中華民国

米中冷戦の渦中に独裁を目指す習近平は武帝時代の董仲舒のような天才イデオローグの力で中華の価値のグローバルスタンダード化を狙う!

習近平は中華の価値を世界標準のスタンダードと置き換えたがっているように観えるが、果たして董仲舒のように中華の価値の体系化総合化に成功し普遍的な世界観を提起出来るのであろうか?

1.近代化の圧力に晒される大清帝国
1)日中関係の文化的形勢逆転の衝撃
2)清朝への日本の近代的立憲君主制の影響
3)中華伝統の天命思想の放棄=君権に対する憲法の優位の明記
2.天命を喪失した皇帝と中華帝国の末路
1)皇帝が天命を喪失した直後に発生した辛亥革命
2)皇帝権の世俗化完了の意義と中国統治体制の選択肢拡大
3)辛亥革命の成功の要因
3.「天命思想」「天下主義」を喪失した近代中国のアイデンティティ確立の行方
1)毛沢東、鄧小平亡き後の状況
2)新時代の董仲舒出現への期待

西太后

1.近代化の圧力に晒される大清帝国

1)日中関係の文化的形勢逆転の衝撃

日清戦争
近代に入って西欧列強のアジアへの進出が進行する中で、安定した統治を誇ってきた中華帝国も西欧列強の圧力にさらされ始めた。
そうした中で、日中の関係は、日本の明治維新の成功により、文化的な形勢が逆転しはじめ、中華帝国にとって、日本と言う、半ば格下の弟子のような存在と位置づけてきた小国に日清戦争により敗退したことは、歴史的な衝撃波となって、何らかの変革の必要性に迫られることとなった。
特に日本の明治天皇が天命思想とは無縁の近代的立憲君主制の下で国家を統治し、遂に列強の一角である大国ロシアとの大戦争に勝利して、国家的な基盤をより強化するに至った。

2)清朝への日本の近代的立憲君主制の影響

大日本帝国憲法
この段階において、清朝としては、天命思想を欠いた日本の近代立憲君主制に習うことを選択せざるを得ない状況に陥っていた、と言えるであろう。
この間の動きを主たる年号で追うと、以下のようになる。
・1901年に義和団事件の講和として辛丑条約が成立したが、これにより、亡国的な状況への危機感が一層強まった。
・1906年に戴沢が訪日して伊藤博文と面会し、官制改革や憲政施行に向けた動きを準備した。
・1908年に憲法大綱、上事論が公布され、君上大権や臣民の権利義務が規定された。この内容は、大日本帝国憲法を踏襲しており、特に「君上大権」の条文は、ほとんど帝国憲法第一章「天皇」の内容が、そのまま採用されている状況であった。(1)
この時、清朝は日本の大日本帝国憲法をほぼ踏襲する形で、中華帝国皇帝の位置付けを憲法上に規定することで、遂に始皇帝以来の統治体制を放棄し、天命思想を捨て去り、皇帝は聖なる存在としての天子の地位を喪失し、「地上の統治者たる皇帝」にその地位と立場を限定する存在となったのである。

3)中華伝統の天命思想の放棄=君権に対する憲法の優位の明記

欽定憲法大綱
この憲法は、立憲主義による君権強化を目指しており、皇帝の権力と権威を立憲政治で回復することが目指されていたが、立憲主義は君権に対する憲法の優位を明記しており、ここに皇帝の権威の大転換、天との関係の断絶、天子としての存在意義の喪失が明らかになった。君権が天の超越性の支えを失い「ネーション化」したことで帝国の権威を象徴する皇帝の政治的身体が国民共同体の象徴に横滑りしたものであり、中華伝統の天命思想が非常に静かな形ではあるが明確に、1908年の時点で放棄されたと言えよう。(2)

2.天命を喪失した皇帝と中華帝国の末路

1)皇帝が天命を喪失した直後に発生した辛亥革命

辛亥革命

天命を喪失した皇帝は、立憲主義の建前の下に皇帝としての権力と権威を失地回復しようとしていたが、天との関係の断絶、天子としての存在意義の喪失ということの意味は、中華帝国の存続にも影響を与えるような静かなインパクトを有していたと言えよう。こののち、形式上の中華帝国は1911年の辛亥革命による清朝の崩壊で、一旦その幕を閉じることとなるのである。
この後、1911年の武昌起義の直後に立憲確約の「重要信条」が出され君権と憲法との関係が明示された。これにより皇帝の権限は憲法に規定する内容に限定されることが確定し、君権の憲法による制約が一層明確化し、皇帝機関説とでもいうべき法体系が現出した。このような天の原理的超越性の衰弱や喪失でネーション化した君権は、この直後に辛亥革命で倒壊し中華民国が成立することとなった。(3)

2)皇帝権の世俗化完了の意義と中国統治体制の選択肢拡大

蒋介石,毛沢東
確かにこのような皇帝の権威の由来の天との断絶や皇帝の権限や君権の基礎が憲法にあることが、明確化してしまうと中華帝国の最高権力者が皇帝である必要はなくなり、憲法の規定する何らかの地位を持った存在が皇帝に取って代わりうることが明確に示される形勢となっていったと言えようか。そういう意味でも、1908年の皇帝権力の世俗化の影響は、中華帝国の世俗化、統治体制の選択肢の拡大を図らずも準備していたと言うことになるのではないだろうか。

3)辛亥革命の成功の要因

孫文,三民主義
こうしてみると辛亥革命成功の基礎的要因の一つに君権、皇帝権の源泉が天から憲法に世俗化、ネーション化を完了していたことが挙げられることになるだろう。これは謂わば、天命思想、天下主義の国民主義化が、清朝の側からも準備されていたことを表すとも言えよう。(4)
このように誰でも、「憲法上の規定により、国家を統治出来ると言う新たな原則を示し、天命思想の放棄や皇帝権力の世俗化を宣言した」ことのインパクトは、中華帝国の近代化にとって非常に大きな意義を持つ、始皇帝の中華大一統達成にも匹敵する画期的な出来事であったと言えようか。

