改革開放

一党独裁の中国共産党が,なぜ辛亥革命で解体し国民党が失敗した中華帝国の再建と大一統に成功したのかを解明!

毛沢東

中国共産党が辛亥革命以来途絶え、中華民国=国民党政府が失敗した、中華帝国としての強権的支配と漢族及び周辺諸民族を包括した中華大一統の再現に一定の成功をおさめた要因について検討する。

1.中国共産党による中国再建策の成功
 1)中国の伝統的要素を有効活用した革命
 2)中国的色彩の強い社会主義革命
 3)帝国的秩序の20世紀的再建
2.中国共産党の6つの中核的施策による中国再建
 1)中国共産党の施策による中華大一統の4条件の止揚
 2)中華民国,国民党政権の再建策の失敗と中国共産党の成功
 3)中国共産党による大衆動員の成功と市民的自由の等閑視
3.改革開放政策の推進と中国共産党統治の行方
 1)改革開放による市場経済の復活と政治的自由の凍結
 2)経済自由化の中国共産党による「帝国的統治」への影響は?

1.中国共産党による中国再建策の成功

中国共産党22

1)中国の伝統的要素を有効活用した革命

中華世界において、清帝国瓦解後に実践された統一作業において、結果的に成功を観た唯一の方法は中国共産党による方式であった。この手法は、伝統的な体制を一新して、半封建的な要素を一掃するような、革新的な社会主義革命とは言えなかった。どちらかというと、伝統的な国家統一原理を有効に活用するものの、単に王朝循環的な伝統的統一国家の再編と言うわけでもない、新しいタイプの国家建設の形を取っていた。(1)
このように共産党の中国における統一国家の再建作業が成功した要因の一つは、構造的に旧帝国の支配機構を踏襲しつつ、新たな主体によって、それを推進したことにあった、と言えよう。

2)中国的色彩の強い社会主義革命

チャイナドレス
すなわち、共産党による革命は、王朝変遷における易姓革命のような伝統的な循環論に還元される革命でも、資本主義発展の延長線上にある西欧的な国民国家構築でも、資本主義を止揚する社会主義による革命でもなかった。中華世界において成功した共産党による革命は、清帝国の瓦解という政治的危機を打開するために行われた、社会主義的色彩を持つ国民国家建設の一環であった。
また共産党による革命は、社会主義や国民国家と言う概念そのものからしても、従来の概念とは異なる優れて中国的な色彩の強い、社会主義的手法であり、国民国家建設と言えた。

3)帝国的秩序の20世紀的再建

スターリン
このことは、資本主義が発展することで形成される疎外状況を解決する社会主義的手法と言う側面も資本主義の発展による新たな市民社会形成に向けた領域内の統合を目指す国民国家建設とも根本的に相違する存在であった。(2)
中国共産党の指導部が採用した中国における統一国家の再建作業は、社会主義国家の建設でも、資本主義国家の建設でも、ましてや旧帝国の再建でも無かったが、どちらかと言うと共産党の再建作業の中国的な特質を踏まえて考えると、旧帝国的な秩序構造を20世紀半ばと言う時代状況に合わせて、修正して再建してみせた、と言う要素が濃厚である。

2.中国共産党の6つの中核的施策による中国再建

近代化

1)中国共産党の施策による中華大一統の4条件の止揚

共産党による革命においては、中国人民という民族的中核、共産党と言う政治的中核、マルクス・レーニン主義と毛沢東思想と言う思想的中核、一党独裁的官僚体制と言う機構的中核、人民解放軍と言う軍事的中核、国家計画経済と集団経営と言う経済的中核の6つの中核が、相互に結合することで、中国的社会主義国家、中国的国民国家が樹立された。このように集団化・中央集権化・組織化を強力に推進することで、辛亥革命以来混迷の極致にあった分裂した中華世界の再統合に成功したのである。これは、結果的には金観濤の主張する中華世界大一統の4条件を十分に満たし、地上のどこにも存在しない伝統的な国家統一の原理に基づく 「帝国」を再建したと言えよう。(3)
すなわち旧帝国が大一統を実現しえた構造的な要素としては、金観濤の主張する「中華世界大一統の4条件」が適用し得るが、共産党が採用し現実に遂行した民族、政治、思想、統治、軍事、経済の6つの要素における中核的な政策は、この大一統4条件を見事に止揚して、中国は共産党を統治者とする「帝国」的な存在として見事に再建されたのである。

