孫文の訓政論、共産党の独裁論の底流を流れる一貫した共通認識として、「中華世界の大衆の意識が低い」というものがある。これが全ての出発点であって、人民大衆には「帝国瓦解の危機意識」もなければ、「帝国統一の政治的技能」もなく、「政治思想」もないということを前提としている。ここから選ばれた知識人の代表のみが指導的中核を形成するという論理が正統化されてくる。また伝統的な天が人民の中の最も優秀で徳のある賢人を選び出して、天子として無能な人民を統治させる権限を与えるという伝統的な天下論も形成されてくるし、この賢人政治の伝統は現在まで直結している。またこのような賢人政治が崩れて、人民大衆が政治に登場すれば帝国的統一秩序が崩壊するという危機感も一貫してきている。(3)

2)中国伝統の賢人政治を継承する国民党、共産党

周恩来

このように伝統的な賢人政治の発想は、当の人民大衆がどのように考えているかはともかくとしても、少なくとも「国民党や共産党の党是」として堅持されてきていることは、現実の状況が証明しているところである。

3.中国を統治するためのイデオロギーの特徴

儒教

1)多元的価値共存の否定

このことは指導的なイデオロギーについても同様であって、多様な価値が並立する中華世界を帝国的秩序のもとにまとめていくためには、統一的イデオロギーが必要だ、と為政者は考える。多数政党による多元政治が排斥されるとともに、多元的価値の共存が混乱と分裂を招くだけであり統一に弊害をもたらすので、権力を掌握した政権はいずれも自己のイデオロギーを絶対化することで、そのイデオロギーで人民大衆を統一しようとする。イデオロギーと支配の正統性とは、緊密な関係にあるので他者のイデオロギーの存在、共存は排除される。

2)中華帝国から現代中国まで通底する絶対的価値の重視

三民主義

こうした中で辛亥革命前は儒教、中華民国では三民主義、中華人民共和国ではマルクス主義が絶対的価値として君臨してきた。(4)
このように観てくると、中国の基本的な統治構造は王朝時代から人民民主主義の今日に至るまで絶対的価値を重視するという方向性からは、基本的には変化していない、とも言えるだろう。
他方で、このような社会では、民主主義のような多元的価値を認めるような政治のあり方が成立しうるのかどうか、を検討するのは興味深いテーマである。このあと「完全な民主化を達成」し、中華民族が史上初めて民主主義の果実を享受している台湾の状況を検討していきたい。
中国全土で西側民主主義実現が可能なことを台湾の民進党,蔡英文総統当選が実証!
台湾の民主主義体制は、中国共産党一党独裁体制にとり北朝鮮金正恩体制より危険である!

<参考文献>
(1)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第1章 中国の危機とは何か p20
(2)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第1章 中国の危機とは何か p20
(3)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第1章 中国の危機とは何か p21
(4)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第1章 中国の危機とは何か p22

台湾の民進党,蔡英文総統の民主的な統治の成功は中国共産党による一党独裁体制の必然性を否定する!

蔡英文総統

中華世界における全般的な民主化のモデルにもなりうる「台湾の民主化」の奇跡について取り上げる。
中国共産党からの過剰とも言える反発を撥ね退けて当選し、遂に台湾の総統に就任した民進党の蔡英文体制と習近平体制の緊張関係は、今後ますます目が離せないものになりそうであるが、「自由で公正な」選挙により民進党から総統が選出される可能性を開いたのは、かつて李登輝の推進した台湾民主化であった。

1.台湾民主化により達成された成果の確認
2.暴力的反動や政治的混乱が発生しない台湾民主化プロセスの奇跡
 1)繰り返される民主化過程での保守的な逆流現象
 2)台湾における「政治の奇跡」たる平和的民主化の実現
3.日本による「極東の奇跡」を凌駕する「台湾の奇跡」の存在
 1)「日本の奇跡」に比較して取り上げられない「台湾の奇跡」
 2)日本の民主化よりも理想的な台湾の民主化過程

1.台湾民主化により達成された成果の確認

国民党,民進党

賢人支配のエリート政治という歴史的政治的伝統を有する中華世界の一角である台湾において、その民主化によりどのようなことが達成されたのであろうか。
ここで、台湾民主化の成果を整理しておきたい。