3.「天命思想」「天下主義」を喪失した近代中国のアイデンティティ確立の行方

1)毛沢東、鄧小平亡き後の状況

習近平

いずれにせよ、政治・文化において辛亥革命前後において「天命思想」「天下主義」と言った「聖なる中心」を近代中国が喪失した中で、「冷戦解体後」に孤高の共産主義国家としての立場を保ちつつも、真に安定した国民的アイデンティティの所在ははっきりしているようには観えない。毛沢東の権威や歴史的存在は大きかったが、その後の中国で毛沢東に比肩しうる権威を誇った鄧小平亡き後、中国はかつてのような確固とした「天命思想」や「天下主義」のような規範・信条を欠くなかで、どのように国家の安定を図っていくのであろうか。(5)
天命思想や天下主義を、その支配の根幹として、確立していた中華帝国であったが、天命思想を放棄し、天下主義が列強の圧迫の下で相対化してしまった今日、中華のアイデンティティがどこにあるのかは、明確になっていない。このことは、亡国に直結しかねない混乱状況や国家建設の要請の下で、容易に自らを省みる余裕の無かった毛沢東時代や鄧小平時代であれば、人々の胸に去来することも少なかったであろうが、習近平時代の今日においては、容易に中華世界を混乱させかねない要因として、燻っているのではなかろうか。

2)新時代の董仲舒出現への期待

董仲舒2
儒教が中華の中核となるイデオロギーとして復活するためには董仲舒(天人合一を政治理論化し、儒教独尊=国教化を確立)のような新たな大成者の出現が必要であろう。(6)
中華の中核としてのイデオロギーの確立は急務であると言えるが、その可能性の一端を担う儒教にしても、現状のままではまだまだ厳しいものがあり、習近平の目指す中華価値の世界標準化をモノとカネの世界だけでなく真に実現するためには、かつての武帝時代の董仲舒並みの現代中国にもマッチした思想体系の総合化を行える理論家の出現が待たれるところである。

尚、本稿の中心課題である中華帝国の成立ちや原理に関しては、以下のリンクでも詳しく取り扱っております。
中国伝統の支配正統性の根拠である大一統,天下思想,儒家正統の解明!

参考文献
(1)村田雄二郎:帝国とは何か 岩波書店 1997 中国皇帝と天皇 p123-p124
(2)村田雄二郎:帝国とは何か 岩波書店 1997 中国皇帝と天皇 p124-p125
(3)村田雄二郎:帝国とは何か 岩波書店 1997 中国皇帝と天皇 p125
(4)村田雄二郎:帝国とは何か 岩波書店 1997 中国皇帝と天皇 p125
(5)村田雄二郎:帝国とは何か 岩波書店 1997 中国皇帝と天皇 p131
(6)村田雄二郎:帝国とは何か 岩波書店 1997 中国皇帝と天皇 p131

毛沢東が蒋介石を打倒し共産党一党独裁体制で中国全土を支配するために直面した革命課題の解明!

国共内戦に勝利した中国共産党が、中国における社会主義革命を遂行するにあたって直面した課題について検討する。

1.中国共産党が革命後に直面した課題
 1)国民党から引き継いだ中国の現状の打開
 2)中国共産党独自の国民国家建設方針
2.中国の現状を打開するための革命主体の組織化
 1)中国共産党による新たな革命主体の選択
 2)無限のエネルギーを保持する農民層の国民国家建設への動員
3.中華民国時代の中国の現状と打開すべき革命課題の整理
 1)中華民国時代の中国の現状
 2)中華民国時代の中国の現状を打破するための革命課題

1.中国共産党が革命後に直面した課題

毛沢東,蒋介石

1)国民党から引き継いだ中国の現状の打開

1949年10月1日に、天安門楼閣上において、毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言し、ここから中華世界は、中国共産党主導下に新たなる歴史を刻み始めることとなった。
中国社会主義革命を実現した中国共産党が、まず直面した革命課題は、実際のところ、前政権である中国国民党が直面していた課題と同様であり、中華世界における国民国家の建設と国民党が果たせなかった政治課題の実現にあった。(1)
革命直後の中華世界の状況は、国民党統治下の中国の現状をそのまま引き継いでいたわけであり、そこからどのような未来図を描くかは、毛沢東を始めとする共産党指導部の方針次第であった、と言えよう。

2)中国共産党独自の国民国家建設方針

蒋介石,宋美齢
このように中国共産党の目指すものは、基本的に国民党と同様であり、政治環境に関しても大差ない状態で、共産党が中華世界を引き継ぐことになった。国民国家建設に、最終的に失敗した国民党による未完の国民革命を完遂するにあたって、共産党は国民党による国民国家建設主体とは異なる、新たな革命主体と革命方法を模索して、組織化することで、国民国家建設の新たな地平を切り開こうとした。(2)
共産党は、国民党の轍を踏むわけにはいかなかったが、既に国民党が失敗した革命方法を、いろいろと咀嚼する中で、新たな革命方式を編み出していったのではないかとも考えられる。

2.中国の現状を打開するための革命主体の組織化

長征

1)中国共産党による新たな革命主体の選択

新たな革命主体に関して言えば、国民党主体から共産党主体に変革されたが、このことは、国民国家建設を巡る大きな構造的な変化とは言い得ないところであった。すなわち、国民党も共産党も上からの国家建設、改造を目指したと言う見地からは、同様と言える状況であった。国民党による国家建設と共産党のそれとの最大の相違点は、後者が農民階級の変革エネルギーの革命状況への反映や組織化に成功したことが大きかった。(3)
共産党の農村への浸透は当初は、自ら選択した方針と言うよりは、上海をはじめとする都市部において、国民党との抗争に敗北したため、やむを得ず選択された一面が大きかった。しかし、その後の展開を考えると、革命根拠地の農村への移転と毛沢東の柔軟な指導の合体が、成立したことにより、中国革命の推進力が得られたと言っても過言ではなかった。

