⭕️西洋の衝撃で崩壊したイスラム的世界秩序の基本構造の検討!

2023年6月10日

西洋の衝撃で崩壊したイスラム的世界秩序の基本構造の検討という観点から、西洋の衝撃を受けて崩壊したとされるオスマン帝国が立脚していたイスラム的世界秩序について、イスラムの基本構造から分析し、近接するキリスト教との関連やイスラム世界における国際関係や民族と国家の関係の考え方なども視野に入れつつ検討していきます。

「同じ啓典の民」としてのキリスト教徒とムスリムの相違

それではここで「同じ啓典の民」であるキリスト教徒とムスリムの相違について確認しておきたい。

初期のキリスト教とイスラムの相違

キリスト教徒は、イエス・キリストの布教開始以来コンスタンティヌス大帝の改宗まで、三世紀にわたって少数派であり、つねに疑惑の対象であり、またしばしば国家による迫害を受けた。その間にキリスト教徒は独自の組織を広げざるを得ず、抵抗の一環として「教会」を形作った。他方イスラム教の創始者ムハンマドは、自分自身がコンスタンティヌス大帝のようなものだった。彼の在世中にイスラム教徒は政治的にも宗教的にも忠実な信奉者となり、メディナの預言者ムハンマドの共同体は、この預言者自身を地域と人々の統治者と仰ぐ国家となった。ムハンマドの支配者としての活動の記録は「コーラン」と最も古い口述伝承に収められ、現在まで世界中のムスリムの歴史的自己認識の核となっている。(1)
このように体制や国家と宗教との関係が初期のキリスト教徒とムスリムの間では、根本的に相違していた。このためキリスト教においては、国家あるいは敵対する組織に対抗するための「教会組織」が発達しており、宗教としての原体験の段階において抵抗運動的な迫害への耐性が備わっているとも言えよう。

政治的支配者と信仰の関係

こうした理由のために預言者ムハンマドとその信奉者にとっては、神かカエサルかという選択は生じなかった。なぜならば支配者=信仰の守護者でもあったからである。しかるに多くのキリスト教徒にとっては、これは罠となる選択であった。ムスリムの教えと体験の中にカエサルは存在しなかった。神は国家の長であり、預言者ムハンマドは神の代理人として教え、支配した。預言者としてのムハンマドには後継者はおらず、イスラムの宗教・政治共同体の最高指導者としてはムハンマドは歴代カリフの始祖だった。このようなカリフの任務は、教義の説明や解釈ではなく、その支持と保護、つまり臣民がこの世で良きムスリムとして人生を送り、来世への準備を整えられるようにすることだった。このような目的のためカリフは、イスラム国家の内部では神から与えられた聖法を維持、擁護し、出来れば国境を広げ全世界にイスラムの光
明を広げることが期待されていた。(2)

イスラム的世界秩序と華夷の別の比較

「戦争の家」の異教徒の取り扱い

イスラムにおいては、「聖戦」が完遂され全世界的に「戦争の家」が「イスラムの家」と化しても「全人類がムスリムに化する」ことが想定されていたわけではなかった。「戦争の家」の異教徒は、「ハルビー」と呼ばれ交戦相手国の国民のように取り扱われたが、この「ハルビー」は「偶像崇拝者」と「啓典の民」に大別された。このうち偶像崇拝者には「改宗か死か」の選択が迫られたが、「啓典の民」にはムスリムの共同体との契約により被保護民(ズィンミー)として固有の宗教、法、生活習慣を保ちつつ、イスラム法の許容する範囲での自治生活が認められた。(3)

異質な存在への対応

このようなイスラム的世界秩序観に較べると中華帝国における「華夷の別」のような発想が差別思想ではあるものの、平和的な思想に観えてくる部分もある。中華文明エリアにおいては、「華」が「夷」を武力で教化するようなことは何ら要請されておらず、「夷は華の文化さえ身に付ければ華になる」(4)とされた。とはいえイスラム世界の中においては、「イスラム的寛容」なるものが異質の宗教・民族・価値観を包含しながらも、他の諸地域において異質の価値体系を有する者同士が激しく対立していた状況に比較すると、「相対的に安定した共存関係を実現し維持していた」(5)ことも間違いないところであった。

イスラムにおける国際関係

イスラムにおける民族と国家

イスラムにおける国際関係は、「イスラムの家」と「戦争の家」に属する様々な異教徒の集団との間の関係として捉えられる。また「イスラムの家」も異教徒の諸集団も基本的には「国家」としてではなく「宗教共同体」として捉えられた。これはイスラムが政治と宗教の分化を認
めないことに由来する考え方であり、イスラムとは人間活動のあらゆる分野においてアッラーの命に従うこととされた。またイスラム法も近代的な意味での法律ではなく、あくまで人間活動のあらゆる分野における行動の規範を意味していた。こうして「イスラムの家」に属するムスリムのアイデンティティーの根源は、何よりもムスリムであることに求められた。(6)
このようにイスラムが全てに優先するような考え方からは、民族や国家の概念は後景に退くことになるだろう。イスラム世界においては、近
代に至るまでムスリムか非ムスリムかの違いはあっても民族や国家の区別は無かったというのが、実際のところだったと考えてよいだろう。

