藩部

トランプ大統領が非常事態宣言を出しても死守したいメキシコ国境管理のモデルは雍正帝による万里の長城を活用した異民族政策にある!

トランプ大統領

世界最強の超大国の指導者であるトランプ大統領がその実現に苦労しているメキシコ国境での万里の長城による国境管理が、非常に洗練されたスマートな形で清時代に中国では完成した状態で運用されていたことを紹介しています!

1.清朝時代の一国両制の要である藩部統治のあり方
1)モンゴル騎馬軍団の軍事力を確保するための藩部体制の確立
2)支配下の諸民族への懐柔策としての「藩部」体制
3)現地有力者を活用した間接統治を基調とした藩部支配
4)大清帝国の帝国性維持の基盤
2.中国内地と藩部地域との隔離政策の堅持とヒスパニック流入阻止を目指すトランプ大統領
1)大清帝国内部の境界としての万里長城の活用とメキシコ国境を正常化したいトランプ大統領
2)大清帝国の切り札としてのモンゴル騎馬軍団の実力温存策

1.清朝時代の一国両制の要である藩部統治のあり方

清朝は、地域の実情に合わせてきめ細かく統治の有り様を変化させ、効果的な支配を貫徹しようと試みた。「藩部」とはいってもひとくくりには収まりきらない様々な統治形態が採用されていたことが、その証左となるだろう。

1)モンゴル騎馬軍団の軍事力を確保するための藩部体制の確立

藩部要覧
清朝はその生命線である「中国内地の漢族農耕社会の経済力」を直接に掌握しつつ、中国内地を牽制しコントロールするための「モンゴル騎馬軍団の軍事力」を確保すると言う最重要課題を実現した。こうした「拡大された中華帝国」の統治政策の一環として「モンゴル騎馬軍団の軍事力」を継続的に確保するための「藩部」地域への征服活動とその安定した統治の貫徹が至上命題としてクローズアップされたと言えよう。これらの「藩部」地域への統治政策は、「中華」世界としての中国内地に対する科挙官僚による郡県制を基調とする直轄統治とは異なる「間接統治」方式を採用したが、その主眼としては「藩部の清朝配下での実効支配の貫徹」「藩部地域の政治的パワーの体制内での温存と分散」(1)を基調としており、多民族国家としての「現代中国」の淵源をなし、「想定外の事態としての西洋の衝撃」で動揺するまでの安定した中華領域支配を貫徹する有効な政策であったと言えよう。

2)支配下の諸民族への懐柔策としての「藩部」体制

乾隆帝
清朝の「藩部」体制は、ある意味では新たに支配下に加えた諸民族に対する「懐柔策」としての要素も濃厚であった。またその「懐柔策」は、ただ単に「藩部」に対してのみ採用されたとは言えないであろう。中国内地に対する統治も「新たに征服した漢民族」に対する「懐柔策」であったとも観ることが出来よう。
清朝の「中華」懐柔策としては、「中国」に都を構え、皇帝制度、宮廷制度、元号制度、学校・科挙制度、正史、暦などの一連の中国の伝統的政治文化制度を採用し、漢族儒学者を重用して中国の伝統的な中央集権制を実施した(2)ことが挙げられよう。一見「伝統的中華帝国」の後継者然としている清朝であったが、これらの施策は単に「郷に入りては郷に従え」と言うローマ帝国的な方針を実行しただけで「漢族に対しては漢族に相応しい態度で接する」基本方針を貫いただけであったのかもしれない。

3)現地有力者を活用した間接統治を基調とした藩部支配

ヌルハチ
「藩部体制」にもその基本方針として「伝統の継承を認め、慣習を変えない」と言う原則が有り、「現地民族社会の文化や伝統」を維持させることを基調としており、現地 民族集団の有力者を有効に活用して「間接統治」の実をあげ、「伝統社会」や「政治構造」に干渉することを慎重に避けることに特徴が有った。このような行き方の結実として、モンゴルにおいては清朝皇族とモンゴル王公との政略結婚が制度的に行われモンゴルの部族首領がそのまま行政の首長に横滑りする「ジャサク制」が敷かれ、チベットにおいてはダライ・ラマを頂点とする「政教一致」が採用され、新疆においては地元回族の有力者を首長とする「ベク制」が行われたが、これらの施策は「清朝支配下」の諸民族への「懐柔策」としての色彩の濃いものであった。(3)