2)中華民国,国民党政権の再建策の失敗と中国共産党の成功

蒋介石,毛沢東
国民党的な手法においては、国民国家建設の推進主体としての国民不在に対処するにあたり、国民を政治的に排除した国民党独裁と三民主義イデオロギーによる人民の指導を目指しており、教育と地方自治の現場での体験学習を通じて、人民の政治的成熟を期待したが、これは実質的な国民の政治参加の拒否であり、最終的には国民の支持を得られなかった。(4)
結局のところ国民党が推進しようとしていた、国民形成のための手段は、人民を政治の場から完全に排除しつつ、教育と地方自治での体験による人民の政治的成熟を促すような施策であったが、人民はこの方式を支持しなかった。
一方で共産党は、人民の政治参加を、上からの政治動員と言う形で、実現しようとした。特に土地革命の過程における、貧農の反地主闘争への動員は、農民の白蓮教的な平等意識を刺激し、政治統合に非常に有効であった。また抗日戦争において、紅軍を農民革命軍に再編成し、農民を軍事的組織化で、組織人として再生させようとした。

3)中国共産党による大衆動員の成功と市民的自由の等閑視

人海戦術
さらに共産党の多用した人海戦術は、農業集団化や工業集団化を通じて、多くの人民を社会主義建設に参加させようとするものであり、このような政治動員を通じて、未熟な人民を政治的に成熟した国民に転化させるために行われた。 
このように国民党が政治教育による国民形成に失敗した後を受けて、共産党は人民を政治運動に投入することによる、国民形成を目指したのであった。(5)
国民党の政治教育による国民形成方式は破綻したが、共産党は農民を白蓮教的な平等主義も踏まえた反地主闘争に動員し、抗日戦争でも農民革命軍に動員することで、組織人として育成することを実践した。その後も人海戦術と言う手法を多用しながら、政治動員を通じた人民の成熟による国民形成を推進することで、共産党は真の国民形成の実現はともかくとしても、革命の貫徹と社会主義建設と言う政治的な果実を手にしたのであった。
共産党指導下における人民の政治への投入は、一見下からの政治参加のようで、実質は上からの政治動員であり、その運動は結果的に、人民の下からの自立化や多元化を伴うことは無かった。さらに共産党による革命の場においては、個人の自主性の発露のために重要な要素となる、思想の自由化や政治選択の自主的決定の機会は、共産党の一党独裁や毛沢東思想の統制下において、等閑視された。(6)
巨大な政治的果実をもたらした人民の政治動員は、結局は上からの施策であって、人民の自発的な性質のものでは無かったために、人民の自立や市民的な成熟とは無縁であった。また思想の自由化や政治選択の自由については、今日に至るまで実現していない。

3.改革開放政策の推進と中国共産党統治の行方

改革開放

1)改革開放による市場経済の復活と政治的自由の凍結

このような1949年の共産党による革命開始以来の幾多の年月における最大の変革は、経済的集団化の停止・解体であった。さらに、改革開放政策においては、市場経済が復活されることとなった。
共産党の指導部は、金観濤の大一統の原理に基づく清帝国に連なる統一的大帝国たる中華人民共和国は、既に盤石の安定を観ているとの認識の下に、遂に経済的な自由化に踏み切ったのである。一方で、政治的自由化は、帝国の統一に新たなる火種を宿しかねないと言う判断から、採用されるには至っていない。現時点における中華世界の情勢としては、経済的自由化の推進の中で社会主義における新たな政治的主体の形成が進んでいると言え、このことが孫文以来の未完の国民革命における最終的な革命主体になる可能性も秘めている。(7)

2)経済自由化の中国共産党による「帝国的統治」への影響は?