①組織論的な意味でレーニン主義的な革命の「前衛政党」として誕生し、社会を権威主義的に上からコントロールしてきた国民党の「競争的民主政党」「包括政党」への転換。
②多くの資産と権益を党、政府、軍が掌握する国民党の「党国家体制」の変容
③国営・党営企業の民営化
④「国家コーポラティズム」的な労働団体の改組と社会運動の担い手としての政治参加実現
⑤党、国家に独占されているTV・メディアの民間への開放(1)

これらの成果のうち、③と⑤の一部については改革開放により、大陸側でも一定の進展が図られたと観られるが、特に①②については台湾民主化の顕著な成果であろう。まさに一党独裁を否定し、賢人政治の伝統とも決別するような選択であり、西欧型の民主主義社会に向けた動きを少なくとも制度的には達成して来ていると言えよう。

2.暴力的反動や政治的混乱が発生しない台湾民主化プロセスの奇跡

エリツィン

1)繰り返される民主化過程での保守的な逆流現象

  
一連の権威主義体制の民主主義体制の移行のプロセスにおいては、ラテン・アメリカや東南アジアの軍事政変、1989年の天安門事件、1991年の旧ソ連での保守派のクーデーターのような保守的な逆流が発生しがちである。そのような過程では、多くの暴力行為や政治的混乱を伴うのが常態と言ってもいいだろう。

2)台湾における「政治の奇跡」たる平和的民主化の実現

祭英文

しかるに台湾における民主化においては、多くの発展途上国に観られる政治参加の拡大から階級間対立、軍事クーデター、政治参加への抑圧へとの逆流を伴わない「平和的民主化」が実現した。これは世界史的に観ても極めて稀なる「例外的事象」であり、台湾にとっては「経済の奇跡」に続く「政治の奇跡」の実現に他ならない。(2)

3.日本による「極東の奇跡」を凌駕する「台湾の奇跡」の存在

1)「日本の奇跡」に比較して取り上げられない「台湾の奇跡」

東海道新幹線開業

確かに、これは奇跡としか表現出来ない例外的な事象と言えるだろう。ただし、この「奇跡」はいまひとつ「世界的な神話」として語りつ くされているとは言えない印象である。恐らく「極東の奇跡」としては、日本の「明治維新」「日露戦争の勝利」「焼け跡からの戦後復興」「経済の高度成長」の方が遥かに世界では有名なのではなかろうか。このことは台湾の関係する直接当事者が「中華人民共和国」という巨大で、西側民主主義諸国も重大な経済的な利害関係を有する「帝国」的国家に関わる問題として、「台湾」での「経済の奇跡」に続く「民主主義の途方もない奇跡的な成果」を額面通りに取り上げたり、強調したりしにくい、ということはあるのではないだろうか。

2)日本の民主化よりも理想的な台湾の民主化過程

GHQ
またこの台湾民主化の過程は、我が国の民主化の過程と比較してみると、その例外的奇跡の有りようが一層際立つかもしれない。すなわち日本の民主化は、太平洋戦争に敗北後の連合国の占領下に、GHQの絶対的影響力のもとで、あくまでも日本国憲法を筆頭に上から与えられたものであったが、台湾民主化の過程は特に諸外国にコントロールされることもなく、流血の混乱もなく、李登輝総統を中心とする台湾自らの代表者のリーダーシップのもとに達成された、ということであり、民主化の過程として教科書的な見本となるものであった。

尚、本稿とも関連する台湾民主化の中国共産党への脅威に関しては、以下のリンクにて詳しく取り扱っています。
台湾の民主主義体制は、中国共産党一党独裁体制にとり北朝鮮金正恩体制より危険である!
 
参考文献
(1)井尻秀憲:台湾経験と冷戦後のアジア 勁草書房 1993 序章 世界史の中の「台湾体験」 p4
(2)井尻秀憲:台湾経験と冷戦後のアジア 勁草書房 1993 序章 世界史の中の「台湾体験」 p5

台湾の中華民族による民主主義体制の成功は、中国共産党一党独裁体制の存在理由を否定する脅威である!