4)大清帝国の帝国性維持の基盤


清朝当局者の考え方としては、清朝皇帝の下で平和と安定が維持出来るならば、支配下の諸民族はこれまでの「伝統社会」や「政治構造」をそのまま維持して暮らしていくことを許容すると言うものであり、これは中華エリアも含めた「清朝の天下」において長期的な安定した統治を確保した基盤を形成する考え方であったろう。諸民族としては、これまでと同様の生活が清朝皇帝の権威と強力な軍事力で保証されるのであれば、敢えて否定する理由を見出し得ないところであったろう。

2.中国内地と藩部地域との隔離政策の堅持とヒスパニック流入阻止を目指すトランプ大統領

1)大清帝国内部の境界としての万里長城の活用とメキシコ国境を正常化したいトランプ大統領

避暑山荘
「藩部体制」による統治のもう一つの側面として、中国内地と「藩部」地域との文化的交流や商業的な繋がりが制限されたことがあげられよう。藩部の各民族が中華の儒家正統を中心とした文化を学ぶことは禁止され、漢族商人の「藩部」での商業活動は許可制となって厳しく制限されることとなった。「藩部」に関する事務は中央政府の六部と同等の地位を占める「理藩院」で行われたが、「理藩院」の尚書・侍郎は満洲族のみが任命される制度となった(モンゴル族には副大臣級のポストが一つ提供された)。また「モンゴル律例」「欽定回彊則例」「欽定理藩院則例」などの藩部を対象とする特別な法律が制定され、万里長城の外にある熱河が事実上藩部の首都として整備された。(4)

メキシコ国境2

このように清朝極盛期においては、万里の長城の内と外を清朝皇帝が完全に掌握していたので、中国内地と藩部地域との人的交流や商業的な連関、文化的な接触を自由にコントロールすることが可能であったが、翻って現代のアメリカの特に南部国境地域の管理体制はどうであろうか。
少なくともアメリカはアメリカ本国側の管理権を掌握していることは間違いないところであるが、主権の及ばないメキシコ側のコントロールは実際問題不可能であるし、メキシコ側も内政干渉ということでEUのように絶対にアメリカの介入は許さないところではあるだろう。
今回のトランプ大統領のメキシコ国境の壁建設問題に関する発言に対しても、大統領から庶民までメキシコ側の反発は非常に大きいものが感じられる。
また国境を隔ててアメリカ側とメキシコ側で経済的な豊かさや成功可能性という点において、文明圏を隔てるレベルの落差が存在することは間違いないところであろう。
そういう意味では、真剣に南部国境の出入国管理を徹底するためには、まずは国境に現時点で言えば38度線並みの緊張感のある万里の長城を建設して水際で移民の流入を防ぐことが先決であり、その先にメキシコへの必要に応じた経済支援等も含めたタフな二国間交渉を行って、1100万人の不法移民問題も含めて解決の道筋をつけていくしかない、との方向感をトランプ大統領が抱いている、ということにもなろうか。

そのように考えれば、清朝極盛期と現代アメリカでどちらが、自らの版図及びその周辺に実質的なコントロールが出来ているのかを比較すると、意外にも現代アメリカの方が打てる策が少ない、という要素もあるのかもしれない。
そういう意味では、トランプ大統領の「Make America Great Again」の真の目標は、1950年代のアメリカというよりも、直近の歴史的な超大国の中では清朝極盛期の「Great China」の方がイメージに近いような気もする今日この頃である。

2)大清帝国の切り札としてのモンゴル騎馬軍団の実力温存策

アヘン戦争
このような「藩部」地域の「漢化」抑制策及び「中国内地」からの分離政策は、「満洲族」と緊密に連帯する主として騎馬民族集団からなる「藩部」の軍事力を温存することで、「中国内地」を包囲・牽制して「満洲族」を中心とする清朝の支配体制をより一層強固なものとすることにあった、と言える。
こうして清朝は、中国内地を「伝統的な中華帝国大一統」の枠組みで統治しつつ、それを包囲する形で理藩院・藩部体制を構築して「モンゴル族を中心とする騎馬民族集団」を清朝の配下に取り込み、その実力を温存することで永続的な「拡大された中華天下」の支配を貫徹しようとしたのである。
そしてこのような体制は、万里長城が軍事的意味を喪失したようにほぼ想定通りに成功し、乾隆帝の極盛期の後、白蓮教徒の乱で動揺しながらも「乾嘉の文運」を謳われた嘉慶帝の時代を経て、道光帝時代のアヘン戦争に至るのである。