民主化運動

今後、中華世界が本当の意味での国民革命を推進し始めるのかどうかについては、隣国日本としても注視せざるを得ないであろう。
共産党により見事に再建された「帝国」的な存在としての現代中国は、既に盤石の安定を観たと言うことで、経済的な自由については、遂に自由主義、市場経済に舵が切られたが、政治的あるいは思想的な自由や民主主義といった人民の市民的な権利に関しては、未だに封印されたままである。
経済自由化に伴う自由企業の拡大や資本家階級とでも言うべきものの創生が、今後中華世界において共産党が確立した新たなる「帝国」の統治構造にどのような影響を与えるかについては、習近平体制の今後とも併せて目が離せないところである。

<参考文献>
(1)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p368
(2)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p369
(3)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p369-p370
(4)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p370
(5)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p370-p371
(6)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p371
(7)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第12章 中国における国民国家建設の課題と方法 p371

 

トランプ大統領の人民独裁的なバノン主義=アメリカファースト路線と毛沢東の文化大革命路線の類似性の検討!

アメリカファースト

トランプ大統領の理想主義的なアメリカファースト路線の延長線上にある、毛沢東による人民ファースト路線の極限の姿としての文化大革命時代の大混乱の真相を解明し、トランプ政権が真に目指す最終的な目的地として疑われるヒトラーが予言したアメリカにおける文化大革命的な分断や混乱の可能性を検証する。

1.トランプ大統領のアメリカファースト路線と現代中国に厳然として残る強固な文革的路線
1)改革開放の論理に抵抗する保守派の拠りどころとしての文革とトランプ大統領のアメリカファースト
2)現代中国における「文革」と「改革開放」の二路線とトランプ大統領のアメリカファーストの関連性
3)劉少奇の「調整政策」の継続としての鄧小平の「改革開放政策」
2.現代中国においても根強い「文革」的見地からの「改革開放政策」批判
1)「万言書」の出現とその文革的論理からの改革開放批判
2)現代に復活した文革期と共通する用語法による改革開放路線批判の論調
3)文革終結直後の毛沢東らの用語法の全面否定と現代中国の政治経済状況
3.中華帝国の伝統的な政治方針に連なるのは改革開放路線か?
1)社会主義中国における毛沢東路線と劉少奇・鄧小平路線の相克
2)中華帝国伝統の賢人主導のエリート主義に連なる改革開放路線

1.トランプ大統領のアメリカファースト路線と現代中国に厳然として残る強固な文革的路線

文化大革命2

1)改革開放の論理に抵抗する保守派の拠りどころとしての文革とトランプ大統領のアメリカファースト

現時点においても、文革あるいは文革的路線というのは、中華人民共和国における「原理主義的な社会主義の表出」及び「毛沢東思想原理主義の表出」とでも言えるだろう。そういう意味では、「改革開放の論理」に抵抗する保守派の理論的・情念的な根拠には文革的なるものが常に息づいているのではなかろうか。
例えば、鄧小平に対抗する保守派の重鎮であった陳雲は、1985年6月に「開放自由化政策は、必要であり正しい政策であるが、断じて社会主義経済体制や社会主義精神文明に対立するものであってはならない」と述べた。過度な商品経済の導入が社会主義体制の根幹である計画経済の主導性を喪失させ、党幹部の腐敗を招き、ひいては社会主義体制を危うくするという危機意識が保守派の一貫した共通認識であった。(1)
トランプ大統領

このように現代中国においては、常に改革開放路線=経済成長一辺倒あるいは経済合理性追求一辺倒の方向性に対する原理的で根強い批判的な精神が、草の根レベルの人民から中国共産党の最高幹部のレベルまで維持されてきたことは特筆に値するのではないだろうか。
翻ってアメリカのトランプ大統領誕生までの状況は、まさに批判勢力なき状況での改革開放路線一辺倒の草の根の人民大衆の声を一切無視した暴走政治が行われてきた、と言えるかもしれない。確かにアメリカにおいては、民主主義は制度としては機能しており、投票によって候補者は選ばれてきてはいたが、本当の草の根のアメリカの声を代弁する候補者は絶えて久しく、多くのアメリカ市民たちは投票を諦め、ワシントンやウォール街のエリートの政治経済を中心とした国家権力の壟断、専横をただ苦々しく白けた面持ちで見つめてきたということではなかったか。