金正恩

「中華民族の国家」として史上初めて民主化した台湾が帝国的な一党独裁の支配体制を継続する中国共産党に与える破壊的なインパクトは北朝鮮の金正恩体制よりも危険である。  

1.民主化した台湾の存在が中国共産党一党独裁に与えた衝撃
 1)中国共産党による「伝統的な賢人政治」がいつまでもつのか?
 2)台湾が自ら選び取った議会制民主主義の重み
 3)中華世界で民主主義運営が可能なことが証明された衝撃
2.台湾の民主化はどのように達成されたのか?
 1)権威主義体制から民主主義体制への移行の前提条件
 2)国家と社会の微妙な距離感と利益調整メカニズムの構築
 3)国民党と人民大衆の民主化に向かう共同体験の進行
3.伝統的な賢人支配のエリート政治を転覆させた台湾の民主化
 1)李登輝と人民大衆による微妙なバランスのゲームの成功
 2)中国共産党にとっての改革モデルとして「台湾民主化」
4.台湾民主化の評価と中華世界統治への影響
 1)台湾民主化の中華世界への衝撃度
 2)「中華民族」が民主主義社会で暮らし続ける重み

1.民主化した台湾の存在が中国共産党一党独裁に与えた衝撃

李登輝

1)中国共産党による「伝統的な賢人政治」がいつまでもつのか?

民主化された台湾の存在は、現在も「伝統的な中華帝国の枠組みを堅持する中華人民共和国」にとって強烈なインパクトを与えていると言えるのではないだろうか。改革開放の進展に伴い、特に沿海部の経済発展は目覚ましいものがあるが、そういう中で「沿海部の中産階級の政治意識」に対して、いつまでも「伝統的な賢人政治」に依拠した発想が通用するのかは疑問もあるかもしれない。

2)台湾が自ら選び取った議会制民主主義の重み

台湾民主化
少なくとも同じ「中華民族」が、他から与えられたものではなく、自ら選びとって議会制民主主義を達成し、曲がりなりにも安定して運営しているというのは、1989年の天安門事件でそのような要求を武力で弾圧した共産党指導部にとって頭痛の種になりかねないだろう。
国内の「平和的民主化」と海外のインフォーマルな経済活動を展開する「台湾経験」は、共産党の一党独裁に固執する中国へのソフトな挑戦として、中華世界の変容を促す世界史的意義を有している。

3)中華世界で民主主義運営が可能なことが証明された衝撃

中華民族民主化

それはまた「家産官僚制」や「東洋的専制主義」と呼ばれ、現在でも「皇帝型権力」の政治的伝統を有するとされる中国に対して、同じく華人社会の一員である台湾において西欧型の議会制民主主義が実現されたことによる中華世界へのソフトな知的挑戦でもある。(1)

2.台湾の民主化はどのように達成されたのか?

台湾民主化t

それでは、台湾の民主化が何故達成されたのかを検討してみたい。

1)権威主義体制から民主主義体制への移行の前提条件

権威主義的体制から民主主義的体制への平和的移行には、「一人あたりのGNPに換算した経済成長」「教育の普及がもたらす識字率の向上」「社会の多元的価値を代表する中産階級の台頭」といった要因と「政治的自由化、民主化の相関関係」を検討する必要がある。(2)

2)国家と社会の微妙な距離感と利益調整メカニズムの構築

台湾民主化111

このような前提に立って、民主化を実現するためには、国家と社会との間に適度な距離が必要であり、国家は多元化する社会に対してどのように具体的に利益の調整をはかり、そのメカニズムの制度化を実現するために最大限の努力を払う必要がある。また民主化へ向かう体制移行の最中には、利益調整のメカニズムを具体的ろに発見して制度化するために国家と社会の双方がともに新たな争点でぶつかり合い、そこから妥協点を見出すという「学習のプロセス」が必要である。(3)

3)国民党と人民大衆の民主化に向かう共同体験の進行

国民党軍
こうしてみると「台湾の平和的民主化」とは、支配者としての国民党と被支配者としての野党や人民大衆が、そうした国家と社会の間に適度な距離を見出して、「具体的な体験」の中で幾多の危機に遭遇しつつ、民主化の必要性を認識してきた「学習のプロセス」を辿ってきたと言えよう。またこのような民主化過程が平和的に遂行されるためには、支配者と被支配者の間で、過度の暴力よりも適度の譲歩と妥協・調和をギリギリのところではかる方がコストが少ないということを認識する「学習のプロセス」も必要であった。(4)