清朝初期にこのような「モンゴル騎馬軍団を活用して漢族を中心とする諸民族を従えることを帝国統治の根幹と成す」と言う大清帝国のグランドデザインが完成されていたとも言えるが、このシナリオには西洋の衝撃と言う要素が抜け落ちていたために、アヘン戦争以降に清朝の支配体制は混迷を極めることとなったと言えよう。
逆に言えば、清朝初期に東アジアをベースにして大清帝国のグランドデザインを構想した同じ顔ぶれが、西洋の脅威も視野に入れた全地球規模のグランドデザインを構築出来ていれば、東西の勢力均衡における西洋の圧倒的な優位の実現にも影響があったかも知れない。

尚、本稿で取り上げた清朝の中華帝国統治方針の戦略性については、以下のリンクでも詳しく取り扱っております。
清朝極盛期の乾隆帝のチベット,新疆征服は戦略的な帝国統治政策のモデルケースである!

参考文献
(1)石橋崇雄 大清帝国への道 講談社 2011 第四章 最大版図の形成 p202
(2)王柯:多民族国家 中国 岩波書店 2005 第2章 漢民族国家と言う幻想 p35
(3)王柯:多民族国家 中国 岩波書店 2005 第2章 漢民族国家と言う幻想 p35
(4)王柯:多民族国家 中国 岩波書店 2005 第2章 漢民族国家と言う幻想 p36

トランプ大統領が非常事態宣言で建設するメキシコ国境の壁による異民族管理モデルは清朝極盛期の万里の長城方式である!

万里の長城

トランプ大統領がメキシコ国境に建設しようとしている万里の長城と大清帝国時代の長城の位置づけの同質性を、モンゴル、新疆、チベット等の藩部へ拡大した中国領土で理藩院制度の採用等により一定の安定した統治を実現した背景及び統治構造と原理も踏まえて解明する。

1.大清帝国の領土拡大の第一段階としての対モンゴル戦略
1)トランプ大統領がメキシコ国境に築く万里の長城と清朝極盛期の万里の長城
2)漢族農耕社会の安定確保のための最大の脅威であったモンゴルの併合
3)漢族を安定的に支配するための軍事力確保のためのモンゴル騎馬軍団のコントロール
2.大清帝国の領土拡大の第二段階としての対チベット戦略
1)モンゴル族コントロールのための施策の一環としてのチベット進出
2)広大な版図支配貫徹のための軍事力調達を目指した領土拡大
3)対モンゴル政策の一環としてのチベット進出とチベット仏教コントロール
4)トランプ大統領がメキシコ国境に築く万里の長城と軍事性のない大清帝国の長城
3.大清帝国の領土拡大の第三段階としての新彊確保
1)新彊エリア進出の目的
2)新彊に対する三様の統治方針

1.大清帝国の領土拡大の第一段階としての対モンゴル戦略

1)トランプ大統領がメキシコ国境に築く万里の長城と清朝極盛期の万里の長城

清朝最大版図

メキシコ国境地図
大清帝国の最大版図は、1759年に天山山脈南北両側地域が新疆と命名されたされた時点で完成し、この時点をもって現代に至るモンゴル、チベット、新疆を含む多民族国家「帝国としての中華」が成立した。清朝は、これらの新領土を直接支配地域と区別して間接支配地域とし、「理藩院」制度を採用して統治した。
それでは、このような清朝の領域拡大ひいては藩部の設置の主目的は、何だったのだろうか。これについては、広い意味で対モンゴル政策にあったという見方が出来る。

ちなみに、この時点で完成した間接支配地域と直接支配地域の境界線として、明時代に大規模に改修・新設された万里の長城が大清帝国でも活用された。
この段階では既に万里の長城の軍事的な意味合いは失われており、文明圏の境界・民族的な境界・経済的な境界というような今日トランプ大統領が、メキシコ国境に建設しようとしているのと類似した新「万里の長城」としての位置づけが確立していた。

2)漢族農耕社会の安定確保のための最大の脅威であったモンゴルの併合

モンゴル騎馬軍団
領土拡大の第一段階としての内モンゴル併合については、「遼東における漢族の農耕地域」を内モンゴルの軍事的な脅威から解放する点にあった。
元来、清朝はその経済基盤として漢族農耕社会を想定していたので、中国内地支配の目的も一義的には経済基盤の確立が、その主眼であった。このような漢族農耕社会の確保にとって最大の脅威が、モンゴルの軍事力だったのであり、その脅威を取り除くために内・外モンゴルの服属化は清朝にとって不可欠で喫緊の政策となった。(1)
このように清朝の帝国建設に向けた歩みは、場当たり的で論理性があまり感じられない「国民帝国」の構築過程と明らかに違って計画的であり、戦略に基づく政策の積み重ねと言う傾向を強く持っていた。