そのように考えれば、中国では国家を根底から転覆し、中国共産党の一党独裁体制を人民の手によって一時的に解体して、経済成長一辺倒の「前期改革開放路線」とでもいうべき、「調整政策」を国家の最高指導者であった劉少奇や鄧小平を引きずり降ろして、毛沢東の理想主義的な路線に大転換する、という王朝末期の農民大反乱モドキの革命劇を一世代前に体験していたわけである。さらについ最近までその文革の指導者たちが政権の中枢に残存していた、というのは特筆に値する、と言えよう。
すなわち、中国共産党は党内に根本的でどうしても相いれないような価値観の相違する対立軸を孕んだ、改革開放と文化大革命という二つの路線が併存していたのに対して、アメリカにおける二大政党制の中には対立軸はなく、選挙が行われていると言っても本当の意味での政治路線の交代は、今次のトランプ大統領の政権発足までは存在しなかった、ということになるだろう。

このような現状を子細に観察すれば、アメリカと中国を比較して真の意味で、どちらが国民の声を政治に反映しているのか、原点に立ち返って再検討しなければならない、と思われてならない。

2)現代中国における「文革」と「改革開放」の二路線とトランプ大統領のアメリカファーストの関連性

趙紫陽

上記のような論点に関して「文革時期」においては当時の中国の現状を「資本主義復活の道へ歩みつつあり」「党内指導部が腐敗堕落して資本主義実権派を形成している」(2)と断じていたわけであり、微妙な違いながらまだまだ「改革開放時期」の方が穏和な問題提起であると言えようか。
このような保守派の発想の根本には、原理主義的な社会主義・毛沢東思想への傾倒があり、その根底には文革的なるものへの郷愁や追慕の念が未だに垣間見えるとも言えようか。そして、このような根強い保守派の抵抗の中で鄧小平も、ギリギリの局面で1987年1月の胡耀邦総書記失脚、1989年6月の天安門事件勃発と趙紫陽総書記失脚と言うように自らの手足とでも言うべき「改革開放の推進者としての側近」を切り捨てつつ、辛うじて改革開放路線だけは維持する、と言う綱渡りを演じてきたのでは無かったかと思われる。

すなわち、毛沢東に並び称される最高実力者たる鄧小平ですら、改革開放路線推進の最大の側近であった胡耀邦と趙紫陽の二人を失脚させなければ生き延びられないほどに、文革路線は根強く現代中国の中枢部を維持しており、経済成長最優先や国内外の政治経済情勢に一切左右されない、草の根レベルの人民の声を代弁しようとする原理主義的な毛沢東思想が、中国共産党の最高レベルにも未だに脈々と息づいていることの証左ともいえよう。

さらに文化大革命的な状況を呈し始めていた天安門広場を埋めた人民大衆に対して、改革解放路線の旗手であったはずの最高実力者,鄧小平は躊躇なく武力鎮圧を命令し、まさに危機一髪の時点で政権転覆を回避したわけであるが、天安門事件というのは一見進歩的ながら実態は人民大衆の意思よりも政権維持を最優先するという改革開放路線の真相を垣間見せる、恐ろしい事実の証左でもあるのではないだろうか。

トランプ大統領22
翻って、アメリカにおいては、特に第二次世界大戦後これまで政財官軍の中枢を支配してきた勢力は、中国におけるような人民大衆レベルの支持に根差した文革派のような抵抗勢力を持たずに国家を壟断してきたわけであり、トランプ大統領誕生までの大統領選挙は、ほとんどどちらが勝っても政策に大差のない、いわゆる出来レースの様相を呈していた、と言えよう。
アイゼンハワー大統領が、退任時にコメントしたいわゆる軍産複合体とも称されるような支配勢力は、アメリカを「トンキン湾事件等のフェイクニュース」でベトナム戦争の泥沼に引きずりこみ、冷戦における軍拡競争を演出し、さらには冷戦が終結するとテロとの戦争と称して再度「大量破壊兵器問題等のフェイクニュース」を駆使してイラク戦争の泥沼を演出するという展開で国力を浪費し、アメリカ市民の真の利益と繁栄の基盤を掘り崩し続けている、というのがトランプ大統領の政権発足までのアメリカの現状であったと言えよう。
また前記のような見解がトランプ大統領の選挙戦以来の主張でもあり、そのような既存の巨大で間違った権力機構からアメリカを解放し、アメリカ市民ファーストの政治を確立するのがアメリカファーストの革命(Make America Great Again)である、との信念と決意を強調し続けているわけである。

まさに人民民主主義的な文化大革命を推進した毛沢東の主張も想起するような、根本的で徹底的な国家権力の転覆を目指すのがトランプ大統領による革命の本質と言えるのかもしれない。

