中国共産党

一党独裁の中国共産党が,なぜ辛亥革命で解体し国民党が失敗した中華帝国の再建と大一統に成功したのかを解明!

毛沢東

中国共産党が辛亥革命以来途絶え、中華民国=国民党政府が失敗した、中華帝国としての強権的支配と漢族及び周辺諸民族を包括した中華大一統の再現に一定の成功をおさめた要因について検討する。

1.中国共産党による中国再建策の成功
 1)中国の伝統的要素を有効活用した革命
 2)中国的色彩の強い社会主義革命
 3)帝国的秩序の20世紀的再建
2.中国共産党の6つの中核的施策による中国再建
 1)中国共産党の施策による中華大一統の4条件の止揚
 2)中華民国,国民党政権の再建策の失敗と中国共産党の成功
 3)中国共産党による大衆動員の成功と市民的自由の等閑視
3.改革開放政策の推進と中国共産党統治の行方
 1)改革開放による市場経済の復活と政治的自由の凍結
 2)経済自由化の中国共産党による「帝国的統治」への影響は?

1.中国共産党による中国再建策の成功

中国共産党22

1)中国の伝統的要素を有効活用した革命

中華世界において、清帝国瓦解後に実践された統一作業において、結果的に成功を観た唯一の方法は中国共産党による方式であった。この手法は、伝統的な体制を一新して、半封建的な要素を一掃するような、革新的な社会主義革命とは言えなかった。どちらかというと、伝統的な国家統一原理を有効に活用するものの、単に王朝循環的な伝統的統一国家の再編と言うわけでもない、新しいタイプの国家建設の形を取っていた。(1)
このように共産党の中国における統一国家の再建作業が成功した要因の一つは、構造的に旧帝国の支配機構を踏襲しつつ、新たな主体によって、それを推進したことにあった、と言えよう。

2)中国的色彩の強い社会主義革命

チャイナドレス
すなわち、共産党による革命は、王朝変遷における易姓革命のような伝統的な循環論に還元される革命でも、資本主義発展の延長線上にある西欧的な国民国家構築でも、資本主義を止揚する社会主義による革命でもなかった。中華世界において成功した共産党による革命は、清帝国の瓦解という政治的危機を打開するために行われた、社会主義的色彩を持つ国民国家建設の一環であった。
また共産党による革命は、社会主義や国民国家と言う概念そのものからしても、従来の概念とは異なる優れて中国的な色彩の強い、社会主義的手法であり、国民国家建設と言えた。

3)帝国的秩序の20世紀的再建

スターリン
このことは、資本主義が発展することで形成される疎外状況を解決する社会主義的手法と言う側面も資本主義の発展による新たな市民社会形成に向けた領域内の統合を目指す国民国家建設とも根本的に相違する存在であった。(2)
中国共産党の指導部が採用した中国における統一国家の再建作業は、社会主義国家の建設でも、資本主義国家の建設でも、ましてや旧帝国の再建でも無かったが、どちらかと言うと共産党の再建作業の中国的な特質を踏まえて考えると、旧帝国的な秩序構造を20世紀半ばと言う時代状況に合わせて、修正して再建してみせた、と言う要素が濃厚である。

2.中国共産党の6つの中核的施策による中国再建

近代化

1)中国共産党の施策による中華大一統の4条件の止揚

共産党による革命においては、中国人民という民族的中核、共産党と言う政治的中核、マルクス・レーニン主義と毛沢東思想と言う思想的中核、一党独裁的官僚体制と言う機構的中核、人民解放軍と言う軍事的中核、国家計画経済と集団経営と言う経済的中核の6つの中核が、相互に結合することで、中国的社会主義国家、中国的国民国家が樹立された。このように集団化・中央集権化・組織化を強力に推進することで、辛亥革命以来混迷の極致にあった分裂した中華世界の再統合に成功したのである。これは、結果的には金観濤の主張する中華世界大一統の4条件を十分に満たし、地上のどこにも存在しない伝統的な国家統一の原理に基づく 「帝国」を再建したと言えよう。(3)
すなわち旧帝国が大一統を実現しえた構造的な要素としては、金観濤の主張する「中華世界大一統の4条件」が適用し得るが、共産党が採用し現実に遂行した民族、政治、思想、統治、軍事、経済の6つの要素における中核的な政策は、この大一統4条件を見事に止揚して、中国は共産党を統治者とする「帝国」的な存在として見事に再建されたのである。

2)中華民国,国民党政権の再建策の失敗と中国共産党の成功

蒋介石,毛沢東
国民党的な手法においては、国民国家建設の推進主体としての国民不在に対処するにあたり、国民を政治的に排除した国民党独裁と三民主義イデオロギーによる人民の指導を目指しており、教育と地方自治の現場での体験学習を通じて、人民の政治的成熟を期待したが、これは実質的な国民の政治参加の拒否であり、最終的には国民の支持を得られなかった。(4)
結局のところ国民党が推進しようとしていた、国民形成のための手段は、人民を政治の場から完全に排除しつつ、教育と地方自治での体験による人民の政治的成熟を促すような施策であったが、人民はこの方式を支持しなかった。
一方で共産党は、人民の政治参加を、上からの政治動員と言う形で、実現しようとした。特に土地革命の過程における、貧農の反地主闘争への動員は、農民の白蓮教的な平等意識を刺激し、政治統合に非常に有効であった。また抗日戦争において、紅軍を農民革命軍に再編成し、農民を軍事的組織化で、組織人として再生させようとした。

3)中国共産党による大衆動員の成功と市民的自由の等閑視

人海戦術
さらに共産党の多用した人海戦術は、農業集団化や工業集団化を通じて、多くの人民を社会主義建設に参加させようとするものであり、このような政治動員を通じて、未熟な人民を政治的に成熟した国民に転化させるために行われた。 
このように国民党が政治教育による国民形成に失敗した後を受けて、共産党は人民を政治運動に投入することによる、国民形成を目指したのであった。(5)
国民党の政治教育による国民形成方式は破綻したが、共産党は農民を白蓮教的な平等主義も踏まえた反地主闘争に動員し、抗日戦争でも農民革命軍に動員することで、組織人として育成することを実践した。その後も人海戦術と言う手法を多用しながら、政治動員を通じた人民の成熟による国民形成を推進することで、共産党は真の国民形成の実現はともかくとしても、革命の貫徹と社会主義建設と言う政治的な果実を手にしたのであった。
共産党指導下における人民の政治への投入は、一見下からの政治参加のようで、実質は上からの政治動員であり、その運動は結果的に、人民の下からの自立化や多元化を伴うことは無かった。さらに共産党による革命の場においては、個人の自主性の発露のために重要な要素となる、思想の自由化や政治選択の自主的決定の機会は、共産党の一党独裁や毛沢東思想の統制下において、等閑視された。(6)
巨大な政治的果実をもたらした人民の政治動員は、結局は上からの施策であって、人民の自発的な性質のものでは無かったために、人民の自立や市民的な成熟とは無縁であった。また思想の自由化や政治選択の自由については、今日に至るまで実現していない。

3.改革開放政策の推進と中国共産党統治の行方

改革開放

1)改革開放による市場経済の復活と政治的自由の凍結

このような1949年の共産党による革命開始以来の幾多の年月における最大の変革は、経済的集団化の停止・解体であった。さらに、改革開放政策においては、市場経済が復活されることとなった。
共産党の指導部は、金観濤の大一統の原理に基づく清帝国に連なる統一的大帝国たる中華人民共和国は、既に盤石の安定を観ているとの認識の下に、遂に経済的な自由化に踏み切ったのである。一方で、政治的自由化は、帝国の統一に新たなる火種を宿しかねないと言う判断から、採用されるには至っていない。現時点における中華世界の情勢としては、経済的自由化の推進の中で社会主義における新たな政治的主体の形成が進んでいると言え、このことが孫文以来の未完の国民革命における最終的な革命主体になる可能性も秘めている。(7)

2)経済自由化の中国共産党による「帝国的統治」への影響は?