3)漢族を安定的に支配するための軍事力確保のためのモンゴル騎馬軍団のコントロール

理藩院
他方で経済的な基盤を形成する漢族に対して満洲族は、人口的に圧倒的に劣っており、中国内地を安定的に支配するためには、モンゴルの軍事的協力を確保しておく必要が有った。こうした事情によりモンゴルを適切に管理し、その軍事的なパワーを有効に活用していくために、盟旗制と言う行政・軍事組織を設置してその遊牧地を固定化し、理藩院を通じたモンゴル族の支配を実現した。(2)
こうして明の時代に中国を圧迫したモンゴル騎馬軍団を完全に取り込むことで、清朝が中華エリアをコントロールする軍事的な基盤が形成されていった。

2.大清帝国の領土拡大の第二段階としての対チベット戦略

1)モンゴル族コントロールのための施策の一環としてのチベット進出

ポタラ宮
さらに清朝のチベットへの進出についても、元々はモンゴル対策としての色彩が濃厚であった。すなわち、清朝の帝国支配に不可欠の戦力であるモンゴル族の信仰がチベット仏教であったということで、チベット仏教を通じてモンゴルをコントロールすることを目論んだわけである。ここで目指されたのがチベットを清朝の統治体制に組み込むことで、チベット仏教の教主であるダライ・ラマとパンチェン・ラマを清朝の影響下に置こうとしたことである。(3)

2)広大な版図支配貫徹のための軍事力調達を目指した領土拡大

モンゴル騎馬軍団3
満州人自身の人口は限られており、広大な版図の支配を貫徹することが自力では困難であるので強力なモンゴル騎馬軍団の戦力を取り込まなければならなかったのだが、このことにより派生的に清朝による様々な施策に繋がっていったことが明らかになってくる。ここに清朝の政策の一貫性と戦略性が垣間見えてくるところである。

3)対モンゴル政策の一環としてのチベット進出とチベット仏教コントロール

ダライラマ
清朝は、チベットのモンゴルへの宗教的影響力を低下させるべく最高活仏ダライ・ラマに集中する権威を分散させ、理藩院がチベット各地に散在する活仏を把握して、宗教的権威の拡散を図った。一方でダライ・ラマにチベット社会の支配をゆだね、かつダライ・ラマを清朝の監視下に置いた。こうして清朝の影響力をチベットに浸透させ、チベットの保護国化を推進したわけであるが、これらのチベット進出策の主目的は、先に指摘した通りチベット仏教をコントロールすることによりモンゴル騎馬軍団をも清朝の影響下に置こうと言う点にあった。チベット民族を直接の対象とする民族政策ではなく、ダライ・ラマの宗教的権威を調達することで、モンゴル族を懐柔する点に狙いがあった。(4)

4)トランプ大統領がメキシコ国境に築く万里の長城と軍事性のない大清帝国の長城

長城修復

ティファナ検問
こういうわけで元々清朝の内陸部への進出のねらいがモンゴル騎馬軍団のコントロール確保にあったため、チベットに対する宗教政策も民族政策もモンゴル政策の延長線上の派生的なものであった。明朝皇帝が四六時中モンゴル騎馬軍団に悩まされ、万里長城の維持強化に血道をあげていたのと較べると清朝の政策の何という卓抜した手腕と目のつけどころであろうか。ここには政治的なセンスの違いと共に、中華文明の「華夷の別」という発想の限界も露呈していると言えようか。

このように万里の長城は、春秋戦国時代に建設が開始された当初から明の時代まで、北方のモンゴル騎馬民族や女真族に対する長大で軍事的な要塞としての位置づけを一貫して保持してきたのであったが、大清帝国の極盛期に至ってモンゴル騎馬軍団を清朝が勢力圏に組み入れることに成功したことにより、万里の長城の位置づけが根底から変化することとなった。
すなわち、万里の長城は大清帝国という巨大な天下における中華文明圏と北方遊牧民等の文明圏の境界線という平和的ながら厳然とした位置づけに変化した、と言えるだろう。
このことは、トランプ大統領が最大の公約の一つとして推進を目指す、メキシコ国境における万里の長城の位置づけにも類似しており、中華文明圏=アメリカ先進文明圏と北方遊牧民等の文明圏=メキシコあるいはその後背に広がるヒスパニック文明圏の境界線と言い換えると、トランプ大統領の認識する世界観にかなり近づくのではないだろうか。