3)劉少奇の「調整政策」の継続としての鄧小平の「改革開放政策」

劉少奇

もし毛沢東が現在生きていたとすれば、このような「改革開放政策」真っ盛りの現状をどうとらえるか興味深いところであろう。また劉少奇は、文革の露と消え去ったが、文革の最大の標的の一人である鄧小平は生き残り、文革直前まで推進してきた「調整政策」を、文革を終結させた後に、直ちに「改革開放」という新しいキャッチフレーズで再開したとは言えないだろうか。
さらに「帝国的な見地」から言えば、文革は「人民大衆に政治参加を促し、民主の基盤を拡大する運動であったが、中華世界では未だに自覚的な自由な市民は育っておらず、文革の惹起した大衆運動は徒に混乱を助長することが多かった」ということになろうか。また文革を終結させる帝国的論理としては「これまで同様に共産党が指導権を再確立し、人民の軽挙妄動を取り締まり、秩序ある中国的特色のある社会主義建設に邁進する」ために「これまでの社会主義建設の問題点を是正し、経済を活性化させるために大胆な政策の採用も辞さない」という方針のもとに「改革開放政策」が推進された、と言いかえることも出来よう。

2.現代中国においても根強い「文革」的見地からの「改革開放政策」批判

万言書

1)「万言書」の出現とその文革的論理からの改革開放批判

「改革開放」の時代に入っても文革期に強調された「社会主義の原理主義的側面」の議論は、常に火種として燻り続けていた。特に1995年暮れには、改革開放政策の現状を厳しく批判する無署名の論文である「万言書」が出現して大きな波紋となった。「万言書」は中国の現状について、社会主義の根幹をなすべき国有部門が急激な凋落を観る一方で、外資・私営・私有部門が急速に成長し、既に社会主義とは言えない状況に至っていると指摘した。このような私営私有部門の肥大化を反映して、新興の資産階級が急速に台頭し、自分達の階級の権益擁護のために政権に参画しつつあり、人民代表大会の議席を得たり、党支部書記に就任していることも強調した。さらにこのような資本主義経済部門や資産階級の台頭で中国社会の貧富の差が拡大する中で、党・行政幹部の深刻な腐敗も同時に進行している。また党員指導幹部にもマルクス主義に対する無関心や無理解が蔓延し、マルクス主義の理念が失われつつあり、まさに資産階級の願いである「共産党の瓦解」を招く危険性が急速に高まりつつあるとした。(3)

2)現代に復活した文革期と共通する用語法による改革開放路線批判の論調

文化大革命333
これは、改革開放路線が「資本主義路線」をひた走っている、とも受け取れる批判であろう。そしてこの「資本主義復活」批判は、「文革期の毛沢東らによる劉少奇や鄧小平らの政治路線に向けて行われた批判と同様の用語法」(4)が遂に復活してきたとも言えるものだった。まさに文革の亡霊が彷徨い出てきたような印象であるが、文革期にはこのような批判に続いてどのような事態が発生したのであろうか。
文革当時は、このような文脈のもとに劉少奇・鄧小平を代表とする共産党指導部に「ブルジョア司令部」が存在するとされ、彼らは反動的ブルジョアジーの立場にたって、ブルジョア独裁を実行し、文化大革命に反対していると攻撃された。その後、劉少奇・鄧小平らは「資本主義の道を歩む実権派」「ブルジョア路線の推進者」「反党・反社会主義」とのレッテルを貼られてパージされた。(5)さらに党の指導官僚の大半は中央機関だけでなく、地方機関に至るまで「党内の資本主義の道を歩む実権派」として厳しい批判を浴びて、その地位から追放され、造反派や紅衛兵により身柄を拘束され、時には処刑にまで至るものも多かったという。(6)