2)無限のエネルギーを保持する農民層の国民国家建設への動員

農民反乱
中国においては、王朝崩壊時に常に農民の大反乱が発生し、旧王朝の残滓を徹底的に破壊しつくすのが常であったが、共産党もそのような無限とも言えるような農民層のエネルギーを巧みに汲み取って、革命闘争に注入することに成功したのである。
さらに、共産党は国民党に無い国民国家建設手法として、社会主義的な手法を採用し、国民革命遂行の有効な達成手段として活用することを試みたのであった。
     

3.中華民国時代の中国の現状と打開すべき革命課題の整理

太平天国の乱

それでは、国民党が中華民国時代に成し遂げられなかった中国の現状とそれを打破するための革命課題を以下に列挙する。

1)中華民国時代の中国の現状

①欧米の帝国主義列強により、侵略の対象となったことによる、反植民地状態の恒常化
②清朝以来の身分制の残存や市民階級の未成熟、欧米列強からの人種差別的な支配の甘受
③清朝以来の分散経済の残存や欧米列強による半植民地による収奪による人民の貧困化
④清朝の中央集権体制が瓦解したことによる群雄割拠的な状況の招来
⑤清朝の中央集権的軍中枢掌握の崩壊による構造的内戦状態の膠着化
⑥党による上からの支配による人民大衆の政治的疎外と国民意識の未分化

2)中華民国時代の中国の現状を打破するための革命課題

自力更生

①独立の達成:欧米列強による反植民地化状況を打開と独立した主権国家の再建
②自主自立自由の実現:自主独立の気概を持つ市民階級の創生と自由自立した市民による市民社会の構築
③経済的富国化:反植民地状態から自立した経済体制の確立と工業化による産業強化の実現
④領域支配の貫徹:領域内における統一的な支配と中央集権化した国家体制の確立
⑤領域内における平和:軍中枢の中央支配の確立と唯一の国軍確立による軍閥割拠状態の解消
⑥人民の政治参加:人民大衆の政治的自覚の覚醒と政治参加による国民国家意識の創生(4)

  

参考文献
(1)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p359
(2)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p359
(3)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p359
(4)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p360

孫文,蒋介石らの国民党政府による中華大一統と帝国的秩序再建の失敗要因の検討!

蒋介石

辛亥革命後のウェスタン・システムの脅威の中での中華民国,国民党政権による帝国的秩序再建の試みの挫折とその要因について解明する。

1.辛亥革命後の中華民国の課題
 1)ウェスタン・システムの拡大とアジア諸国の再編
 2)西欧世界と対抗・共存可能な国家の再建
2.辛亥革命後の国民国家建設の主体
 1)国家建設主体の正統性調達原理
 2)国民党による訓政独裁政権による国民国家建設の前提条件の整備
3.軍事面の統一の推進状況
 1)軍権の全面的掌握の失敗
 2)軍権の全面的掌握失敗の影響
4.財政面の統一の推進状況
 1)国民党政権維持の基盤となった財政面の統一
 2)幣制改革の実施と国家経済の寡占化
 3)経済の一部資本家による私物化の弊害
5.思想面の統一の推進状況
 1)孫中山の三民主義の思想イデオロギー化推進
 2)思想統一による国民統合の挫折
6.中華民国時代の中国と昭和初期の日本の対比
 1)「国家・国民意識総動員」を必要とした日本の危機の時代
 2)日本の危機の時代状況と中華民国の状況の類似性

1.辛亥革命後の中華民国の課題

辛亥革命1

1)ウェスタン・システムの拡大とアジア諸国の再編

辛亥革命以前の中華世界においては、歴代の王朝によって彩られる強固な中華帝国の皇帝専制体制が続いてきた。しかるにアヘン戦争以来の西欧列強の中国侵略が活発化するにつれて、半植民地化され、結果的に統一的な帝国は瓦解の危機に瀕することとなった。中国の近代とは、このような瓦解しつつある伝統的な帝国を近代的に再編するための苦悩の歴史となったと言えよう。
これは、「西欧国家体制(ウェスタン・システム)の世界的拡大の過程においてアジア諸国が解体・再編成される近代化の苦悩」(1)でもあった。
また中東のイスラム世界は、このような近代的再編の過程で、跡形もなくなく解体された。(2)

2)西欧世界と対抗・共存可能な国家の再建

中華民国旗
このような帝国瓦解の危機の中で、西欧世界と対抗・共存するために、必然的にウェスタン・システムの中核をなす独立した国民国家の建設を目指した(3)のが、中華民国=国民党政府の役割であったと言えよう。
国民国家の西欧的基準としては、市民的自由を有した国民を中心として、統一国家・統一市場の建設とそのための国民統合を目指すということになるが、中華世界においてはこの中核的存在たる「市民的自由を有した国民」は不在であったため、上からの国民国家建設が志向された。(4)

2.辛亥革命後の国民国家建設の主体

蒋介石閲兵

1)国家建設主体の正統性調達原理

それでは、このような上からの国民国家建設を行うにあたっての正統性は、どこから調達されるのであろうか。
「市民的自由を有した国民」は不在であるとすれば、そこに頼ることも出来ない。そこで出てきたのが、いわゆる「訓政独裁論」であった。
これは、「未熟な国民に代わって国民党が政治的軍事的に独裁政権を樹立し、上から強力に国民国家の建設と経済発展、政治制度の近代化を促進する」(5)と言うものである。
またこの「訓政独裁論」は、孫中山が好んで用いた「以党治国」論を中核にしていた。これは人民に代わって党が国家を統治するという「代行システム」を意味し、その前提条件としては「中国の国民には自己を統治する政治能力が存在しないと言う断定」があった。孫中山は、このように有能なエリート集団である国民党が全権を掌握し、無能な大衆を訓導することで、はじめて近代的統一国家の建設が可能であると考えていた。(6)