3.伝統的な賢人支配のエリート政治を転覆させた台湾の民主化

李登輝555

1)李登輝と人民大衆による微妙なバランスのゲームの成功

「李登輝総統」と「野党、人民大衆」という政治的なアクターが、それぞれ「支配の正当性」と「政治参加の正統性」を体現しつつ利害の衝突と妥協を繰り返しながら、政治的「学習のプロセス」経験し、そこからバランスと調和を産み出す一定のルール・オブ・ゲームを確立してきた。
このことにより台湾政治の台湾化、民主化、ならびに中台関係の脱内戦化・共存状況の創出に一定の成功を観た。(5)

2)中国共産党にとっての改革モデルとして「台湾民主化」

台湾民主化666
このような微妙で繊細なプロセスを経て、流血を観ないスピーディーな民主化が実現した。中華世界の政治文化として伝統的な賢人政治・エリート政治が当のエリートの側から覆されたわけであり、このことは単なる民主化実現以上に奥深い意味が内包されているように思われる。台湾民主化は、現時点では中華人民共和国の政治体制に対して、重大な影響を与えているとは言えないであろうが、今後改革開放路線の行き詰まりや、官僚の金権腐敗、人権問題や民主化要求に対する体制側の後ろ向きな対応などがクローズアップされてきた時には、一つの改革モデルとして「台湾経験」が大きな意味を持ってくることも考えられる。

4.台湾民主化の評価と中華世界統治への影響

デモ隊

1)台湾民主化の中華世界への衝撃度

「中華帝国」という観点に立てば、台湾は漢人中心の社会とは言え、領域的には閉じられた島であり、到底「中華天下」を包括しているとは言えない。「台湾民主化」は言ってみれば「中華帝国の一省」レベルの話ということになるかもしれない。高度成長期の日本においても国政は自由民主党が盤石に支配している時期に、東京都知事に美濃部亮吉氏が当選して革新都政を展開していた、ということもある。同列には論じられないだろうが、全国支配と地方支配の差は歴然として存在するだろう。

2)「中華民族」が民主主義社会で暮らし続ける重み

祭英文,李登輝

それでは、省レベルは民主化可能だが、帝国全体は共産党が支配を貫徹するということがありうるかというと、これは中華大一統の原理に抵触しかねないとはいえ、香港の実例もあるので、一概には否定できないところである。清帝国には、内地と藩部と言う一国両制の伝統もあり、香港は一国両制の現代版と言うことになるが、台湾もその範疇でとらえられるかもしれない。
いずれにせよ、2000万人以上の大陸の中華世界に住むのと同じ「中華民族」が、完全な西欧型民主主義体制のもとで安定して暮らしている、という事実の大きさは十分にかみしめていく必要があるだろう。

尚、本稿の延長線上で台湾民主化に関しては、以下のリンクでも取り上げています。
中国全土で西側民主主義実現が可能なことを台湾の民進党,蔡英文総統当選が実証!

<参考文献>
(1)井尻秀憲:台湾経験と冷戦後のアジア 勁草書房 1993 序章 世界史の中の「台湾体験」 p5
(2)井尻秀憲:台湾経験と冷戦後のアジア 勁草書房 1993 序章 世界史の中の「台湾体験」 p9
(3)井尻秀憲:台湾経験と冷戦後のアジア 勁草書房 1993 序章 世界史の中の「台湾体験」 p9
(4)井尻秀憲:台湾経験と冷戦後のアジア 勁草書房 1993 序章 世界史の中の「台湾体験」 p9
(5)井尻秀憲:台湾経験と冷戦後のアジア 勁草書房 1993 序章 世界史の中の「台湾体験」 p10

毛沢東が国共内戦で蒋介石に勝利した中国の共産党一党独裁による社会主義革命開始時点の課題の解明!

