⭕️辛亥革命以降の中国近代化の特殊性・課題及び、その解決策の検討!
辛亥革命以来課題として認識されながらも国民党政権の支配する中華民国時代では解決されずに先送りされた中国における変革課題は、中国共産党が国共内戦に勝利して中華天下を支配し始めると直ちに切実な課題として取り組まざるを得なくなっていきます。
ここでは国共内戦で蒋介石に勝利した時点で、毛沢東が直面したそれらの辛亥革命以来の混乱の中で放置あるいは解決をみなかった様々な課題について確認し、それらへの中国共産党の具体的な対応策を検討していきます。
半植民地状態からの解放と独立した主権国家の再建
中国におけるナショナリズムの方向性
西欧における国民国家建設の根底には、内発的な国民統合としてのナショナリズムがあり、これが西欧列強の帝国主義的発展のエネルギーとなった。しかるに、中華世界におけるナショナリズムの方向性は、欧米列強による侵略からの帝国解体の危機を起点にしており、受け身のナショナリズムとして反帝国主義や半植民地支配からの解放という形態をとって立ち現れることとなった。(1)
中華世界においては、近代が当初は、西欧列強による清朝への圧迫と言う形を取って現れただけに、西欧で成し遂げられたような健全な国民統合としてのナショナリズムの発現は期待出来なかった。
中国人民が下からの民主主義を推進するのが困難な理由の一つに、このような内発的ではない、外発的で受け身的なナショナリズムしか成り立ちえなかった、ということもあるかもしれない。
国民党と共産党に共通する中華民族主義的ナショナリズム
このようなナショナリズムの高揚において、国民党と共産党は共通点を有していた。共産党は、この段階でのナショナリズム高揚の局面において、その社会主義的要素を敢えて封印し、基本線としては、中華民族の偉大な伝統と自負を強調すると言うスタイルを採用した。この際に、強調されたのは、西欧的な国民国家の枠組みの中でのナショナリズムではなく、伝統的な中華帝国の天下思想にも一脈通じる様な、「中華民族」主義とでも言うべきものであった。そもそも、中華民国においては、国民国家と言う基盤は未成立であり、ネーションステート的ナショナリズムの基盤は皆無であったから、共産党の採用した伝統的な中華民族主義の強調は、選択の余地の無い政策判断であった、とも言えよう。(2)
共産党が、中華世界に浸透する過程において、敢えて社会主義的な色彩を封印し、中華民族主義に立脚して、特に農民の白蓮教的な発想に応える様な運動を展開したことは、非常に柔軟で現実的であり、中華世界の当時の現実にもマッチしていた、と言えよう。
このような中華民族主義や伝統的な民族的自覚の高揚の中で、抗日戦争における民族的団結の維持には成功したが、反面で個人の市民的自覚や個々人の人格の尊重と言った要素は、著しく等閑視され、その後の市民社会の形成を阻害する、過激な集団主義が発芽していったのである。(3)
中華世界の当時の混乱状態の中で、西欧的な市民的自由や人格の尊重を強調することは、かなり困難であったと想定される。抗日戦争を勝ち抜き、国民党との闘いに勝利した後に、安定した社会を早急に構築出来れば、そういうことも可能であったかもしれないが、実際にはそのような西欧的な市民社会の形成に向けた動きは、今日に至るまで積極的に肯定されるには至っていない。
自主自立自由の実現:自主独立の気概を持つ市民階級の創生と自由自立した市民による市民社会の構築
西欧における国民国家建設の方向性
本来の国民国家建設の在り方は、本来はその国の人民の自由へのあくなき意志をベースにして、育まれるのが、西欧諸国の行き方であった。すなわち、西欧の国々においては、貴族階級の跋扈する封建的な身分制度を打破し、政治的経済的な分裂割拠の状態を脱するために、領域内における統一した政治支配、統一した市場形成、統合した国民の形成が図られるのが常であった。(4)
西欧においては、上から市民を主導する必要もなく、王権や貴族階級が全力を挙げて、その権利と権力を維持しようとしたにもかかわらず、市民階級の独自の革命運動により打倒されるのが、常であった。
中国における市民階級の未成立
しかるに、中国においては、孫文をはじめとする国民党指導者が常に危惧の念を抱いたように、政治的に責任を果たすのに十分な判断を下せるような、市民階級が未成立であったために、そのような人民による個人的自由の要求の末路が、社会的な個人という単位を単なる個人の本能的な要求の次元にバラバラに砕け散らせるだけと想定された。このため、中国における「自由」の追求は、あくまでも半植民地状態からの解放としての民族的な自由の主張に限定され、市民的な自由の主張は、民族的な団結を阻害する危険思想として、排斥された。国民党のこのような考え方は、共産党も共有しており、元々階級政党であったはずの共産党が、抗日戦争を遂行する中で民族政党として支配の正統性を確保する中で、益々民族的な自由と解放を重視することとなり、市民的開放は等閑視された。(5)