民主化運動

今後、中華世界が本当の意味での国民革命を推進し始めるのかどうかについては、隣国日本としても注視せざるを得ないであろう。
共産党により見事に再建された「帝国」的な存在としての現代中国は、既に盤石の安定を観たと言うことで、経済的な自由については、遂に自由主義、市場経済に舵が切られたが、政治的あるいは思想的な自由や民主主義といった人民の市民的な権利に関しては、未だに封印されたままである。
経済自由化に伴う自由企業の拡大や資本家階級とでも言うべきものの創生が、今後中華世界において共産党が確立した新たなる「帝国」の統治構造にどのような影響を与えるかについては、習近平体制の今後とも併せて目が離せないところである。

<参考文献>
(1)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p368
(2)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p369
(3)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p369-p370
(4)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p370
(5)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p370-p371
(6)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p371
(7)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p371

 

米中冷戦状況下の習近平の政治目標は文化大革命期の毛沢東個人崇拝と中華帝国皇帝専制体制再現である!

遂に国家主席の任期撤廃という禁じ手を放った習近平は、文化大革命で毛沢東が目指した理想主義を解き放ち、腐敗堕落の元となる改革開放路線を封印する暴挙に出るのだろうか?ここでは中国共産党政権獲得以降で最大の混乱と停滞をもたらしたと言われる文化大革命について検討する。

1.文化大革命の理念
1)文化大革命は毛沢東個人の権力奪還のための闘争だったのか?
2)近代批判運動としての文化大革命
3)市民の自主的な政治活動としての文化大革命
4)文化大革命の目指した社会主義の理想
2.現代中国における文化大革命の取り扱い
1)改革開放時代における文化大革命の評価
2)改革開放時代にも生き残る文化大革命時代の幹部達
3)文化大革命的な機運を警戒する鄧小平らの姿勢
4)文化大革命に関する根底的な議論や分析の不在
3.文化大革命に関する根底的議論
1)社会主義の理念と改革開放政策の整合性
2)ペレストロイカの帰結を警戒する中国共産党

1.文化大革命の理念

壁新聞

1)文化大革命は毛沢東個人の権力奪還のための闘争だったのか?

文革に関しては、基本的に文革を毛沢東個人の権力保身に発する政治権力闘争以上のものは無く、そこには何らの歴史的・思想的意義は無かったとして、全否定する傾向も根強い。(1)
とはいえ、文革には単なる毛沢東個人の権力保身以外に「近代批判」的な要素や「中国人民の国民意識の発揚に向けた主体的活動の要素」も数多く含まれていたのではないかと想定している。

2)近代批判運動としての文化大革命

文化大革命1

文化大革命における近代批判の要素としては、「第一に一貫した自由市場経済システムを敵視する傾向」「第二に三大差別撤廃=都市・農村間差別、工業・農業間差別、頭脳労働・肉体労働間差別の実現を目指す政策実践」「第三に欧米の近代科学技術を洋法と呼び、洋法への一方的な依存を否定しつつ、中国土着の科学技術=土法を基礎に洋法との結合による科学技術革命を謳ったこと」「第四に鞍山製鉄所の経営方式や大賽人民公社の所得分配方式などのコミューン型の参加型経営方式の重視」などが見出せる。(2)

3)市民の自主的な政治活動としての文化大革命

文化大革命2

市民の自主的な運動としての文化大革命の要素としては、「文革期の造反有理、四大民主=大鳴(大いに意見を言い)、大放(大いに討論し)、大字報(壁新聞を書き)、大弁論(大いに論争する)が一面では秩序破壊の混沌を産むマイナスを伴いつつ、反面共産党独裁の強固な権力ヒエラルキーに対する民衆の異議申し立てを正当化する「民主」の基盤を、社会主義体制下の中国に初めて産み出したこと」「第二に、文革の洗礼を受けた元紅衛兵が主体となって中華人民共和国史上初の市民の自発性に基づく本格的民主化運動として、第一次天安門事件と「西単の壁」「北京の春」などの民主化運動が起こったこと」(3)が挙げられよう。特に後者に関しては、中華人民共和国史上というのみならず、辛亥革命以降あるいは広い意味では、「中華世界」史上初めての「本格的な民主化」運動と言っても良いかもしれない。このことは、清朝から辛亥革命を経て中華民国=国民党政権に引き継がれ、現在は中華人民共和国=中国共産党政権まで一貫して継続している「エリートが主導する賢人政治」に風穴を開ける快挙でもあったと言えよう。

4)文化大革命の目指した社会主義の理想

文化大革命5

このような文化大革命は、1966年8月の「16カ条」の決議では、「プロレタリア文化大革命は、人々の魂にふれる大革命であり、わが国社会主義革命発展のより深く、より広く新しい段階である」と述べられていた。そして、その目的は、①「資本主義の道を歩む実権派」と闘争して、それを打倒する、②「ブルジョアジーの学術権威」を批判し、ブルジョアジーと全ての搾取階級のイデオロギーを批判し、③教育を改革し、文芸を改革し、社会主義の経済的土台に適応しないすべての上部構造を改革して、社会主義の強化と発展に役立たせることとされた。またこの決議では、大衆自身による自己解放、パリ・コミューンの原則に基づく新しい自分達の組織をつくることなどが謳われた。(4)
ここでも強調されているのは、「大衆自身による自己解放やパリ・コミューンの原則」などであり、これは文革の主題の一つに人民大衆の主体的な解放と言う視点が、常に意識されていたということの証左になるだろう。またそのような方向性は毛沢東の考える社会主義的な理想の一形態でもあったのであろうか。

2.現代中国における文化大革命の取り扱い

文化大革命111

1)改革開放時代における文化大革命の評価

それでは、「欧米追随の近代化批判」や「本格的な民主化」につながる可能性を内包していた「文革」は現代の「改革開放」時代の中国においてはどのように取り扱われているのであろうか。
文革終焉直後から、文革終焉十周年の1986年前後までの10年間は、文革を対象あるいは題材にした研究や「傷痕文学」と言われるような文学作品が多数登場したが、このような研究・作品が社会的対立のみならず共産党内の対立まで引き起こす可能性が懸念されてきた。

2)改革開放時代にも生き残る文化大革命時代の幹部達

文化大革命121

これは、第一に文革の実態の暴露が中国社会主義の暗い部分をあまりにもリアルに描き過ぎるため、社会主義に懐疑を抱く人々が増えることが共産党内で懸念されたこと。第二に文革の暴露から、現状の中国政治の民主改革を求める声が強まる傾向が産まれ、それが共産党内の団結をも危うくする可能性が懸念されたことによる。すなわち中国共産党内には、文革四人組は失脚したものの、実際には文革期に権力を掌握していた幹部達が文革終了後も失脚せずに、そのまま党内の権力の座を確保してきているという事情があった。(5)
文革を終焉に導く過程で、「文革四人組」の失脚は大々的に取り上げられたが、その背後では「文革派の幹部」は無傷で、そのまま生き残っているケースが多かったということである。「文革四人組」と共に「文革派の幹部」も一掃され、それが鄧小平の改革開放の船出を順調にしたというような構図が成り立ったわけではなかったのであり、鄧小平以下の改革開放を主導する主流派も旧文革派の幹部の動向を無視することは出来なかったと言えよう。