2)国民党による訓政独裁政権による国民国家建設の前提条件の整備

蒋介石2
中国国民が無能であるとは思えないが、国家安全保障上の緊急の非常事態においては、軍隊的な指揮命令系統の一貫した一枚岩の組織で、紡錘陣形で一点突破せざるを得ないようなこともあるだろう。ただし、民意のチェックの無い長期独裁権力は、確実に腐敗堕落するので、訓政独裁に関してもその停止条件と次の体制への平和的移管方式を明確にしておくことは大前提となろう。
こうした国民党による「訓政独裁政権」のもとで、強力な近代的国民国家建設を目指して、その前提となる「軍事面の統一」「財政面の統一」「思想的な統一」が推進されることとなった。(7)それでは、国民党によるこれらの3つの国民国家建設の前提条件整備の行方はどうなったのであろうか。

3.軍事面の統一の推進状況

張学良

1)軍権の全面的掌握の失敗

まず軍事統一についてであるが、国民党政権時代は抗日戦争・国民党内部の軍事抗争・共産党との内戦等、常に戦争と内戦に明け暮れていた。このため国民党政権としては、軍閥割拠の状況を排除し、国民党のもとに全軍を掌握する体制確立が急務となった。
北伐戦争における国民革命軍すらも、元は旧軍閥の私兵集団を糾合したものであったので、蒋介石はこれらの軍隊を国民革命軍総司令のもとに再編・統一すべく1929年1月に編遣会議を招集し、全ての軍隊を中央の全国編遣委員会に従属させようとした。しかし、地方軍閥が既得権益保持のために反発し、反蒋戦争となった。この反蒋戦争は張学良らの協力で抑えきったものの、国民党政権=蒋介石が軍権を全面的に掌握することには失敗した。(8)

2)軍権の全面的掌握失敗の影響

袁世凱
抗日戦争や共産党との内戦以前の問題として、国民党内部の軍権の掌握にこれだけ手間取ると、このような戦争の時代に政治的な主導権を握ることが困難になってしまうだろう。袁世凱が権力を伸張させた理由が、清朝政権下及び辛亥革命後におけるその軍事的なパワーの結集に成功したことにあったのと裏腹に、国民党政権では軍権が分散していたことが、国家権力が集中的に発揮出来なかった主要な一因とも言えるだろう。

4.財政面の統一の推進状況

浙江財閥

1)国民党政権維持の基盤となった財政面の統一

次に財政面の統一についてであるが、国民党政権はこの方面では一定の成果を収めたと言えよう。そして、このことが国民党政権が、中華世界の最も困難な時代に20年にわたって政権を維持出来た根拠の一つと言えようか。
財政的な強化の第一の要素としては、中国ナショナリズムが求め続けていた関税自主権の回復の実現が挙げられる。まず「関税自主権の回復が、1928 年の中米関税条約から 1930 年の日中関税協定にいたる諸条約によって達成された。同時に、28年関税から 34年関税にいたる交渉過程で、関税の引上げにも成功を収めた」(9)のであった。

2)幣制改革の実施と国家経済の寡占化

四大家族
さらに財政的強化に貢献した第二の要素としては、幣制改革があった。1935年11月イギリスのリース・ロス指導下に、中央銀行・中国銀行・交通銀行に法幣発行の権限を与え、イギリス・ポンドとリンクさせようとした。このような通貨の統一と安定化政策は、中国経済の発展にインパクトを与えることに成功した。一方で政府が通貨発行の三銀行を支配し、蒋介石が軍事費捻出のために通貨増発と金融市場操作に走ったことと、「四大家族」と言われる官僚資本家による国家経済の寡占化が進んだこと、のために健全な財政統一は実現しなかった。(10)

3)経済の一部資本家による私物化の弊害

宗家三姉妹
この財政面の状況は、国民党政権にとって強い追い風となしうる成果であったように思われるが、どちらかというと蒋介石及び一部の資本家たちによって、その成果が職権乱用的に私物化されてしまった印象が強い。本来は軍事的に追い詰められつつも、関税自主権の回復と言った国権発揚の機会をフルに活かしたり、通貨の統一と安定化による健全な経済発展の可能性を目先の利益につなげるだけでなく、もう少し長期的な資本主義的な市場の発展につなげていければ、その後の歴史も変わってきたかもしれない。

5.思想面の統一の推進状況

三民主義,孫文

1)孫中山の三民主義の思想イデオロギー化推進

最後に思想面の統一についてであるが、これは孫中山の「三民主義」を思想イデオロギーの中核に据えようとする運動の形態を取った。国民党政権の「訓政独裁」が成り立つ前提条件は、人民大衆の政治的未熟にあるとするのであれば、人民を政治的に教育=訓導していく必要があるだろう。
孫中山によれば、「バラバラの砂」である人民を団結した国民に改編する必要があるのであり、国民統合の課題を実現する必要があった。
また蒋介石は、自由な市民の自由な連合による国民統合ではなく「三民主義」による強引な思想統一を目指した。これは、1934年以降「新生活運動」による道徳主義的民族復興運動となり、抗日戦争期には「国民精神総動員」運動として組織された。これらは「忠孝仁愛信義和平」をスローガンに国家と国民党に忠誠をつくすことを目的とした国民意識の統合であった。