3)文革終結直後の毛沢東らの用語法の全面否定と現代中国の政治経済状況

毛沢東333
それでは、文革後の改革開放時代に入ると、このような文革時代の毛沢東らの用語法は、どのように再解釈されたのであろうか。
1981年に採択された「歴史決議」によって、文革を「全面否定」した鄧小平らの党指導部は、「ブルジョア司令部」「走資派」「実権派」と言った毛沢東の用語法を事実を歪曲した荒唐無稽の誤ったものとして全面的に斥けた。「歴史決議」では「文化大革命で修正主義、資本主義として批判された多くの事象は、実際はまさしくマルクス主義原理であり社会主義の原則であった。「文革によって打倒された走資派」とは、党と国家の指導幹部であり、社会主義事業の中核をなす人々だったのであり、劉少奇・鄧小平を中心とする「ブルジョア司令部」なるものは根本的に存在しなかった」とした。(7)
まさに毛沢東らの文革期の用語法の全面否定であるが、実際のところはどうなのであろうか。劉少奇亡きあと、鄧小平を中心に「再開」された改革開放路線の結実である今日の中国社会は、ある意味では毛沢東らが「純粋」に希求していた「社会主義の原理」からすれば、確かに「逸脱」とも取られかねないであろう。また「改革開放司令部」が、「ブルジョア司令部」「走資派」「実権派」であると指摘されても、そうではないと論証するのは現在の中国社会の現実を観れば困難な印象もあると言えよう。

3.中華帝国の伝統的な政治方針に連なるのは改革開放路線か?

大躍進2

1)社会主義中国における毛沢東路線と劉少奇・鄧小平路線の相克

「調整政策」は、1958年から1960年にかけて推進された「大躍進」「人民公社」「総路線」の「三面紅旗」政策が人為的原因による2千万人とも言われる大量餓死者を出すなどの失政を招いた結果として、これを修正する目的で提起された。(8)
こうして観ると今日に至る革命成就以降の中国共産党の政策は、2つの大きな路線の相互作用で成り立っているようにも観察される。一つは「毛沢東を中心とする純粋な社会主義を原理的に追求する立場」と「鄧小平を中心とする社会主義は堅持しつつ効率的で有効な方法論は何でも採用する立場」となろうか。
そして、「建国から三面紅旗政策」と「文化大革命」の時期は前者が主導しており、「調整政策」と「改革開放」の時期は後者が指導していると言えるだろう。

2)中華帝国伝統の賢人主導のエリート主義に連なる改革開放路線

周恩来

伝統的な中華帝国の方向性からすれば、前者は「人民を前面に立たせ過ぎで、帝国の存立を危うくさせかねない素人じみた政策が多い」が、後者は「賢人主導のエリート政治で、柔軟で実際的な面もあり、危機に際しては果断な措置もとれる」ということで、やはり後者こそが「帝国の法統」を継ぐ路線ではないかと認識している。

尚、本稿で取り上げたアメリカ版文化大革命については、アメリカを混乱に陥れようとするトランプ大統領やバノン氏のラストバタリオン的な姿勢も含めて以下のリンクで詳しく分析しています。
トランプ政権を離れたバノンはヒトラーの予言実現のためアメリカ版文化大革命を扇動する!

<参考文献>
(1)加々美光行:歴史の中の文化大革命 岩波書店 2001 序章 文化大革命をどう見るか p16
(2)加々美光行:歴史の中の文化大革命 岩波書店 2001 序章 文化大革命をどう見るか p18
(3)加々美光行:歴史の中の文化大革命 岩波書店 2001 序章 文化大革命をどう見るか p19-p20
(4)加々美光行:歴史の中の文化大革命 岩波書店 2001 序章 文化大革命をどう見るか p20
(5)安藤正士:現代中国 歴史と近代化 岩波書店 1989 Ⅶ 文化大革命の諸問題 p229-p230
(6)加々美光行:歴史の中の文化大革命 岩波書店 2001 序章 文化大革命をどう見るか p20-p21
(7)加々美光行:歴史の中の文化大革命 岩波書店 2001 序章 文化大革命をどう見るか p21
(8)加々美光行:歴史の中の文化大革命 岩波書店 2001 序章 文化大革命をどう見るか p23

米中冷戦状況下の習近平の政治目標は文化大革命期の毛沢東個人崇拝と中華帝国皇帝専制体制再現である!