毛沢東

毛沢東が、国共内戦で蒋介石に勝利した時点で「中国における社会主義革命」で直面した課題への中国共産党の具体的な対応について検討する。

1.半植民地状態からの解放と独立した主権国家の再建
 1)中国におけるナショナリズムの方向性
 2)国民党と共産党に共通する中華民族主義的ナショナリズム
2.自主自立自由の実現:自主独立の気概を持つ市民階級の創生と自由自立した市民による市民社会の構築
 1)西欧における国民国家建設の方向性
 2)中国における市民階級の未成立
 3)中国における人民観
 4)農村に浸透する共産党の論理
 5)共産党の農民政策と白蓮教の類似性
 6)共産党の農民開放と民族解放政策への農民の圧倒的な支持
3.経済的富国化:反植民地状態から自立した経済体制の確立と工業化による産業強化の実現 
 1)中国市場の特殊性と農業集団化の有効性
 2)国家計画経済による工業化推進の必然性
 3)経済面の集団化と計画化による貧困対策の成功

1.半植民地状態からの解放と独立した主権国家の再建

円明園
円明園廃墟

1)中国におけるナショナリズムの方向性

西欧における国民国家建設の根底には、内発的な国民統合としてのナショナリズムがあり、これが西欧列強の帝国主義的発展のエネルギーとなった。しかるに、中華世界におけるナショナリズムの方向性は、欧米列強による侵略からの帝国解体の危機を起点にしており、受け身のナショナリズムとして反帝国主義や半植民地支配からの解放という形態をとって立ち現れることとなった。(1)
中華世界においては、近代が当初は、西欧列強による清朝への圧迫と言う形を取って現れただけに、西欧で成し遂げられたような健全な国民統合としてのナショナリズムの発現は期待出来なかった。
中国人民が下からの民主主義を推進するのが困難な理由の一つに、このような内発的ではない、外発的で受け身的なナショナリズムしか成り立ちえなかった、ということもあるかもしれない。

2)国民党と共産党に共通する中華民族主義的ナショナリズム

中華民族
このようなナショナリズムの高揚において、国民党と共産党は共通点を有していた。共産党は、この段階でのナショナリズム高揚の局面において、その社会主義的要素を敢えて封印し、基本線としては、中華民族の偉大な伝統と自負を強調すると言うスタイルを採用した。この際に、強調されたのは、西欧的な国民国家の枠組みの中でのナショナリズムではなく、伝統的な中華帝国の天下思想にも一脈通じる様な、「中華民族」主義とでも言うべきものであった。そもそも、中華民国においては、国民国家と言う基盤は未成立であり、ネーションステート的ナショナリズムの基盤は皆無であったから、共産党の採用した伝統的な中華民族主義の強調は、選択の余地の無い政策判断であった、とも言えよう。(2)
共産党が、中華世界に浸透する過程において、敢えて社会主義的な色彩を封印し、中華民族主義に立脚して、特に農民の白蓮教的な発想に応える様な運動を展開したことは、非常に柔軟で現実的であり、中華世界の当時の現実にもマッチしていた、と言えよう。
このような中華民族主義や伝統的な民族的自覚の高揚の中で、抗日戦争における民族的団結の維持には成功したが、反面で個人の市民的自覚や個々人の人格の尊重と言った要素は、著しく等閑視され、その後の市民社会の形成を阻害する、過激な集団主義が発芽していったのである。(3)
中華世界の当時の混乱状態の中で、西欧的な市民的自由や人格の尊重を強調することは、かなり困難であったと想定される。抗日戦争を勝ち抜き、国民党との闘いに勝利した後に、安定した社会を早急に構築出来れば、そういうことも可能であったかもしれないが、実際にはそのような西欧的な市民社会の形成に向けた動きは、今日に至るまで積極的に肯定されるには至っていない。

2.自主自立自由の実現:自主独立の気概を持つ市民階級の創生と自由自立した市民による市民社会の構築

バスチーユ陥落

1)西欧における国民国家建設の方向性

本来の国民国家建設の在り方は、本来はその国の人民の自由へのあくなき意志をベースにして、育まれるのが、西欧諸国の行き方であった。すなわち、西欧の国々においては、貴族階級の跋扈する封建的な身分制度を打破し、政治的経済的な分裂割拠の状態を脱するために、領域内における統一した政治支配、統一した市場形成、統合した国民の形成が図られるのが常であった。(4)
西欧においては、上から市民を主導する必要もなく、王権や貴族階級が全力を挙げて、その権利と権力を維持しようとしたにもかかわらず、市民階級の独自の革命運動により打倒されるのが、常であった。