ムハンマドとその後継者の国際的な立場

ムスリム共同体の唯一の指導者は、預言者ムハンマドの在世中は、ムハンマドであったが、彼の没後は「地上における預言者ムハンマドの代理人」がつとめることとされた。ムハンマドは、「最後の預言者」とされたので、その後のムスリム共同体の指導者は、あくまでもムハンマドの預言者としての側面ではなく、政治的なリーダーシップの側面を受け継ぐ存在であった。このような指導者はカリフあるいはイマームと呼ばれ、イスラム国際体系の理念においては、「イスラムの家」の唯一の指導者として、イスラムにアイデンティティの根源を持つ構成員を持つ宗教共同体を率いていた。(7)
イスラム共同体は、この世における神の意図が具体化される場所である。彼らを支配するイスラムの統治者は、預言者ムハンマドの後継者であり、預言者が神から預かったメッセージの守護者だった。
「聖法」の維持と適用、その適用範囲の拡大が神から与えられた統治者の義務だった。これを遂行することにあたって原則的には、何の制約も無かった。(8)
イスラムにおけるムハンマドの存在は非常に大きく、歴代のイスラム世界の政治指導者は、ムハンマドの後継者とされたが、ムハンマドの存在は「最後の預言者」として、他の指導者とは画然と区別された。
また政治の構成単位は宗教共同体であって、「宗教」が中心に位置している点が、大きな特徴と言えるだろう。

「宗教共同体」間の関係をベースにするイスラム国際体系

イスラム国際体系の理念においては、「イスラムの家」に対抗する「戦争の家」に属する異教徒も国家や民族で捉えるのではなく宗教共同体として捉えられていた。また「戦争の家」から「イスラムの家」に編入されても集団として存続している場合は、同様に宗教共同体として位置づけられていた。このようにイスラム国際体系の理念は、「宗教共同体」間の関係がベースになっており、「国家」を基本単位とする近代的な国際体系とは異質であった。(9)

イスラム的世界秩序と西洋の衝撃

イスラム的世界秩序の理念

ムスリム国家と異教徒の隣国との間には絶え間ない義務としての戦争状態が続いた。それはいつの日か間違いなく不信仰者に真の信仰を与え、全世界を「イスラムの家」組み入れる勝利で終わるはずだった。同時にイスラム国家と共同体は、啓蒙と真理の宝庫であり、その外側には蛮行と不信が渦巻いている。神がご自身の共同体に与える恩寵はムハンマドの時代から勝利と支配と言う形で証明されてきた。(10)

西洋の衝撃による激動

7世紀にイスラムが勃興して以来、営々として築き上げられてきたこのようなイスラム世界秩序は、その後「西洋の衝撃」の中で動揺し、結果的には西欧型の国民国家体系に組み込まれて解体・崩壊してしまった。他方で中華世界は、乾隆帝時代に確定した清朝最大版図を継承し、「元来の明朝期の中華文明エリアを遥かに超える帝国的枠組み」を堅持して今日に至っている。
次項では「イスラム世界秩序の崩壊」を「オスマン帝国崩壊」の枠組みを援用しながら捉え直し、なぜ「西洋の衝撃」の中で「イスラム世界秩序が崩壊」したのか、について以下のリンクのように検討していく。また「オスマン帝国指導層」あるいはトルコ民族が最終的に選択したトルコ共和国の成立の意味を「帝国としての中華」の在り方と比較しながら考えていきたい。
 
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参考文献
(1)バーナード・ルイス イスラーム世界の2000年 草思社 2001 第8章中東諸国家の性格 p200
(2)バーナード・ルイス イスラーム世界の2000年 草思社 2001 第8章中東諸国家の性格 p200
(3)鈴木董:イスラムの家からバベルの塔へ リブロポート 1993 第一章イスラム世界秩序 p18
(4)王柯:「天下」を目指して 農文協 2007 第一章 「天下」のもとでの華夏と四夷 p13
(5)鈴木董:イスラムの家からバベルの塔へ リブロポート 1993 第一章イスラム世界秩序 p19
(6)鈴木董:イスラムの家からバベルの塔へ リブロポート 1993 第一章イスラム世界秩序 p20
(7)鈴木董:イスラムの家からバベルの塔へ リブロポート 1993 第一章イスラム世界秩序 p20-p21
(8)バーナード・ルイス イスラーム世界の2000年 草思社 2001 第16章対応と反発 p427
(9)鈴木董:イスラムの家からバベルの塔へ リブロポート 1993 第一章イスラム世界秩序 p21
(10)バーナード・ルイス イスラーム世界の2000年 草思社 2001 第16章対応と反発 p428