3)文化大革命的な機運を警戒する鄧小平らの姿勢

文化大革命 鄧小平

この延長線上で1988年春に、中国共産党中央宣伝部が「通知」を、同年秋には中国共産党中央宣伝部と国務院が連名で「通達」を発した。この目的は混乱の拡大を未然に防ぐためであり、これらの内容は「今後本格的な文革研究や文革を題材とした文芸制作を厳しく制限」することとした。(6)
要するに文革は、中国共産党中央にとって、距離を置いて客観視出来るものではなく、いつ再燃するかもしれない火種であり、到底手放しに放置することは出来ない慎重に扱うべき主題であって、人民大衆が詳しく知って議論したりすることは、可能な限り避けるべきものとされたということであろう。
また文革的気運の蔓延は、第二の文革による体制転覆の恐れを招きかねないと言う危機感も手伝っていたかもしれない。当時の最高指導者の鄧小平は、文革の最大の標的の一人でもあった。現在こうした「文革を取り上げないという方針のもとで育った若い世代は、文革に対する無知が蔓延しており、文革世代との間に大きな世代間ギャップを形成」(7)しているという。

4)文化大革命に関する根底的な議論や分析の不在

文化大革命222

このように文革を敬遠する風潮が強い現在の中国であるが、改革開放の当初の1981年6月の段階では「文革を毛沢東晩年の重大な誤りとする一方で、全国全人民に大きな災厄をもたらした」として全面否定する明確な評価を下したこともあった。ただこの時の文革全面否定は、鄧小平政権の政治支配の正統性と権威性を確立するための便宜的な否定に過ぎず、文革に関して本質的な検討及び分析を経た根底的な議論を踏まえた結論とは言えなかった。(8)

3.文化大革命に関する根底的議論

中国指導部

1)社会主義の理念と改革開放政策の整合性

それでは、文革に関する根底的な議論とは何を意味するであろうか。また党内融和を優先して文革を取り上げることを敬遠すること以上に、体制の根幹に関わる「社会主義の理念」と「改革開放政策」の整合性と文革との関連性はどうであろうか。
このあたりに関しては、鄧小平時代に移行しても、なお中国が「社会主義」と「毛沢東思想」に依拠していたにも関わらず、改革開放政策を遂行していく過程で自由主義市場経済を否定していた「毛沢東思想の申し子としての人民公社」を解体し、「民営企業の出現」を容認し、「外資・外国技術・プラントの導入などの市場自由化政策」を積極的を推進していくことが、果たして「社会主義」の原理との整合性を保ちうるかという問題を伴っていた。(9)

2)ペレストロイカの帰結を警戒する中国共産党

ペレストロイカ

要するに改革開放政策を採用して、社会主義体制下における大胆な改革を遂行していく過程においては、現体制の依拠する「毛沢東思想」と密接に関連している文革に関して本質的な議論を行ったり、文革の根底的な総括を行うことは、「社会主義の解釈をめぐるマルクス主義論争を招き、このような論争が、党内抗争を巻き起こし、党内の団結を崩し、党の指導性が失われ」(10)体制の危機に至るということを鄧小平を始めとするという党幹部が熟知していたということがあるのだろう。このあたりの対応を間違えると、ソ連のペレストロイカの帰結のように体制の崩壊につながる可能性もあったのではないか。またかれらが敢えて議論を回避した文革そのものが、体制混乱の極みでもあった。そのような状況に陥らない様に、当時は「改革開放」と並んで「安定団結」がスローガンとして再三提起されていた(11)という。

このような次第で文化大革命に関する根底的な議論は未だに十分に行われてきたとは言い難い状況があると言えよう。

毛沢東が文化大革命を断行した目的は中華王朝崩壊時の農民大反乱のエネルギーを活用した国家大改革再現である!

毛沢東が文化大革命で標的にした劉少奇、鄧小平ら実権派、走資派の何が問題にされたのか?

<参考文献>
(1)加々美光行:歴史の中の文化大革命 岩波書店 2001 序章 文化大革命をどう見るか p5
(2)加々美光行:歴史の中の文化大革命 岩波書店 2001 序章 文化大革命をどう見るか p7
(3)加々美光行:歴史の中の文化大革命 岩波書店 2001 序章 文化大革命をどう見るか p8
(4)安藤正士:現代中国 歴史と近代化 岩波書店 1989 Ⅶ 文化大革命の諸問題 p229
(5)加々美光行:歴史の中の文化大革命 岩波書店 2001 序章 文化大革命をどう見るか p10
(6)加々美光行:歴史の中の文化大革命 岩波書店 2001 序章 文化大革命をどう見るか p11-p12
(7)加々美光行:歴史の中の文化大革命 岩波書店 2001 序章 文化大革命をどう見るか p12-p13
(8)加々美光行:歴史の中の文化大革命 岩波書店 2001 序章 文化大革命をどう見るか p13
(9)加々美光行:歴史の中の文化大革命 岩波書店 2001 序章 文化大革命をどう見るか p13-p14
(10)加々美光行:歴史の中の文化大革命 岩波書店 2001 序章 文化大革命をどう見るか p14
(11)加々美光行:歴史の中の文化大革命 岩波書店 2001 序章 文化大革命をどう見るか p14

鄧小平による天安門事件での民主化運動の武力弾圧は中国共産党一党独裁体制維持のため必然の帰結である!

天安門事件

天安門事件での民主化デモへの武力弾圧を経ても「安定」した支配を継続する中国共産党の統治原理について検討する。

1.天安門事件に至る道程における「人民日報」の「動乱社説」の政治性
1)「人民日報」に発表された「動乱社説」の主張
2)「動乱社説」において明確にされた中国共産党による統治構造の枠組み
3)中国共産党による政治の核心的原理の表面化
2.「動乱社説」後の天安門事件における「反革命暴乱武力鎮圧」への道程
1)「動乱社説」後も盛り上がる「反体制的」な活動
2)天安門事件に直結する中国共産党政権側の動き
3)中国共産党側の「対話」拒否の姿勢
4)武力鎮圧に直結する「戒厳令」の布告
3.日中で相違する治安維持のための実力行使の方法論
1)日本の安保闘争の鎮圧方針と鄧小平体制の方針の相違
2)中国における政権側の絶対的な統一権力の維持と貫徹への強い志向性
3)中国共産党の本質的性格としての「民衆に依拠しない専制的な」方向性の明確化
4.中華世界大一統維持を最優先する中国共産党
1)「暴徒の物理的排除」を超える中華天下統一維持のための「実力行使」
2)皇帝専制時代から中国共産党一党独裁を通底する「帝国的権力」
5.天安門事件鎮圧における武力行使と中国共産党支配の正統性調達
1)鄧小平体制の天安門事件での武力行使と人民大衆の認識
2)中国共産党の統治方針の個人崇拝的方向性からの転換

1.天安門事件に至る道程における「人民日報」の「動乱社説」の政治性

人民日報,動乱社説

1)「人民日報」に発表された「動乱社説」の主張

天安門広場に市民,学生が集結し、各種の要求を掲げると言う未曽有の緊迫した状況の中で、「人民日報」が、いわゆる「動乱社説」を発表し(1989/4/26)、この中で、「胡耀邦追悼大会終了後に、下心をもったごく少数の者が、共産党の指導と社会制度反対を扇動し、一部の大学で不法組織を結成し、様々な活動やより大きな事件を起こそうとしたが、これは、明らかに計画的な陰謀であり、動乱である。その実質は、中国共産党の指導と社会主義制度を根本から否定することにあり、全党と全国各民族人民の前で行われた重大な政治闘争である」と主張した。(1)

2)「動乱社説」において明確にされた中国共産党による統治構造の枠組み

中国共産党

この「動乱社説」で取り上げられた、「党の指導と社会主義制度」は、中華人民共和国がその建国にあたり、まさに「国是」として選択した基本的な国家の枠組みであり、人民民主主義独裁として規定された。さらにマルクス・レーニン主義の前衛党理論に立脚し、中華世界の独立や統一を確保するナショナリズムの旗手として屹立する中国共産党を中核的存在とし、国家の政治の全てが中国共産党の指導のもとに行われるべきものとされていた。このような体制において、人民は日常生活の場でも全ての活動が、党のもとに組織化され、全ての運動が党の指導のもとに行われることとなり、これは現代に至るまで、現代の中華世界の政治構造の有りようの最も基本的な枠組みとして常に機能している。(2)