2)思想統一による国民統合の挫折

蒋介石111
このような運動は、国民党内では汪精衛による「国民の思想統一による蒋介石個人独裁化」批判につながり、一方では青年層への共産主義思想の浸透もあって、思想統一による国民統合は挫折した。
こうして思想統一は、人民の政治的成熟を志向しながら、党イデオロギーへの強制的な政治動員しか産み出さず、自由な政治的選択と自主的な政治参加の機会を失わせ、自律的な政治的成熟を困難にした。こうして国民不在は継続することとなり、そのために以党治国の訓政独裁と言う過渡的体制は、その後も継続していくこととなった。(11)

6.中華民国時代の中国と昭和初期の日本の対比

国家総動員

1)「国家・国民意識総動員」を必要とした日本の危機の時代

ここで我が国との対比してみると、明治維新後の大日本帝国について言えば、明治時代の国力増強の成果も踏まえて、第一次世界大戦の戦勝もあり、大正時代には民主主義も開花して自由で豊かな「大正デモクラシー」時代を謳歌したということがあった。
その後、状況が激変し大恐慌から戦争の時代に突入して「国家総動員」を基調とする太平洋戦争での日米決戦にまで至ることとなった。
すなわち、自由な市民が繁栄を謳歌した時代を潜り抜けた先の危機の時代においては、上からの「国家総動員」=「国民意識総動員」や「赤紙」による強制的な国民の戦争への徴兵が遂行されたわけである。

2)日本の危機の時代状況と中華民国の状況の類似性

蒋介石,毛沢東
そういう観点から見れば、中華民国=国民党政府時代の中国は、まさに大日本帝国に当てはめれば、その全期に渡って昭和初期並みあるいはそれ以上の危機の時代であったとも言えるわけであり、そこにおいて常に上からの「訓政」や「国民意識総動員」が行われたのも無理のないこととと言えるかもしれない。
結局、このような経過を辿る中で中国国民党による近代的国民国家建設の試みは失敗に終わり、中国国民党との内戦に勝利した中国共産党が同様な政治課題に取り組んでいくこととなった。

尚、本稿とも関連する中華民国、国民党政府時代の中国の混乱については、以下のリンクでも取り扱っております。
孫文,蒋介石,国民党政府が目指した近代化,国民国家建設,帝国的秩序再建の行方!

参考文献
(1)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p345
(2)鈴木董:イスラムの家からバベルの塔へ リブロポート 1993 第2章 「西洋の衝撃」とイスラム国際体系 p65
(3)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p346
(4)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p346
(5)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p354
(6)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p355
(7)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p355
(8)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p356
(9)久保亨(信州大学):第九回 2009年12月18日 「関税自主権の回復と幣制改革」ASNET講義録 平成21年度冬学期「書き直される中国近現代史(その2)」
(10)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p357-p358
(11)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p357-p358

中国の伝統的な帝国支配構造、賢人政治と近代以降の国民党、共産党による一党独裁体制の同一性!

台湾

孫文による辛亥革命を起源に持ち、「以党治国」を掲げてエリートによる一党独裁体制を一貫して貫いてきた国民党が支配する台湾が、1990年代に中華世界において歴史上初めて完全な民主化を達成したことの意義とその影響を検討する。

1.中華天下における統治方式の特徴
1)中華世界という巨大帝国を統治するための方策
2)強力な一元的支配を貫徹するための中核の必要性
2.中華世界における独裁権力を正統化してきた論理
1)何故中国には独裁的権力が必須なのか?=エリート専制支配の正統化
2)中国伝統の賢人政治を継承する国民党、共産党
3.中国を統治するためのイデオロギーの特徴
1)多元的価値共存の否定
2)中華帝国から現代中国まで通底する絶対的価値の重視

1.中華天下における統治方式の特徴

大清帝国

1)中華世界という巨大帝国を統治するための方策

中華世界は、欧州並みの面積を持つ巨大帝国であって、その内部は異質で多様な政治、経済、社会的要素が混在した多元的社会であると言える。多元社会であれば、それを反映した多元政治が似合うと思われるが、現実はその反対の政治体制が続いてきている。
すなわち多元社会であるからこそ、その内部に異質な要素がひしめき合っている帝国を統一するには、強力な一元的支配が必要であると歴代の為政者は考えてきた。(1)

2)強力な一元的支配を貫徹するための中核の必要性

国民党,中華民国旗

一元的支配を行うには、一元的支配の中核が必要になるが、辛亥革命前の段階ではその中核は、皇帝を頂点とした巨大な官僚体制であり、辛亥革命後は皇帝専制に代わって国民党や共産党が登場してきた。(2)
このように中華世界においては、有史以来一貫して人民大衆が政治の主体になることはなく、あくまでも統治される立場にとどまってきた。このような状況は辛亥革命においても大きく変化することはなく逆に近代化に伴い支配体制が洗練され、国民党あるいは共産党の党のエリートによる独裁体制が強化されてきたとも極言出来よう。

2.中華世界における独裁権力を正統化してきた論理

訓政

1)何故中国には独裁的権力が必須なのか?=エリート専制支配の正統化

それでは、辛亥革命を経過しながらも相変わらず中華世界で「一党独裁」を正統化してきた論理とは何だったのだろうか。
中華世界において、皇帝支配から始まり、袁世凱の帝政論、孫文の訓政論、共産党の独裁論の底流を流れる一貫した共通認識として、「中華世界の大衆の意識が低い」というものがある。これが全ての出発点であって、人民大衆には「帝国瓦解の危機意識」もなければ、「帝国統一の政治的技能」もなく、「政治思想」もないということを前提としている。ここから選ばれた知識人の代表のみが指導的中核を形成するという論理が正統化されてくる。また伝統的な天が人民の中の最も優秀で徳のある賢人を選び出して、天子として無能な人民を統治させる権限を与えるという伝統的な天下論も形成されてくるし、この賢人政治の伝統は現在まで直結している。またこのような賢人政治が崩れて、人民大衆が政治に登場すれば帝国的統一秩序が崩壊するという危機感も一貫してきている。(3)