歴史的な事実としても、大清帝国は軍事的な意味合いを喪失した万里の長城を最大限活用して、中華文明圏と北方遊牧民等の文明圏の融合を許さず、一国両制を採用し、中華文明圏=中国内地と北方遊牧民等の文明圏=藩部を対置して、厳然と区別した統治政策を貫徹した。
すなわち中国内地の首都は帝都北京とし、藩部の事実上の首都は熱河離宮というように統治の中枢まで区別する徹底ぶりであった。

それに対して、今日のアメリカの特に南部国境に対する入国管理制度は、相当に甘く、国境線も一定のレベルでは管理されているものの、密入国が絶えず、1100万人規模の不法移民を抱える現状となっている。
このような状況は、残念ながら大清帝国の緻密で戦略的な国境管理政策に大幅に後れを取っている、というのが、両者を比べた場合にはトランプ大統領の認識となるだろう。

いずれにせよ、客観的にみても大清帝国の極盛期と現代アメリカ合衆国のどちらが、近代的で合理的な入国管理を含めた統治政策を推進しているか、を考えると前者に軍配が上がりそうな気がしてならない。
このあたりが、トランプ大統領及びその支持者にとって、現代のアメリカは国境の管理すらまともに出来ない、中途半端な国家とも考えられ、どうしても我慢ならないところであろう。
さらに、トランプ氏がメキシコ国境に厚く高い壁を建設すると高らかに公約して、大統領に当選してから相当な日々を経過した今日の時点でも、メキシコ国境に築くべき新万里の長城は、予算の問題や議会における与野党の政争等に阻まれ、任期中に着工出来るか否かの目途も立たないありさまである。
これでは、かつての大清帝国皇帝の方が、現代の超大国たるアメリカの大統領よりも遥かに圧倒的に政策遂行能力が高く、国境管理における責任能力も実行力も兼ね備えていた、と言わざるを得ないような気がしてくる今日この頃であり、トランプ支持者のオルトライトが現状に怒り狂うのもあながち不思議ではないかも知れない。

3.大清帝国の領土拡大の第三段階としての新彊確保

1)新彊エリア進出の目的

新疆征服

さらに新疆と命名された天山山脈の南北両側地域への清朝の進出と征服の目的もモンゴルの安寧とチベットの保持のためであり、これもまた対モンゴル政策の一環と言えるものであった。このことは乾隆帝が当時のモンゴルやチベットとの関連性が薄い西トルキスタン方面には決して進出しなかったことでも例証できるであろう。すなわち、清朝の東トルキスタン方面への征服の主目的は、モンゴルの安定とチベットへの外敵の侵入を阻止する防波堤を築くことであったと言えよう。(5)

2)新彊に対する三様の統治方針

新疆統治
新疆に関しては、北路、南路、東路の三地域でそれぞれ統治政策を異にしており、北路に関してはイリに軍政の根拠地を置いてジュンガルの影響力の一掃を図り、八旗兵や東北地方の少数民族及び服属したモンゴル族に土地を与え、ジャサク制をとり藩部特有の制度を採用して統治した。南路のイスラム地域に関しては、辮髪を強制せず、地域性を尊重しつつベクや派遣官僚による直接的な統治を進めた。東路は中国内地の延長との位置付けから、郡県制を採り、中国内地同様に科挙官僚による清朝の直接的支配を受けた。(6)

本稿で取り上げた清朝の中華帝国統治方針の戦略性については、以下のリンクでも詳しく取り扱っております。
清朝極盛期の乾隆帝のチベット,新疆征服は戦略的な帝国統治政策のモデルケースである!

参考文献
(1)石橋崇雄:大清帝国への道 講談社 2011 第四章 最大版図の形成 p198
(2)石橋崇雄:大清帝国への道 講談社 2011 第四章 最大版図の形成 p199
(3)石橋崇雄:大清帝国への道 講談社 2011 第四章 最大版図の形成 p199-p200
(4)石橋崇雄:大清帝国への道 講談社 2011 第四章 最大版図の形成 p200
(5)石橋崇雄:大清帝国への道 講談社 2011 第四章 最大版図の形成 p200-p201
(6)石橋崇雄:大清帝国への道 講談社 2011 第四章 最大版図の形成 p200-p201