3)中国共産党による政治の核心的原理の表面化

中国共産党中央委員会

このように、「動乱社説」は、「中国共産党の指導や関与の範囲外の一切の組織、活動、運動を全て不法組織、体制への挑戦と看做す」と言う中国共産党政権の核心に存在する最も原理的な政治の有りようを、極めて明白に白日のもとに晒すこととなった。また共産党による一党独裁体制とは、どのような政治的な枠組みと政治構造を持つのか、ということを鮮明に映し出したものであったとも言えよう。(3)

2.「動乱社説」後の天安門事件における「反革命暴乱武力鎮圧」への道程

天安門事件222

1)「動乱社説」後も盛り上がる「反体制的」な活動

国家権力の中枢が、「動乱社説」と言う形で、中華人民共和国の在り方と中国共産党の存立基盤を明確に表明したことで、「天安門に集結した学生・知識人」は抜き差しならない立場に追い込まれることになったが、逆に「反体制的な活動」そのものは、五四運動の記念日を挟んで、百万人規模のデモの出現など、一層大規模な盛り上がりを見せる展開となった。

2)天安門事件に直結する中国共産党政権側の動き

天安門事件336

この後の展開のポイントは主として、2点取り上げることが出来るだろう。(4)

・第一は、共産党政権側が、「対話」要求に一切応じようとしなかったこと。
・第二は、実際のところ、学生知識人の「物価抑制、生活向上、官倒反対、民主と法制建設」は、政権のスローガンでもあったが、「治安回復」と「秩序維持」のために、人民を敵に回すことも厭わず「首都戒厳令」の布告に踏み切ったこと、である。

3)中国共産党側の「対話」拒否の姿勢

趙紫陽,対話

第一の政権側が「対話」を一切拒否する姿勢は、まさに「党の指導によらない不法組織を容認しない姿勢を貫いた」ということであり、「全国のあらゆる機関、組織、工場、団体における党の指導を体現する合法組織」の存立基盤を確保し、全国に遍く張り巡らされた共産党一党独裁体制の網の目を綻びさせないための措置であった、と言えよう。

4)武力鎮圧に直結する「戒厳令」の布告

第二の「戒厳令」布告に関しては、中国共産党政権が人民の側を向いているのか、あるいは体制維持を最優先するのかの試金石でもあったし、ここで「戒厳令」を選択することで、中国共産党政権の本質を明らかにするものであった、と言えるだろう。この「戒厳令」布告から「反革命暴乱武力鎮圧」までの距離は、ほんの一歩であった。

3.日中で相違する治安維持のための実力行使の方法論

安保闘争

1)日本の安保闘争の鎮圧方針と鄧小平体制の方針の相違

我が国の安保闘争においては、最終段階まで政権側に動員されたのは警視庁機動隊を中心とする警察権力のみであり、自衛隊による武力鎮圧が結果的になされなかったことは、国家権力の中枢部における日中の相違を象徴する出来事とも言えるのではないだろうか。
結局鄧小平体制は、学生・知識人との開かれた場での対話ではなく、物理的強制力による鎮圧を選択した。中国の歴史を辿ってみると、「国家制度の運用」「制度的手続きを含みこんだ政治過程の進行」というのは、統治権力にとって異質であった。鄧小平は、次のように語って統治権力の一元的掌握の強い決意を表明している。
「彼ら(今回の運動に参加した学生たち)は、憲法の中の民主主義、自由を用いて、われわれと闘争している」(5)「中国で、もしあなた方の三権分立や普通選挙制度を持ちこむならば、中国は必ずや動乱の局面になり、今日はこのデモ、明日はこのデモとなろう」(6)

2)中国における政権側の絶対的な統一権力の維持と貫徹への強い志向性

天安門事件221

中国においては、強固な一元的権力の貫徹が行われないと、潜在するアナーキー的な状況が噴出して大混乱に陥る、という危機感が政治指導者の共通認識であり、実際に統一権力が崩壊すると分裂割拠の有りようとなる、と言うのが歴史的事実でもあった。このような歴史的な経緯もあり、国家権力の側は常に絶対的な統一権力の維持と貫徹を志向してきたと言えようし、鄧小平の権力観もその延長線上にあったことは疑いないと思われる。(7)

3)中国共産党の本質的性格としての「民衆に依拠しない専制的な」方向性の明確化

中国共産党専制支配

中国において整備されてきた「憲法」やその中で規定された自由・民主主義はあくまでも「法の支配」のためのものではなく「法による支配」の正統性を支える存在ということになろうか。(「法制の確立」とは、むろん「法の支配」ではなかった。それは「何よりも法による支配」を意味していた」(8))
このような権力の在り方は、中国の政治風土に根ざしたものであり、「党の指導」の基本的根拠を構成するマルクス・レーニン主義の「前衛党」の意味、役割とは全く無縁のものであることは確かであり、むしろ伝統的かつ前近代的な専制権力の一つの態様を表出していた。(9)
ここに至って、中国共産党の権力中枢はギリギリの段階で、「民衆に依拠しない専制的な」性格を如実に明らかにした、と言えるだろう。

4.中華世界大一統維持を最優先する中国共産党

李世民

1)「暴徒の物理的排除」を超える中華天下統一維持のための「実力行使」

戒厳令布告から武力行使に至る15日間の過程において、一部では地方の人民解放軍部隊のデモ支持というような噂も流れていたが、このような中で軍閥割拠や分裂の可能性の排除は党指導部にとって至上命題であったろう。結局党指導部は予想される広範な人民大衆の批判の矢面に立つことや国際的なボイコットの動きのマイナス面よりも、天安門広場を制圧して国家を統一的に支配貫徹して秩序を維持することを最優先に決断を下した。天安門広場の武力制圧は、単なる「暴徒」の物理的排除ではなく、中華天下の統一維持を貫徹する伝統的専制権力の現れとしての権力の側からする力そのものの示唆であり、抵抗するあらゆる力に対する威嚇であり、非服従者に対する見せしめとなった。(10)

2)皇帝専制時代から中国共産党一党独裁を通底する「帝国的権力」

乾隆帝

六四天安門事件で行使された権力は、まずは「一党独裁権力」であり、「開発独裁権力」の要素も併せ持ち、さらにはそれが「伝統的専制権力」と結合された重層的な権力であったといえよう。(11)
ここで立ち現れることとなった幾つかの権力の実態のうち、「伝統的専制権力」こそは、かつての皇帝専制時代から中国共産党一党独裁時代を一貫して流れる「帝国的な権力」の有りようを白のもとに晒したことになるだろう。中国共産党中枢部は、中華世界大一統維持のために、まさに「快刀乱麻を断つ」一撃に出たのである。

5.天安門事件鎮圧における武力行使と中国共産党支配の正統性調達

鄧小平333

1)鄧小平体制の天安門事件での武力行使と人民大衆の認識

鄧小平体制のこのような武力行使と言う選択が人民大衆の支持を受けるか否かは疑問であった。人民大衆は学生・知識人の自由と民主の要求は支持していないし、三権分立や多数政党主義なども考えてもいないが、中国の政治文化の徳治主義の伝統を踏まえれば武力行使と言う物理的強制力の発動にも批判的であった。天安門に集結した「暴徒」が特に人民大衆の生活を危険に陥れるものと断定出来ない以上、今回のような武力弾圧は体制の側にとっても一定の政治的打撃となったと言えよう。

2)中国共産党の統治方針の個人崇拝的方向性からの転換

江沢民

六四天安門事件後の動向として、毛沢東や鄧小平のような個人カリスマに頼った統治は困難になっており、党が指導の中心とならざるを得なくなってきているが、同時期のソ連・東欧の体制崩壊の影響もあり共産党の支配の正当性も急速に後退しつつあった。このような中で党が国民を指導する正統性の根拠としては、「愛国主義」と「天と自然の理」を社会主義に加える動きが観られた。

 ・「今日の中国においては、愛国主義と社会主義は本質的に統一されています」(12)
・「社会主義は中国の国情に合致し、人民の心から擁護されている。40年の風雨を経て、社会主義は神州の大地に根を下ろし、天を衝く大樹に成長し、葉を茂らせ、生気はつらつとしている」(13)

このように「天の理」「自然の理」が強調されている状況を観れば、中国における社会主義は西欧起源の原型が後景に退き、中国化あるいは中国伝統の徳治主義や「天の思想」が前面に復活しつつあることが窺えよう。

尚、本稿でも取り上げた天安門事件と中国共産党の方針については、以下のリンクでも詳しく取り扱っております。
天安門事件に至る中国の国内状況及び中国共産党一党独裁=鄧小平体制の支持基盤の解明!