2)中国における市民階級の未成立

孫文
しかるに、中国においては、孫文をはじめとする国民党指導者が常に危惧の念を抱いたように、政治的に責任を果たすのに十分な判断を下せるような、市民階級が未成立であったために、そのような人民による個人的自由の要求の末路が、社会的な個人という単位を単なる個人の本能的な要求の次元にバラバラに砕け散らせるだけと想定された。このため、中国における「自由」の追求は、あくまでも半植民地状態からの解放としての民族的な自由の主張に限定され、市民的な自由の主張は、民族的な団結を阻害する危険思想として、排斥された。国民党のこのような考え方は、共産党も共有しており、元々階級政党であったはずの共産党が、抗日戦争を遂行する中で民族政党として支配の正統性を確保する中で、益々民族的な自由と解放を重視することとなり、市民的開放は等閑視された。(5)

3)中国における人民観

弥勒菩薩
国民党と共産党の人民に対する考え方は、ほぼ共通であり、階級政党であったはずの共産党は、中国の現実の前で、当面社会主義的な在り方を一先ずおいて、民族政党として抗日戦争を勝ち抜くことに専念することで、その支配の正統性を確保した。
さらに、中国においては、自由よりも平等が政治的にも重視され、人民の団結力を高める結果となっていった。共産党は、上海の都市社会で誕生しながら、都市部においては、国民党に敗退した結果、辺境に逃れ、農村部を革命根拠地とせざるを得なくなった。農村に蔓延していたのは、絶対平等を基調とする、千年王国的な白蓮教徒の平等主義であった。それまでの中華世界において、王朝の転覆を実現してきたのも、このような農民を中心とする反乱における、菩薩の降臨と不平等や苦しみからの救済、浄土を建設する絶対平等主義のエネルギーであったと言える。(6)

4)農村に浸透する共産党の論理

農奴制
大都市部で国民党に敗れた共産党が、根拠地とした農村部では、まさに白蓮教的な救済の思想が、未だに息づいており、その根底には自由とか民主と言う以前に、平等それも絶対平等とでも言うべき主張が根強かった。共産党の指導者、特に毛沢東は、このような民衆の絶対平等主義のエネルギーの中に全ての王朝を転覆してきた農民大反乱の根源を観て、現在の中国革命のエネルギーに転化させうると考えたとしても不思議ではない。
共産党は、そうした農村において、農民の平等を阻害する要因である、地主⇒小作関係を解体して、搾取の構造を解消し、独立した自営農民を大量に創出することが、農民解放の課題と位置付けた。そして、このような地主を打倒する土地革命こそが、中華世界における共産党の中心的な革命課題となった。(7)

5)共産党の農民政策と白蓮教の類似性

白蓮
共産党が農村部に立脚し、農村部が膨大な農民層により成り立つ以上、その農民の支持を取り付けるためには、共産党は、平等主義を推進するためにも、地主を排除し、小作人を解放する運動を推進する必要があった。
このように共産党の推進する土地改革は、社会主義的な色彩よりも独立自営農民の創出を目指す、多分に資本主義的な色彩を帯びた改革であったが、共産党の成功要因は、この改革の過程に地主対小作という階級闘争の要素を持ち込んだことにあった。農民にも受け入れやすい、地主を打倒して小作人が解放されると言う、階級闘争の原理は、農民の反地主的な根強い反逆の思想に火を付け、広範な農民の反乱への参加による共産党への組織化に成功した。こうした農奴的状態からの農民の身分支配からの解放を主張する共産党の地主対小作の階級闘争を基調とする土地革命論は、自由よりも平等が強調されることで、大多数の農民からは、白蓮教の千年王国的絶対平等主義にも通じる伝統的な救済の思想と完璧に一致して観えた。(8)
このような共産党の反地主の平等主義的な政策は、大多数の農民から白蓮教の千年王国の実社会への転換の図式とも受け取られ、反地主運動に熱狂的に取り組む農民層を、共産党配下に組織化することを促した。