遂に国家主席の任期撤廃という禁じ手を放った習近平は、文化大革命で毛沢東が目指した理想主義を解き放ち、腐敗堕落の元となる改革開放路線を封印する暴挙に出るのだろうか?ここでは中国共産党政権獲得以降で最大の混乱と停滞をもたらしたと言われる文化大革命について検討する。

1.文化大革命の理念
1)文化大革命は毛沢東個人の権力奪還のための闘争だったのか?
2)近代批判運動としての文化大革命
3)市民の自主的な政治活動としての文化大革命
4)文化大革命の目指した社会主義の理想
2.現代中国における文化大革命の取り扱い
1)改革開放時代における文化大革命の評価
2)改革開放時代にも生き残る文化大革命時代の幹部達
3)文化大革命的な機運を警戒する鄧小平らの姿勢
4)文化大革命に関する根底的な議論や分析の不在
3.文化大革命に関する根底的議論
1)社会主義の理念と改革開放政策の整合性
2)ペレストロイカの帰結を警戒する中国共産党

1.文化大革命の理念

壁新聞

1)文化大革命は毛沢東個人の権力奪還のための闘争だったのか?

文革に関しては、基本的に文革を毛沢東個人の権力保身に発する政治権力闘争以上のものは無く、そこには何らの歴史的・思想的意義は無かったとして、全否定する傾向も根強い。(1)
とはいえ、文革には単なる毛沢東個人の権力保身以外に「近代批判」的な要素や「中国人民の国民意識の発揚に向けた主体的活動の要素」も数多く含まれていたのではないかと想定している。

2)近代批判運動としての文化大革命

文化大革命1

文化大革命における近代批判の要素としては、「第一に一貫した自由市場経済システムを敵視する傾向」「第二に三大差別撤廃=都市・農村間差別、工業・農業間差別、頭脳労働・肉体労働間差別の実現を目指す政策実践」「第三に欧米の近代科学技術を洋法と呼び、洋法への一方的な依存を否定しつつ、中国土着の科学技術=土法を基礎に洋法との結合による科学技術革命を謳ったこと」「第四に鞍山製鉄所の経営方式や大賽人民公社の所得分配方式などのコミューン型の参加型経営方式の重視」などが見出せる。(2)

3)市民の自主的な政治活動としての文化大革命

文化大革命2

市民の自主的な運動としての文化大革命の要素としては、「文革期の造反有理、四大民主=大鳴(大いに意見を言い)、大放(大いに討論し)、大字報(壁新聞を書き)、大弁論(大いに論争する)が一面では秩序破壊の混沌を産むマイナスを伴いつつ、反面共産党独裁の強固な権力ヒエラルキーに対する民衆の異議申し立てを正当化する「民主」の基盤を、社会主義体制下の中国に初めて産み出したこと」「第二に、文革の洗礼を受けた元紅衛兵が主体となって中華人民共和国史上初の市民の自発性に基づく本格的民主化運動として、第一次天安門事件と「西単の壁」「北京の春」などの民主化運動が起こったこと」(3)が挙げられよう。特に後者に関しては、中華人民共和国史上というのみならず、辛亥革命以降あるいは広い意味では、「中華世界」史上初めての「本格的な民主化」運動と言っても良いかもしれない。このことは、清朝から辛亥革命を経て中華民国=国民党政権に引き継がれ、現在は中華人民共和国=中国共産党政権まで一貫して継続している「エリートが主導する賢人政治」に風穴を開ける快挙でもあったと言えよう。

4)文化大革命の目指した社会主義の理想

文化大革命5

このような文化大革命は、1966年8月の「16カ条」の決議では、「プロレタリア文化大革命は、人々の魂にふれる大革命であり、わが国社会主義革命発展のより深く、より広く新しい段階である」と述べられていた。そして、その目的は、①「資本主義の道を歩む実権派」と闘争して、それを打倒する、②「ブルジョアジーの学術権威」を批判し、ブルジョアジーと全ての搾取階級のイデオロギーを批判し、③教育を改革し、文芸を改革し、社会主義の経済的土台に適応しないすべての上部構造を改革して、社会主義の強化と発展に役立たせることとされた。またこの決議では、大衆自身による自己解放、パリ・コミューンの原則に基づく新しい自分達の組織をつくることなどが謳われた。(4)
ここでも強調されているのは、「大衆自身による自己解放やパリ・コミューンの原則」などであり、これは文革の主題の一つに人民大衆の主体的な解放と言う視点が、常に意識されていたということの証左になるだろう。またそのような方向性は毛沢東の考える社会主義的な理想の一形態でもあったのであろうか。