天安門事件=体制転覆の危機で表面化した改革開放の象徴としての鄧小平と中国共産党による一党独裁体制の本質!

<参考文献>
(1)人民日報 旗幟鮮明に動乱に反対せよ 1989/4/26
(2)野村浩一:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の権力と伝統 p185-p186
野村浩一:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の権力と伝統 p186-p187
(3)野村浩一:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の権力と伝統 p187
(4)野村浩一:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の権力と伝統 p192
(5)矢吹晋:チャイナクライシス 重要文献 第一巻 蒼蒼社1989 鄧小平講話 1989/4/25
(6)人民日報 1989/6/24 カーター元米大統領との談話
(7)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第1章 中国の危機とは何か p13
(8)野村浩一:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の権力と伝統 P199
(9)野村浩一:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の権力と伝統 P199
(10)野村浩一:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の権力と伝統 p199
(11)野村浩一:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の権力と伝統 p199-p200
(12)江沢民演説 1989/9/29
(13)人民日報 1989/10/1

天安門事件=体制転覆の危機で表面化した改革開放の象徴としての鄧小平と中国共産党による一党独裁体制の本質!

天安門事件_0

天安門事件という体制の危機に直面して鄧小平自ら側近の胡耀邦、趙紫陽らの「改革開放」のシンボルを葬り去り、体制転覆を武力で阻止した中国共産党のなりふり構わぬ在り方を検討する。

1.天安門事件をどのようにとらえるか?
 1)天安門事件を批判的に再解釈する試み
 2)天安門事件に対する西側民主主義的な視野を離れた論調の存在
 3)中国共産党に対する人民の「圧倒的支持」と強権支配の関連
2.体制の安定のため必要不可欠な強権の発動
 1)支配の正当性に関するマックス・ウェーバーの分析
 2)中国の伝統的な支配類型と近代における一党独裁の近似性
3.中国における統治者と人民の関係性
 1)西欧と中国の支配に関する感覚の相違
 2)中国における人民の存在感の二面性
4.社会主義革命後も継続する中国における「啓蒙専制政治」
 1)易姓革命後も継続される独裁と強権による統治
 2)プロレタリアート前衛の独裁と伝統的啓蒙専制統治の近似性

1.天安門事件をどのようにとらえるか?

天安門事件,戦車出動

1)天安門事件を批判的に再解釈する試み

天安門事件については、西側民主主義的な立場からは当然ながら批判的な言辞が大半であり、中国共産党当局は学生・知識人の最低限の要求も拒否し、あたかも言論の自由にも普遍的人権にも無頓着にしか観えない。
とはいえ、まずは天安門事件当時の情勢を幅広く検討した上で、可能な限り柔軟な視点から事件を再解釈し、中国共産党の実相と今後の統治継続の可能性について考えてみたい。
そうした中から人民共和国を自称する現代中国の「帝国性」の実態を確認していければと思量している。

2)天安門事件に対する西側民主主義的な視野を離れた論調の存在

鄧小平1

天安門事件の直後に現れた論調の中では、「いかなる独裁者であれ、彼を支える社会的な権力基盤がなければ強権を発動しえない。だとすれば中国社会には今なお、鄧小平個人独裁を容認し支える基盤が存在するということを認めなければならない」(1)「現代中国の理解に要求されるのは、現状分析に加えて、長いタイムスパンと広域にわたる視野を取り込んだ、すぐれて平衡感覚に富んだアプローチなのである」(2)というような内容があり単純に西側民主主義の範疇から割り切った視点だけで中国を捉えるべきでないということを示唆していており、批判や非難一色に染まりかねない中では、異彩を放っていた。

3)中国共産党に対する人民の「圧倒的支持」と強権支配の関連

中国共産党1

中国共産党指導部の意思決定過程や行動パターンがどのようなものかを検討するときに、帝国的な伝統に直結するモノ、人民革命以来革新されたもの、改革開放以来伸張されたものなどの要素が重複して存在しているのは間違いないところであろう。
また党指導部も人民大衆から遊離しては成り立たず、圧倒的多数の支持を受けない政権はたとえ共産党と言えども長続きすることはないであろう。

2.体制の安定のため必要不可欠な強権の発動

天安門事件戦車

1)支配の正当性に関するマックス・ウェーバーの分析

天安門事件のような弾圧と混乱を経て政治を安定させるために不可欠なことは、その支配の正当性を人民大衆に納得させることであるが、このあたりについてマックス・ウェーバーにならって類型化すると以下のようになる。

・第一として、人々のふるくからの価値意識を中心に組み立てられる伝統的支配
・第二として、特定の人または集団に他の人にはない能力または資格を認めてこれを絶対化するカリスマ的支配
・第三として、対等な個人を前提に合法的に確立された合法的支配(3)

2)中国の伝統的な支配類型と近代における一党独裁の近似性

中国共産党政治局常務委員

中国においては伝統的に儒教的な徳治主義が行われており、これはウェーバーの類型に従えば、第一と第二の類型が重なり合ったものと言えよう。徳治主義とは、有徳者による政治であり、その有徳者とは、いわゆる聖人君子のことである。有徳者は人々を教育し、啓蒙する権威を持つが、この「有徳者」の権威をそのまま君主の統治原理におきかえると漢代以降の儒教政治となった。(4)
そして、この「有徳者」の権威と君主の統治原理を近現代に焼き直した形で、中華民国における中国国民党一党独裁、さらには中華人民共和国における中国共産党一党独裁体制が、今日まで継続して来ているとも言えるのではないだろうか。

3.中国における統治者と人民の関係性

リバイアサン

1)西欧と中国の支配に関する感覚の相違

西欧の民主主義の発展段階においては、本来平等であるべき人間と人間の関係において、民主主義といえども「人が人を支配する」という耐えがたい事実が存在する中でこれを隠ぺいするために「匿名の国家人格」という概念が提出された。(5)
しかるに、天命思想を伝統に持つ中国においては「人が人を支配=指導する」ということに大きな疑義や抵抗感が提起されることはなかった。(6)このように有徳者の教化と君主の支配は、大きな抵抗を受けることもなく受け入れられ民衆に浸透していった。

2)中国における人民の存在感の二面性

孟子

他方で人民大衆は、天下の人民であり、民の声は人民の声として重んじられてきたが、実態としては政治主体としての資格を与えられず、「知らしむべからず寄らしむべし」というような受け身の存在として取り扱われた。このような民を指導するのが聖人君子ということになった。(7)
人民大衆は日常的には、非政治的に生きて税金と徴用以外は政府に用がない存在であったが、彼らが生活に行き詰ると天命が革まったとして起義(暴動)を起こし、易姓革命を実行した。(8)
確かに、一見したところ政治に関与する資格を喪失しているかのような中華世界の人民が、一たび立ちあがって大規模な叛乱を惹起すると、その勢いは時の王朝権力を一掃する凄まじさを発揮する例は、ほとんどの王朝交替の歴史において枚挙に暇が無いほど、観察されるところであり、万世一系を建前とする我が国の天皇制とは、明確に一線を画している。