6)共産党の農民開放と民族解放政策への農民の圧倒的な支持

毛沢東 農村
日本軍の中国侵略により、共産党の農村における白蓮教的な平等への主張は、抗日と言う異民族支配からの脱却を目指す中華世界的なナショナリズムと一体化し、農奴的状態と民族的隷属からの解放の主張となり、このような共産党の農民解放と民族解放に向けた闘争方針が、中華世界における農村部からの圧倒的な支持を調達することに成功した。共産党は、このような展開の中で、農村部をバックに中華人民共和国の成立に至る大きな流れをつくりだすことに成功したが、そうした中で、個々人の政治的自由度は等閑視されることとなった。(9)
反地主と抗日と言う二本柱を押し立てて、中国共産党は農民解放と民族解放の実現のために活動することで、中国の大多数の農民層からの積極的な支持を確保することに成功した。

3.経済的富国化:反植民地状態から自立した経済体制の確立と工業化による産業強化の実現

人民公社

1)中国市場の特殊性と農業集団化の有効性

国民国家における領域内における市場の統一の実現は、国家の資本主義的な発展のための不可欠な施策と言える。そうした中で、中国においては、継続する侵略戦争と統一を阻害する地方割拠への根強い動きによって、経済的な統一が困難になっており、資本主義的な発展による自然な市場統一への希求というナショナリズムが醸成されることは無かった。(10)
西欧においては、考えられないことであるが、市民社会の未成熟な中国においては、市民階級の突き上げによる市場統一の実現は起こりえず、そのような動きは上からのみ成しえるのであった。
このような情勢下において、農村部の貧困問題を解消するための、積極的な施策として採用されたのが、社会主義的な集団主義と規模拡大による生産力向上の実現であった。このような方針の下に、中国における農業の発展が企図され、個人経営的な農業が否定され、大規模灌漑実現のための農業集団化が強力に推進され、人民公社として結実を観た。(11)
中国における農村部の貧困は大問題であり、このような問題の解決策として、農業集団化が実行されたが、この政策は改革開放政策の実施と共に直ちに取り消される運命にあった。

2)国家計画経済による工業化推進の必然性

毛沢東 指導
さらに沿海部において侵略してきた列強が、個々の勢力範囲ごとに個別に開発してきた分散化された工業配置を、全国規模で整合性のとれた形に整備するためには、上からの工業化が不可欠であった。(12)
中国においては、列強がバラバラに権益を確保しており、沿海部の工業化においても、その傾向は顕著であったが、これらを国家計画の下に統合的に推進するためには、上からの工業化以外に取るべき道は無かった。
国民党支配体制における官僚資本を主軸とする経済運営は、中国における経済発展を歪なものとし、健全な民族資本の自由な発展は観られなかった。このような歪んだ産業構造を変革するために、社会主義的工業化政策が採用され、中央統制による国家計画経済をベースにした経済運営が実施に移された。(13)
西欧におけるようなブルジョアジーの健全な発達も中国においては観られず、一部の官僚資本のみが非常に偏った経済的な発展を遂げていたために、このような経済状況をバランスよく立て直すためにも、社会主義的で、国家計画経済を主体とする中央統制をベースにした経済政策を採用せざるを得なかった。

3)経済面の集団化と計画化による貧困対策の成功

毛沢東 スローガン
このような経済面における集団化と計画化の推進により、市場経済原理は否定されたが、これは本来の目的である集団的安定と社会の平等化を実現し、中国に蔓延する都市、農村両面の貧困の撲滅に向けた動きを加速した。一方で、このような政策は、個々人の創意工夫の余地を狭め、独創的な発想を実現する機会を失わせ、市場統一による市場拡大のメリットが資本主義的な経済発展につながることはなかった。(14)
中国の当時の現実においては、やむを得ない事情でもあったろうが、計画経済の導入により、市場経済は否定された。しかし、社会主義的政策の採用による社会の平等化や都市・農村の貧困がある程度撲滅された功績は大きい。
 
<参考文献>
(1)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p361
(2)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p361
(3)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p361
(4)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p362
(5)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p362
(6)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p362
(7)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p362
(8)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p362-p363
(9)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p363
(10)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p363
(11)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p363
(12)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p363
(13)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p363
(14)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p363