中国における人民観
国民党と共産党の人民に対する考え方は、ほぼ共通であり、階級政党であったはずの共産党は、中国の現実の前で、当面社会主義的な在り方を一先ずおいて、民族政党として抗日戦争を勝ち抜くことに専念することで、その支配の正統性を確保した。
さらに、中国においては、自由よりも平等が政治的にも重視され、人民の団結力を高める結果となっていった。共産党は、上海の都市社会で誕生しながら、都市部においては、国民党に敗退した結果、辺境に逃れ、農村部を革命根拠地とせざるを得なくなった。農村に蔓延していたのは、絶対平等を基調とする、千年王国的な白蓮教徒の平等主義であった。それまでの中華世界において、王朝の転覆を実現してきたのも、このような農民を中心とする反乱における、菩薩の降臨と不平等や苦しみからの救済、浄土を建設する絶対平等主義のエネルギーであったと言える。(6)
農村に浸透する共産党の論理
大都市部で国民党に敗れた共産党が、根拠地とした農村部では、まさに白蓮教的な救済の思想が、未だに息づいており、その根底には自由とか民主と言う以前に、平等それも絶対平等とでも言うべき主張が根強かった。共産党の指導者、特に毛沢東は、このような民衆の絶対平等主義のエネルギーの中に全ての王朝を転覆してきた農民大反乱の根源を観て、現在の中国革命のエネルギーに転化させうると考えたとしても不思議ではない。
共産党は、そうした農村において、農民の平等を阻害する要因である、地主⇒小作関係を解体して、搾取の構造を解消し、独立した自営農民を大量に創出することが、農民解放の課題と位置付けた。そして、このような地主を打倒する土地革命こそが、中華世界における共産党の中心的な革命課題となった。(7)
共産党の農民政策と白蓮教の類似性
共産党が農村部に立脚し、農村部が膨大な農民層により成り立つ以上、その農民の支持を取り付けるためには、共産党は、平等主義を推進するためにも、地主を排除し、小作人を解放する運動を推進する必要があった。
このように共産党の推進する土地改革は、社会主義的な色彩よりも独立自営農民の創出を目指す、多分に資本主義的な色彩を帯びた改革であったが、共産党の成功要因は、この改革の過程に地主対小作という階級闘争の要素を持ち込んだことにあった。農民にも受け入れやすい、地主を打倒して小作人が解放されると言う、階級闘争の原理は、農民の反地主的な根強い反逆の思想に火を付け、広範な農民の反乱への参加による共産党への組織化に成功した。こうした農奴的状態からの農民の身分支配からの解放を主張する共産党の地主対小作の階級闘争を基調とする土地革命論は、自由よりも平等が強調されることで、大多数の農民からは、白蓮教の千年王国的絶対平等主義にも通じる伝統的な救済の思想と完璧に一致して観えた。(8)
このような共産党の反地主の平等主義的な政策は、大多数の農民から白蓮教の千年王国の実社会への転換の図式とも受け取られ、反地主運動に熱狂的に取り組む農民層を、共産党配下に組織化することを促した。
共産党の農民開放と民族解放政策への農民の圧倒的な支持
日本軍の中国侵略により、共産党の農村における白蓮教的な平等への主張は、抗日と言う異民族支配からの脱却を目指す中華世界的なナショナリズムと一体化し、農奴的状態と民族的隷属からの解放の主張となり、このような共産党の農民解放と民族解放に向けた闘争方針が、中華世界における農村部からの圧倒的な支持を調達することに成功した。共産党は、このような展開の中で、農村部をバックに中華人民共和国の成立に至る大きな流れをつくりだすことに成功したが、そうした中で、個々人の政治的自由度は等閑視されることとなった。(9)
反地主と抗日と言う二本柱を押し立てて、中国共産党は農民解放と民族解放の実現のために活動することで、中国の大多数の農民層からの積極的な支持を確保することに成功した。
経済的富国化:反植民地状態から自立した経済体制の確立と工業化による産業強化の実現
中国市場の特殊性と農業集団化の有効性
国民国家における領域内における市場の統一の実現は、国家の資本主義的な発展のための不可欠な施策と言える。そうした中で、中国においては、継続する侵略戦争と統一を阻害する地方割拠への根強い動きによって、経済的な統一が困難になっており、資本主義的な発展による自然な市場統一への希求というナショナリズムが醸成されることは無かった。(10)