4.社会主義革命後も継続する中国における「啓蒙専制政治」

啓蒙専制政治

1)易姓革命後も継続される独裁と強権による統治

易姓革命後には暴動の指導者は、支配体制の中にそのまま吸収され、新たなる啓蒙専制政治を開始した。このように王朝・君主と民衆指導者たちは、中国的独裁と強権政治の発想において思考パターンを共有していた。
社会主義革命後の中国においても、こうした啓蒙専制政治の伝統は、脈々と息づくこととなった。

2)プロレタリアート前衛の独裁と伝統的啓蒙専制統治の近似性

マルクス
マルクス・レーニン主義においては論理上は人民大衆が第一であるが、実際は統治能力を持つ幹部がプロレタリアート前衛の建前の下で指導権を確保し、民主独裁の遂行として人民の敵、階級上の敵に対して独裁を遂行してもよいとされた。(9)また民衆の叡智の結晶としての共産党は、意識の遅れた民衆を指導する義務と権利を有するものとされた。このように社会主義中国においては、伝統的啓蒙専制の有りようが、そのまま社会主義的用語をまとって再生されてきたようにも観受けられる。

尚、本稿で取り上げた天安門事件と中国共産党鄧小平指導部の対応については、以下のリンクでも詳しく取り扱っております。
鄧小平,中国共産党が,なぜ天安門事件で民主化運動を武力弾圧しなければならなかったのかを解明!

<参考文献>
(1)金塚貞文:週刊読書人 読書人 1989/7/3 武力鎮圧後の中国の行方
(2)可児弘明:読売新聞 1989/6/22 近代観念のみでは判断できない国
(3)宇野重昭:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の民主主義 p105
(4)宇野重昭:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の民主主義 p105-p106
(5)H・ケルゼン:デモクラシーの本質と価値
(6)宇野重昭:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の民主主義 p106
(7)宇野重昭:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の民主主義 p107
(8)村田雄二郎:帝国とは何か 岩波書店 1997 中国皇帝と天皇 P120
(9)毛里和子:現代中国 現代中国の政治世界 岩波書店 1989 政治体制の特徴とその改革 P58

台湾の中華民族による民主主義体制の成功は、中国共産党一党独裁体制の存在理由を否定する脅威である!

金正恩

「中華民族の国家」として史上初めて民主化した台湾が帝国的な一党独裁の支配体制を継続する中国共産党に与える破壊的なインパクトは北朝鮮の金正恩体制よりも危険である。  

1.民主化した台湾の存在が中国共産党一党独裁に与えた衝撃
 1)中国共産党による「伝統的な賢人政治」がいつまでもつのか?
 2)台湾が自ら選び取った議会制民主主義の重み
 3)中華世界で民主主義運営が可能なことが証明された衝撃
2.台湾の民主化はどのように達成されたのか?
 1)権威主義体制から民主主義体制への移行の前提条件
 2)国家と社会の微妙な距離感と利益調整メカニズムの構築
 3)国民党と人民大衆の民主化に向かう共同体験の進行
3.伝統的な賢人支配のエリート政治を転覆させた台湾の民主化
 1)李登輝と人民大衆による微妙なバランスのゲームの成功
 2)中国共産党にとっての改革モデルとして「台湾民主化」
4.台湾民主化の評価と中華世界統治への影響
 1)台湾民主化の中華世界への衝撃度
 2)「中華民族」が民主主義社会で暮らし続ける重み

1.民主化した台湾の存在が中国共産党一党独裁に与えた衝撃

李登輝

1)中国共産党による「伝統的な賢人政治」がいつまでもつのか?

民主化された台湾の存在は、現在も「伝統的な中華帝国の枠組みを堅持する中華人民共和国」にとって強烈なインパクトを与えていると言えるのではないだろうか。改革開放の進展に伴い、特に沿海部の経済発展は目覚ましいものがあるが、そういう中で「沿海部の中産階級の政治意識」に対して、いつまでも「伝統的な賢人政治」に依拠した発想が通用するのかは疑問もあるかもしれない。

2)台湾が自ら選び取った議会制民主主義の重み

台湾民主化
少なくとも同じ「中華民族」が、他から与えられたものではなく、自ら選びとって議会制民主主義を達成し、曲がりなりにも安定して運営しているというのは、1989年の天安門事件でそのような要求を武力で弾圧した共産党指導部にとって頭痛の種になりかねないだろう。
国内の「平和的民主化」と海外のインフォーマルな経済活動を展開する「台湾経験」は、共産党の一党独裁に固執する中国へのソフトな挑戦として、中華世界の変容を促す世界史的意義を有している。

3)中華世界で民主主義運営が可能なことが証明された衝撃

中華民族民主化

それはまた「家産官僚制」や「東洋的専制主義」と呼ばれ、現在でも「皇帝型権力」の政治的伝統を有するとされる中国に対して、同じく華人社会の一員である台湾において西欧型の議会制民主主義が実現されたことによる中華世界へのソフトな知的挑戦でもある。(1)

2.台湾の民主化はどのように達成されたのか?

台湾民主化t

それでは、台湾の民主化が何故達成されたのかを検討してみたい。

1)権威主義体制から民主主義体制への移行の前提条件

権威主義的体制から民主主義的体制への平和的移行には、「一人あたりのGNPに換算した経済成長」「教育の普及がもたらす識字率の向上」「社会の多元的価値を代表する中産階級の台頭」といった要因と「政治的自由化、民主化の相関関係」を検討する必要がある。(2)

2)国家と社会の微妙な距離感と利益調整メカニズムの構築

台湾民主化111

このような前提に立って、民主化を実現するためには、国家と社会との間に適度な距離が必要であり、国家は多元化する社会に対してどのように具体的に利益の調整をはかり、そのメカニズムの制度化を実現するために最大限の努力を払う必要がある。また民主化へ向かう体制移行の最中には、利益調整のメカニズムを具体的ろに発見して制度化するために国家と社会の双方がともに新たな争点でぶつかり合い、そこから妥協点を見出すという「学習のプロセス」が必要である。(3)

3)国民党と人民大衆の民主化に向かう共同体験の進行

国民党軍
こうしてみると「台湾の平和的民主化」とは、支配者としての国民党と被支配者としての野党や人民大衆が、そうした国家と社会の間に適度な距離を見出して、「具体的な体験」の中で幾多の危機に遭遇しつつ、民主化の必要性を認識してきた「学習のプロセス」を辿ってきたと言えよう。またこのような民主化過程が平和的に遂行されるためには、支配者と被支配者の間で、過度の暴力よりも適度の譲歩と妥協・調和をギリギリのところではかる方がコストが少ないということを認識する「学習のプロセス」も必要であった。(4)

3.伝統的な賢人支配のエリート政治を転覆させた台湾の民主化

李登輝555

1)李登輝と人民大衆による微妙なバランスのゲームの成功

「李登輝総統」と「野党、人民大衆」という政治的なアクターが、それぞれ「支配の正当性」と「政治参加の正統性」を体現しつつ利害の衝突と妥協を繰り返しながら、政治的「学習のプロセス」経験し、そこからバランスと調和を産み出す一定のルール・オブ・ゲームを確立してきた。
このことにより台湾政治の台湾化、民主化、ならびに中台関係の脱内戦化・共存状況の創出に一定の成功を観た。(5)