2)中国伝統の賢人政治を継承する国民党、共産党

周恩来

このように伝統的な賢人政治の発想は、当の人民大衆がどのように考えているかはともかくとしても、少なくとも「国民党や共産党の党是」として堅持されてきていることは、現実の状況が証明しているところである。

3.中国を統治するためのイデオロギーの特徴

儒教

1)多元的価値共存の否定

このことは指導的なイデオロギーについても同様であって、多様な価値が並立する中華世界を帝国的秩序のもとにまとめていくためには、統一的イデオロギーが必要だ、と為政者は考える。多数政党による多元政治が排斥されるとともに、多元的価値の共存が混乱と分裂を招くだけであり統一に弊害をもたらすので、権力を掌握した政権はいずれも自己のイデオロギーを絶対化することで、そのイデオロギーで人民大衆を統一しようとする。イデオロギーと支配の正統性とは、緊密な関係にあるので他者のイデオロギーの存在、共存は排除される。

2)中華帝国から現代中国まで通底する絶対的価値の重視

三民主義

こうした中で辛亥革命前は儒教、中華民国では三民主義、中華人民共和国ではマルクス主義が絶対的価値として君臨してきた。(4)
このように観てくると、中国の基本的な統治構造は王朝時代から人民民主主義の今日に至るまで絶対的価値を重視するという方向性からは、基本的には変化していない、とも言えるだろう。
他方で、このような社会では、民主主義のような多元的価値を認めるような政治のあり方が成立しうるのかどうか、を検討するのは興味深いテーマである。このあと「完全な民主化を達成」し、中華民族が史上初めて民主主義の果実を享受している台湾の状況を検討していきたい。
中国全土で西側民主主義実現が可能なことを台湾の民進党,蔡英文総統当選が実証!
台湾の民主主義体制は、中国共産党一党独裁体制にとり北朝鮮金正恩体制より危険である!

<参考文献>
(1)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第1章 中国の危機とは何か p20
(2)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第1章 中国の危機とは何か p20
(3)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第1章 中国の危機とは何か p21
(4)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第1章 中国の危機とは何か p22

孫文,蒋介石,国民党政府が目指した中国の近代化,国民国家建設,中華大一統,帝国的秩序再建の行方!

辛亥革命

辛亥革命後に成立した中華民国の国民党政府が一貫して目指していた近代化,国民国家建設,帝国的秩序の再建の状況について取り上げる。

1.辛亥革命が目指したもの
 1)辛亥革命における成功と失敗
 2)辛亥革命の課題を引き継いだ中華民国
 3)辛亥革命の真の課題としての帝国的秩序の再建
2.中華民国の直面した困難な政治状況
 1)中国における伝統的政治意識
 2)辛亥革命後の政治状況
 3)中国が外来文明の衝撃に遭遇した場合の歴史的対応
 4)近代の衝撃に直面したイスラムと中国の状況

1.辛亥革命が目指したもの

1)辛亥革命における成功と失敗

辛亥革命の当初の目的としては「ブルジョワ民主革命」「共和革命」が標榜されていた。そうした中で現実の革命においては、「王朝体制打倒」「漢族視点からの民族革命」としては成功したが、「民主・共和革命」としては失敗した。別の観点からすれば、「王朝体制の崩壊」「伝統的帝国の瓦解」を促したが、「帝国的秩序を再生し統一国家としては再建」することには失敗したと言えよう。
すわなち、「既に立ち行かなくなった旧政権を打倒」したものの、速やかに「新世界秩序の構築」することに失敗し「瓦解した帝国の再建」「分裂した天下を安定的統一世界に再建」することが出来なかった。

2)辛亥革命の課題を引き継いだ中華民国

辛亥革命222
このため辛亥革命において達成出来なかった課題は、その後の中華世界再建のための課題として中華民国期に引き継がれた。また、この課題は、中国知識人、読書人の共通課題となり、その解決に向けた対応が、彼らの存在意義となった。(1)
確かに異民族支配を打倒しても、その後に混乱やアナーキーしか残らないとすれば、革命としては失敗と言わざるを得ないだろう。破壊の後に再生と建設が続かなければ革命の大義は失われかねない。
そういう意味では、辛亥革命の究極の目的は、弱体化した体制を一旦リセットして、より強力で安定した秩序を再建するという伝統的中華世界において繰り返された循環論的な要素も濃厚だったのではなかろうか。そして、辛亥革命においては農民大衆が静観(2)していたため、大規模な 農民反乱のような旧体制の全面的な破壊に至らなかった(3)ので、新体制に向けての全面的な刷新が上手くいかなかった要素もあるかもしれない。

3)辛亥革命の真の課題としての帝国的秩序の再建

溥儀
辛亥革命により既に統治能力を喪失しつつあった清帝国は崩壊したが、その後に速やかな帝国的秩序の再建に失敗したため中華世界はまさに「帝国の瓦解の危機」に直面した。すなわち、「帝国の瓦解」により以下のような多方面な影響が発生した。

・地理的には、各地に軍閥が軍事的に割拠することで統一帝国が瞬く間に分裂国家・分裂社会へと豹変した。
・政治的には、天下の安定的統一に必要な統一権力が崩壊し、政治的中核が分裂した。
・思想的に観れば、皇帝専制を合理化させてきた伝統的価値観が分裂した。