西欧においては、考えられないことであるが、市民社会の未成熟な中国においては、市民階級の突き上げによる市場統一の実現は起こりえず、そのような動きは上からのみ成しえるのであった。
このような情勢下において、農村部の貧困問題を解消するための、積極的な施策として採用されたのが、社会主義的な集団主義と規模拡大による生産力向上の実現であった。このような方針の下に、中国における農業の発展が企図され、個人経営的な農業が否定され、大規模灌漑実現のための農業集団化が強力に推進され、人民公社として結実を観た。(11)
中国における農村部の貧困は大問題であり、このような問題の解決策として、農業集団化が実行されたが、この政策は改革開放政策の実施と共に直ちに取り消される運命にあった。
国家計画経済による工業化推進の必然性
さらに沿海部において侵略してきた列強が、個々の勢力範囲ごとに個別に開発してきた分散化された工業配置を、全国規模で整合性のとれた形に整備するためには、上からの工業化が不可欠であった。(12)
中国においては、列強がバラバラに権益を確保しており、沿海部の工業化においても、その傾向は顕著であったが、これらを国家計画の下に統合的に推進するためには、上からの工業化以外に取るべき道は無かった。
国民党支配体制における官僚資本を主軸とする経済運営は、中国における経済発展を歪なものとし、健全な民族資本の自由な発展は観られなかった。このような歪んだ産業構造を変革するために、社会主義的工業化政策が採用され、中央統制による国家計画経済をベースにした経済運営が実施に移された。(13)
西欧におけるようなブルジョアジーの健全な発達も中国においては観られず、一部の官僚資本のみが非常に偏った経済的な発展を遂げていたために、このような経済状況をバランスよく立て直すためにも、社会主義的で、国家計画経済を主体とする中央統制をベースにした経済政策を採用せざるを得なかった。
経済面の集団化と計画化による貧困対策の成功
このような経済面における集団化と計画化の推進により、市場経済原理は否定されたが、これは本来の目的である集団的安定と社会の平等化を実現し、中国に蔓延する都市、農村両面の貧困の撲滅に向けた動きを加速した。一方で、このような政策は、個々人の創意工夫の余地を狭め、独創的な発想を実現する機会を失わせ、市場統一による市場拡大のメリットが資本主義的な経済発展につながることはなかった。(14)
中国の当時の現実においては、やむを得ない事情でもあったろうが、計画経済の導入により、市場経済は否定された。しかし、社会主義的政策の採用による社会の平等化や都市・農村の貧困がある程度撲滅された功績は大きい。
中国共産党の帝国再建と中華大一統復活成功の本質について!
<参考文献>
(1)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p361
(2)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p361
(3)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p361
(4)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p362
(5)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p362
(6)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p362
(7)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p362
(8)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p362-p363
(9)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p363
(10)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p363
(11)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p363
(12)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p363
(13)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p363
(14)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p363