2)中国共産党にとっての改革モデルとして「台湾民主化」

台湾民主化666
このような微妙で繊細なプロセスを経て、流血を観ないスピーディーな民主化が実現した。中華世界の政治文化として伝統的な賢人政治・エリート政治が当のエリートの側から覆されたわけであり、このことは単なる民主化実現以上に奥深い意味が内包されているように思われる。台湾民主化は、現時点では中華人民共和国の政治体制に対して、重大な影響を与えているとは言えないであろうが、今後改革開放路線の行き詰まりや、官僚の金権腐敗、人権問題や民主化要求に対する体制側の後ろ向きな対応などがクローズアップされてきた時には、一つの改革モデルとして「台湾経験」が大きな意味を持ってくることも考えられる。

4.台湾民主化の評価と中華世界統治への影響

デモ隊

1)台湾民主化の中華世界への衝撃度

「中華帝国」という観点に立てば、台湾は漢人中心の社会とは言え、領域的には閉じられた島であり、到底「中華天下」を包括しているとは言えない。「台湾民主化」は言ってみれば「中華帝国の一省」レベルの話ということになるかもしれない。高度成長期の日本においても国政は自由民主党が盤石に支配している時期に、東京都知事に美濃部亮吉氏が当選して革新都政を展開していた、ということもある。同列には論じられないだろうが、全国支配と地方支配の差は歴然として存在するだろう。

2)「中華民族」が民主主義社会で暮らし続ける重み

祭英文,李登輝

それでは、省レベルは民主化可能だが、帝国全体は共産党が支配を貫徹するということがありうるかというと、これは中華大一統の原理に抵触しかねないとはいえ、香港の実例もあるので、一概には否定できないところである。清帝国には、内地と藩部と言う一国両制の伝統もあり、香港は一国両制の現代版と言うことになるが、台湾もその範疇でとらえられるかもしれない。
いずれにせよ、2000万人以上の大陸の中華世界に住むのと同じ「中華民族」が、完全な西欧型民主主義体制のもとで安定して暮らしている、という事実の大きさは十分にかみしめていく必要があるだろう。

尚、本稿の延長線上で台湾民主化に関しては、以下のリンクでも取り上げています。
中国全土で西側民主主義実現が可能なことを台湾の民進党,蔡英文総統当選が実証!

<参考文献>
(1)井尻秀憲:台湾経験と冷戦後のアジア 勁草書房 1993 序章 世界史の中の「台湾体験」 p5
(2)井尻秀憲:台湾経験と冷戦後のアジア 勁草書房 1993 序章 世界史の中の「台湾体験」 p9
(3)井尻秀憲:台湾経験と冷戦後のアジア 勁草書房 1993 序章 世界史の中の「台湾体験」 p9
(4)井尻秀憲:台湾経験と冷戦後のアジア 勁草書房 1993 序章 世界史の中の「台湾体験」 p9
(5)井尻秀憲:台湾経験と冷戦後のアジア 勁草書房 1993 序章 世界史の中の「台湾体験」 p10

毛沢東が国共内戦で蒋介石に勝利した中国の共産党一党独裁による社会主義革命開始時点の課題の解明!

毛沢東

毛沢東が、国共内戦で蒋介石に勝利した時点で「中国における社会主義革命」で直面した課題への中国共産党の具体的な対応について検討する。

1.半植民地状態からの解放と独立した主権国家の再建
 1)中国におけるナショナリズムの方向性
 2)国民党と共産党に共通する中華民族主義的ナショナリズム
2.自主自立自由の実現:自主独立の気概を持つ市民階級の創生と自由自立した市民による市民社会の構築
 1)西欧における国民国家建設の方向性
 2)中国における市民階級の未成立
 3)中国における人民観
 4)農村に浸透する共産党の論理
 5)共産党の農民政策と白蓮教の類似性
 6)共産党の農民開放と民族解放政策への農民の圧倒的な支持
3.経済的富国化:反植民地状態から自立した経済体制の確立と工業化による産業強化の実現 
 1)中国市場の特殊性と農業集団化の有効性
 2)国家計画経済による工業化推進の必然性
 3)経済面の集団化と計画化による貧困対策の成功

1.半植民地状態からの解放と独立した主権国家の再建

円明園
円明園廃墟

1)中国におけるナショナリズムの方向性

西欧における国民国家建設の根底には、内発的な国民統合としてのナショナリズムがあり、これが西欧列強の帝国主義的発展のエネルギーとなった。しかるに、中華世界におけるナショナリズムの方向性は、欧米列強による侵略からの帝国解体の危機を起点にしており、受け身のナショナリズムとして反帝国主義や半植民地支配からの解放という形態をとって立ち現れることとなった。(1)
中華世界においては、近代が当初は、西欧列強による清朝への圧迫と言う形を取って現れただけに、西欧で成し遂げられたような健全な国民統合としてのナショナリズムの発現は期待出来なかった。
中国人民が下からの民主主義を推進するのが困難な理由の一つに、このような内発的ではない、外発的で受け身的なナショナリズムしか成り立ちえなかった、ということもあるかもしれない。

2)国民党と共産党に共通する中華民族主義的ナショナリズム

中華民族
このようなナショナリズムの高揚において、国民党と共産党は共通点を有していた。共産党は、この段階でのナショナリズム高揚の局面において、その社会主義的要素を敢えて封印し、基本線としては、中華民族の偉大な伝統と自負を強調すると言うスタイルを採用した。この際に、強調されたのは、西欧的な国民国家の枠組みの中でのナショナリズムではなく、伝統的な中華帝国の天下思想にも一脈通じる様な、「中華民族」主義とでも言うべきものであった。そもそも、中華民国においては、国民国家と言う基盤は未成立であり、ネーションステート的ナショナリズムの基盤は皆無であったから、共産党の採用した伝統的な中華民族主義の強調は、選択の余地の無い政策判断であった、とも言えよう。(2)
共産党が、中華世界に浸透する過程において、敢えて社会主義的な色彩を封印し、中華民族主義に立脚して、特に農民の白蓮教的な発想に応える様な運動を展開したことは、非常に柔軟で現実的であり、中華世界の当時の現実にもマッチしていた、と言えよう。
このような中華民族主義や伝統的な民族的自覚の高揚の中で、抗日戦争における民族的団結の維持には成功したが、反面で個人の市民的自覚や個々人の人格の尊重と言った要素は、著しく等閑視され、その後の市民社会の形成を阻害する、過激な集団主義が発芽していったのである。(3)
中華世界の当時の混乱状態の中で、西欧的な市民的自由や人格の尊重を強調することは、かなり困難であったと想定される。抗日戦争を勝ち抜き、国民党との闘いに勝利した後に、安定した社会を早急に構築出来れば、そういうことも可能であったかもしれないが、実際にはそのような西欧的な市民社会の形成に向けた動きは、今日に至るまで積極的に肯定されるには至っていない。

2.自主自立自由の実現:自主独立の気概を持つ市民階級の創生と自由自立した市民による市民社会の構築

バスチーユ陥落

1)西欧における国民国家建設の方向性

本来の国民国家建設の在り方は、本来はその国の人民の自由へのあくなき意志をベースにして、育まれるのが、西欧諸国の行き方であった。すなわち、西欧の国々においては、貴族階級の跋扈する封建的な身分制度を打破し、政治的経済的な分裂割拠の状態を脱するために、領域内における統一した政治支配、統一した市場形成、統合した国民の形成が図られるのが常であった。(4)
西欧においては、上から市民を主導する必要もなく、王権や貴族階級が全力を挙げて、その権利と権力を維持しようとしたにもかかわらず、市民階級の独自の革命運動により打倒されるのが、常であった。