この時点における中華世界の知識人や読書人の危機意識には、帝国主義列強の中国侵略も関係してくるので民族主義的な色彩も帯びているが、やはり本質的には「伝統的社会崩壊=中華世界としての天下の崩壊や喪失」に関連する危機の要素が中核をなしていた。(4)
これらの課題は、エリートとしての中国知識人、読書人の共通課題となり、その解決に向けた対応が、彼らの存在意義となったとも言えるだろう。

2.中華民国の直面した困難な政治状況

董仲舒

1)中国における伝統的政治意識

中国における政治意識は事実上大衆に由来せず、そのほとんどがエリートに由来すると言う状況がある。そしてそういうエリートは、天下思想をほぼそのまま維持し、しかもその中華天下が危ういという危機意識を共通認識としているということである。このような感覚は、日本人の普通の感覚では、なかなか把握しずらいところもあるかも知れない。島国で外国からの侵略もほとんどなく、民族的にも他者を意識せずに暮らすことが大勢であり、国家領域も日本列島という確固として安定した範囲をイメージ出来る日本人からすれば、「中華天下の広がりの大きさ」や「帝国としての多民族的性格」及び「その分裂の危機の切実さ」は想像の範囲でしか捉えられないところもある。

2)辛亥革命後の政治状況

大一統メカニズム
辛亥革命が旧体制の打倒にのみ成功し、強力な後継政権の確立に失敗したことにより、中華世界の危機的状況はそのまま存続し、「中華大一統成立のための4条件」(5)が揃わなくなった。
大一統の条件が揃わないケースでは中華世界は、魏晋南北朝的な分裂と混乱が発生するパターンに当てはまってくる(6)が、辛亥革命後の中華民国期においても軍閥割拠や諸外国特に日本の侵略と言った混乱が広まり、安定した統一的な領域支配が困難になっていった。とはいえ、中華民国=国民党統治の時期においても中華世界はオスマン帝国のように完全に解体することなく生き延びたことは、歴史的事実であった。

3)中国が外来文明の衝撃に遭遇した場合の歴史的対応

五胡十六国
中国社会内部の混乱が増大し、さらに外来文明の衝撃と結合して短期間に排除出来ない状況に陥ると、大一統を支える内部構造に混乱が発生し、中国社会は特異な準安定構造へと向かう。中国文明は、独自性が強く外来文明の衝撃に対して、素早く自己の枠組みにはめ込んだり、日本のように直輸入することも出来なかった。
中国は、しばし困難な時期を過ごし、混乱や衰亡の局面に陥るが粘り強く外来文化を消化していき、表面的には征服されたように観えても、実は真珠貝のように異物を融かし込んでいった。そしてあたかも征服者が征服・同化されるように、最後は消化と融合の力を発揮して宝のような真珠を完成させてきた。(7)

4)近代の衝撃に直面したイスラムと中国の状況

オスマン帝国崩壊
確かに、中国が強力な同化・吸収力を持っているのは事実かも知れない。中華世界においては、今日に至るまで中華を支配したあらゆる征服民族が呑み込まれ、征服民族の根拠地を含めて最終的には中華天下の拡大につながってきたのも事実である。これまでのところ途中経過ではあるが、近代の衝撃以降の欧米との関係も、その延長線上にあるのかもしれない。中華世界に匹敵する歴史的・地理的・宗教思想的な広がりを誇ったイスラム世界は近代の衝撃の中で木っ端みじんに砕け散ったが、中華世界は何とか生き延び「帝国としての一体性」を保ちつつ発展の端緒をつかみつつあることは我々が日々目撃しているところである。

さらに言えば、もし日本が日中戦争に勝利し、中華の支配者として君臨した場合も、あたかも清朝のように何年かは支配出来たであろうが、そのうち圧倒的な漢族の渦に飲み込まれて、日本列島が中華天下の不可分の一部として組み込まれた可能性は低くないような気がするが、これは当たらずといえども遠からず、と言うことにならないだろうか。

本稿に関連して、以下のリンクでは辛亥革命後の中華世界を統治する役割を担った「中華民国=中国国民党政府」の課題と挫折の道筋について検討する。
孫文,蒋介石らの国民党政府による中国の帝国的秩序再建が挫折したのは何故か!

参考文献
(1)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第1章 中国の危機とは何か p11-p13
(2)J・チェン:袁世凱と近代中国 岩波書店 1980  第12章 評価  p292
(3)金観濤:中国社会の超安定システム 研文出版 1987 第三章 大動乱との崩壊 p104-p105
(4)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第1章 中国の危機とは何か p13
(5)金観濤:中国社会の超安定システム 研文出版 1987 第一章 中国封建社会の宗法一体化構造 p32
(6)金観濤:中国社会の超安定システム 研文出版 1987 第六章 撹乱、衝撃と準安定化構造 p167
(7)金観濤:中国社会の超安定システム 研文出版 1987 第六章 撹乱、衝撃と準安定化構造 p185

辛亥革命後の中国の近代国家建設における皇帝専制,儒教正統に替わる支配正統性調達原理!

中国における近代化

中国における近代化の特殊性や中国と日本、ドイツの近代化過程の比較及び中国における近代化の端緒となった辛亥革命後の皇帝専制、儒家正統に替わる中国統治の支配正統性調達原理等について検討する。

1.中国における近代化国家建設への課題
 1)全欧洲並みの巨大帝国を統治する方法
 2)中国におけるナショナリズム発生の道筋
 3)中国における大衆の政権支持の基準
2.中国と日本における近代化のモデル
 1)近代化のモデルとしてのドイツ帝国
 2)日中独に類似する近代化に向けた環境
3.辛亥革命後の中国統治の正統性の根拠
 1)中華民国における正統政府とは何か
 2)孫中山政権を引き継ぐ国民党政権
 3)中華民国における「帝国性の証明」

1.中国における近代化国家建設への課題

孔子,儒教

1)全欧洲並みの巨大帝国を統治する方法

辛亥革命以前の中華世界は、「儒教哲学」「天下大一統」を中核とした集権国家であったが、その領域はウラル以西の欧州全域に匹敵する巨大帝国であり、実態としては分散的モザイク社会的要素が強くなる傾向があり、「強力な中央集権力」と「イデオロギーの統一」があってはじめて成立し得る国家であった。このような状況を背景とする皇帝専制支配体制においては、「大衆は政治から排除されており、知識階層による排他的な賢人支配が成立」(1)していた。
このような巨大帝国を長期的に安定して維持するためには、集中と分散のバランスを確保するための統治技術の習得が必須の課題であった。

2)中国におけるナショナリズム発生の道筋

中華民族ナショナリズム
このような巨大に過ぎる「中華帝国」はある意味では天下としての世界そのものであり、国家ではないという観念が一般的で、世界そのものについてナショナリズムは成立しえない状況が有り、近代的国際秩序に当てはまるようなネーション化が困難であった。(2)
近代ナショナリズムは、統一的な権力・軍隊・国家意志・市場を基本とするが、中華世界的な状況下でこれらが民衆に根付くのには時間がかかった。一方で人民大衆から観た場合には、ここに提示された統一志向が権力の正統性の判断基準となった。いずれにせよ、「統一」は、中華民国全期にわたる中心課題となっていた。(3)

3)中国における大衆の政権支持の基準

中華天下分裂
中国の人民大衆にとっては、近代国家の要件やナショナリズムの問題よりも、権力者が統一志向を有しているかどうかが、その政権を支持するかどうかの主たる基準となっていた、ということである。
辛亥革命に主体的に参加することの無かった、人民大衆の意識は革命前後で大きな変化は無かったということかも知れない。人民大衆にとっては、天下が崩壊して分裂し、自分達の住む世界が訳のわからないものに変化することを恐れる、非常に保守的なイメージで、統一を志向していたのではないか、とも想定される。
  

2.中国と日本における近代化のモデル

1)近代化のモデルとしてのドイツ帝国

元来中国が天下の中心である間は、伝統的な農業国家で十分であったが、列強の侵略により、このような伝統的な天下概念は覆された。このため列強に追いつく方策として、何よりも軍事力と産業力を高めることが喫緊の課題となった。こうした中で、歴代の政権あるいは革命運動家は理想の国家像を、ビスマルク以来の富国強兵政策を強引に進めて後発資本主義国家として対応してきたドイツ帝国に求めた。プロイセンの軍国主義は、フランスとロシアという大国の圧力のもとで自国の安全保障を図る一つの近代化のスタイルであったが、列強の圧倒的な軍事的経済的侵略に苦しむ中国が、プロイセン型軍国主義を採用して列強に対抗しようとするのは必然的な帰結であった。この後、北洋軍閥が国民党に最終的に敗北した最大の理由は、こうした産業化を上手くやり遂げられなかったことによる。(4)

2)日中独に類似する近代化に向けた環境

ウィルヘルム二世
明治維新で日本がモデルにした国家もプロイセンであったことを考えると、日中独の置かれた当時の歴史的・政治的・軍事的環境が広い意味で類似していた有りようが浮かび上がってくるだろう。この後、両大戦から戦後を経て今日に至るこの三カ国の運命の変転は、他の国のそれを上回るようなまさに壮大な歴史絵巻の感があるが、それぞれ先行する列強の脅威に対抗する遅れてきた民族の精一杯の抵抗の姿としては感慨深いものがある。
  

3.辛亥革命後の中国統治の正統性の根拠

北伐形勢

1)中華民国における正統政府とは何か

ここで中華民国における正統政府とは何かについて確認しておきたい。中国語で正統性は、法統と表現されるが、中華民国の政府は元来議会によってその正統性が付与されるシステムになっているので、辛亥革命後の最初の議会すなわち1912年の中華民国約法によって成立した議会の法統を継承する政権が正統政府と言うことになる。その後、北洋軍閥政府と広東国民政府との並立が発生するが、国民党政権が北伐統一戦争で勝利して南京国民政府が成立することで、中華民国の正統政府としての法統を受け継いだ。

2)孫中山政権を引き継ぐ国民党政権


南京国民党政権は、北伐戦争完遂の中で政権を確立したのであり、それ以前の中華民国の政権とは異質な革命政権であったとも言えよう。とはいえ中華民国約法を産んだ母体が孫中山政権であったので、国民党はその伝統に依拠した政権と言うことで、実質的には異質の政権でありながら国民党政権が中華民国の法統を継承した、と強調することが出来たのである。このように中華民国の歴史においても法統の持つ意義は大きかった。(5)

3)中華民国における「帝国性の証明」

中華民国
辛亥革命以前のように天命による法統の行方が取りざたされる印象である。すなわち「天に革って議会が支配の正統性を付与」するはずの「中華民国の法統」が放伐=北伐統一戦争により国民党政権に移行して正統性を確保したということである。これは突き詰めると、まだまだ「天命が革まる」ということが「放伐革命」によることもあるということが、中華民国と言う同一体制内においても公認されていたということの証左かもしれない。「帝国性の根源」である「天命思想」は、このようなところにも息づいていたと言えようか。
本稿に関連して、以下のリンクでは辛亥革命後の中華世界を統治する役割を担った「中華民国=中国国民党政府」の課題と挫折の道筋について検討する。
孫文,蒋介石らの国民党政府による中国の帝国的秩序再建が挫折したのは何故か!

参考文献
(1)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第1章 中国の危機とは何か p20-p21
(2)加々美光行:中国の民族問題 岩波書店 2008 序章 中国の民族問題とは何か p5-p7 
(3)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第11章 中華民国の分析視角 p335
(4)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第11章 中華民国の分析視角 p335
(5)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第11章 中華民国の分析視角 p336-p337