2)中国における市民階級の未成立

孫文
しかるに、中国においては、孫文をはじめとする国民党指導者が常に危惧の念を抱いたように、政治的に責任を果たすのに十分な判断を下せるような、市民階級が未成立であったために、そのような人民による個人的自由の要求の末路が、社会的な個人という単位を単なる個人の本能的な要求の次元にバラバラに砕け散らせるだけと想定された。このため、中国における「自由」の追求は、あくまでも半植民地状態からの解放としての民族的な自由の主張に限定され、市民的な自由の主張は、民族的な団結を阻害する危険思想として、排斥された。国民党のこのような考え方は、共産党も共有しており、元々階級政党であったはずの共産党が、抗日戦争を遂行する中で民族政党として支配の正統性を確保する中で、益々民族的な自由と解放を重視することとなり、市民的開放は等閑視された。(5)

3)中国における人民観

弥勒菩薩
国民党と共産党の人民に対する考え方は、ほぼ共通であり、階級政党であったはずの共産党は、中国の現実の前で、当面社会主義的な在り方を一先ずおいて、民族政党として抗日戦争を勝ち抜くことに専念することで、その支配の正統性を確保した。
さらに、中国においては、自由よりも平等が政治的にも重視され、人民の団結力を高める結果となっていった。共産党は、上海の都市社会で誕生しながら、都市部においては、国民党に敗退した結果、辺境に逃れ、農村部を革命根拠地とせざるを得なくなった。農村に蔓延していたのは、絶対平等を基調とする、千年王国的な白蓮教徒の平等主義であった。それまでの中華世界において、王朝の転覆を実現してきたのも、このような農民を中心とする反乱における、菩薩の降臨と不平等や苦しみからの救済、浄土を建設する絶対平等主義のエネルギーであったと言える。(6)

4)農村に浸透する共産党の論理

農奴制
大都市部で国民党に敗れた共産党が、根拠地とした農村部では、まさに白蓮教的な救済の思想が、未だに息づいており、その根底には自由とか民主と言う以前に、平等それも絶対平等とでも言うべき主張が根強かった。共産党の指導者、特に毛沢東は、このような民衆の絶対平等主義のエネルギーの中に全ての王朝を転覆してきた農民大反乱の根源を観て、現在の中国革命のエネルギーに転化させうると考えたとしても不思議ではない。
共産党は、そうした農村において、農民の平等を阻害する要因である、地主⇒小作関係を解体して、搾取の構造を解消し、独立した自営農民を大量に創出することが、農民解放の課題と位置付けた。そして、このような地主を打倒する土地革命こそが、中華世界における共産党の中心的な革命課題となった。(7)

5)共産党の農民政策と白蓮教の類似性

白蓮
共産党が農村部に立脚し、農村部が膨大な農民層により成り立つ以上、その農民の支持を取り付けるためには、共産党は、平等主義を推進するためにも、地主を排除し、小作人を解放する運動を推進する必要があった。
このように共産党の推進する土地改革は、社会主義的な色彩よりも独立自営農民の創出を目指す、多分に資本主義的な色彩を帯びた改革であったが、共産党の成功要因は、この改革の過程に地主対小作という階級闘争の要素を持ち込んだことにあった。農民にも受け入れやすい、地主を打倒して小作人が解放されると言う、階級闘争の原理は、農民の反地主的な根強い反逆の思想に火を付け、広範な農民の反乱への参加による共産党への組織化に成功した。こうした農奴的状態からの農民の身分支配からの解放を主張する共産党の地主対小作の階級闘争を基調とする土地革命論は、自由よりも平等が強調されることで、大多数の農民からは、白蓮教の千年王国的絶対平等主義にも通じる伝統的な救済の思想と完璧に一致して観えた。(8)
このような共産党の反地主の平等主義的な政策は、大多数の農民から白蓮教の千年王国の実社会への転換の図式とも受け取られ、反地主運動に熱狂的に取り組む農民層を、共産党配下に組織化することを促した。

6)共産党の農民開放と民族解放政策への農民の圧倒的な支持

毛沢東 農村
日本軍の中国侵略により、共産党の農村における白蓮教的な平等への主張は、抗日と言う異民族支配からの脱却を目指す中華世界的なナショナリズムと一体化し、農奴的状態と民族的隷属からの解放の主張となり、このような共産党の農民解放と民族解放に向けた闘争方針が、中華世界における農村部からの圧倒的な支持を調達することに成功した。共産党は、このような展開の中で、農村部をバックに中華人民共和国の成立に至る大きな流れをつくりだすことに成功したが、そうした中で、個々人の政治的自由度は等閑視されることとなった。(9)
反地主と抗日と言う二本柱を押し立てて、中国共産党は農民解放と民族解放の実現のために活動することで、中国の大多数の農民層からの積極的な支持を確保することに成功した。

3.経済的富国化:反植民地状態から自立した経済体制の確立と工業化による産業強化の実現

人民公社

1)中国市場の特殊性と農業集団化の有効性

国民国家における領域内における市場の統一の実現は、国家の資本主義的な発展のための不可欠な施策と言える。そうした中で、中国においては、継続する侵略戦争と統一を阻害する地方割拠への根強い動きによって、経済的な統一が困難になっており、資本主義的な発展による自然な市場統一への希求というナショナリズムが醸成されることは無かった。(10)
西欧においては、考えられないことであるが、市民社会の未成熟な中国においては、市民階級の突き上げによる市場統一の実現は起こりえず、そのような動きは上からのみ成しえるのであった。
このような情勢下において、農村部の貧困問題を解消するための、積極的な施策として採用されたのが、社会主義的な集団主義と規模拡大による生産力向上の実現であった。このような方針の下に、中国における農業の発展が企図され、個人経営的な農業が否定され、大規模灌漑実現のための農業集団化が強力に推進され、人民公社として結実を観た。(11)
中国における農村部の貧困は大問題であり、このような問題の解決策として、農業集団化が実行されたが、この政策は改革開放政策の実施と共に直ちに取り消される運命にあった。

2)国家計画経済による工業化推進の必然性

毛沢東 指導
さらに沿海部において侵略してきた列強が、個々の勢力範囲ごとに個別に開発してきた分散化された工業配置を、全国規模で整合性のとれた形に整備するためには、上からの工業化が不可欠であった。(12)
中国においては、列強がバラバラに権益を確保しており、沿海部の工業化においても、その傾向は顕著であったが、これらを国家計画の下に統合的に推進するためには、上からの工業化以外に取るべき道は無かった。
国民党支配体制における官僚資本を主軸とする経済運営は、中国における経済発展を歪なものとし、健全な民族資本の自由な発展は観られなかった。このような歪んだ産業構造を変革するために、社会主義的工業化政策が採用され、中央統制による国家計画経済をベースにした経済運営が実施に移された。(13)
西欧におけるようなブルジョアジーの健全な発達も中国においては観られず、一部の官僚資本のみが非常に偏った経済的な発展を遂げていたために、このような経済状況をバランスよく立て直すためにも、社会主義的で、国家計画経済を主体とする中央統制をベースにした経済政策を採用せざるを得なかった。

3)経済面の集団化と計画化による貧困対策の成功

毛沢東 スローガン
このような経済面における集団化と計画化の推進により、市場経済原理は否定されたが、これは本来の目的である集団的安定と社会の平等化を実現し、中国に蔓延する都市、農村両面の貧困の撲滅に向けた動きを加速した。一方で、このような政策は、個々人の創意工夫の余地を狭め、独創的な発想を実現する機会を失わせ、市場統一による市場拡大のメリットが資本主義的な経済発展につながることはなかった。(14)
中国の当時の現実においては、やむを得ない事情でもあったろうが、計画経済の導入により、市場経済は否定された。しかし、社会主義的政策の採用による社会の平等化や都市・農村の貧困がある程度撲滅された功績は大きい。
 
<参考文献>
(1)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p361
(2)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p361
(3)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p361
(4)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p362
(5)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p362
(6)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p362
(7)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p362
(8)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p362-p363
(9)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p363
(10)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p363
(11)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p363
(12)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p363
(13)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p363
(14)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p363