2.現代中国における文化大革命の取り扱い

文化大革命111

1)改革開放時代における文化大革命の評価

それでは、「欧米追随の近代化批判」や「本格的な民主化」につながる可能性を内包していた「文革」は現代の「改革開放」時代の中国においてはどのように取り扱われているのであろうか。
文革終焉直後から、文革終焉十周年の1986年前後までの10年間は、文革を対象あるいは題材にした研究や「傷痕文学」と言われるような文学作品が多数登場したが、このような研究・作品が社会的対立のみならず共産党内の対立まで引き起こす可能性が懸念されてきた。

2)改革開放時代にも生き残る文化大革命時代の幹部達

文化大革命121

これは、第一に文革の実態の暴露が中国社会主義の暗い部分をあまりにもリアルに描き過ぎるため、社会主義に懐疑を抱く人々が増えることが共産党内で懸念されたこと。第二に文革の暴露から、現状の中国政治の民主改革を求める声が強まる傾向が産まれ、それが共産党内の団結をも危うくする可能性が懸念されたことによる。すなわち中国共産党内には、文革四人組は失脚したものの、実際には文革期に権力を掌握していた幹部達が文革終了後も失脚せずに、そのまま党内の権力の座を確保してきているという事情があった。(5)
文革を終焉に導く過程で、「文革四人組」の失脚は大々的に取り上げられたが、その背後では「文革派の幹部」は無傷で、そのまま生き残っているケースが多かったということである。「文革四人組」と共に「文革派の幹部」も一掃され、それが鄧小平の改革開放の船出を順調にしたというような構図が成り立ったわけではなかったのであり、鄧小平以下の改革開放を主導する主流派も旧文革派の幹部の動向を無視することは出来なかったと言えよう。

3)文化大革命的な機運を警戒する鄧小平らの姿勢

文化大革命 鄧小平

この延長線上で1988年春に、中国共産党中央宣伝部が「通知」を、同年秋には中国共産党中央宣伝部と国務院が連名で「通達」を発した。この目的は混乱の拡大を未然に防ぐためであり、これらの内容は「今後本格的な文革研究や文革を題材とした文芸制作を厳しく制限」することとした。(6)
要するに文革は、中国共産党中央にとって、距離を置いて客観視出来るものではなく、いつ再燃するかもしれない火種であり、到底手放しに放置することは出来ない慎重に扱うべき主題であって、人民大衆が詳しく知って議論したりすることは、可能な限り避けるべきものとされたということであろう。
また文革的気運の蔓延は、第二の文革による体制転覆の恐れを招きかねないと言う危機感も手伝っていたかもしれない。当時の最高指導者の鄧小平は、文革の最大の標的の一人でもあった。現在こうした「文革を取り上げないという方針のもとで育った若い世代は、文革に対する無知が蔓延しており、文革世代との間に大きな世代間ギャップを形成」(7)しているという。

4)文化大革命に関する根底的な議論や分析の不在

文化大革命222

このように文革を敬遠する風潮が強い現在の中国であるが、改革開放の当初の1981年6月の段階では「文革を毛沢東晩年の重大な誤りとする一方で、全国全人民に大きな災厄をもたらした」として全面否定する明確な評価を下したこともあった。ただこの時の文革全面否定は、鄧小平政権の政治支配の正統性と権威性を確立するための便宜的な否定に過ぎず、文革に関して本質的な検討及び分析を経た根底的な議論を踏まえた結論とは言えなかった。(8)

3.文化大革命に関する根底的議論

中国指導部

1)社会主義の理念と改革開放政策の整合性

それでは、文革に関する根底的な議論とは何を意味するであろうか。また党内融和を優先して文革を取り上げることを敬遠すること以上に、体制の根幹に関わる「社会主義の理念」と「改革開放政策」の整合性と文革との関連性はどうであろうか。
このあたりに関しては、鄧小平時代に移行しても、なお中国が「社会主義」と「毛沢東思想」に依拠していたにも関わらず、改革開放政策を遂行していく過程で自由主義市場経済を否定していた「毛沢東思想の申し子としての人民公社」を解体し、「民営企業の出現」を容認し、「外資・外国技術・プラントの導入などの市場自由化政策」を積極的を推進していくことが、果たして「社会主義」の原理との整合性を保ちうるかという問題を伴っていた。(9)

2)ペレストロイカの帰結を警戒する中国共産党

ペレストロイカ

要するに改革開放政策を採用して、社会主義体制下における大胆な改革を遂行していく過程においては、現体制の依拠する「毛沢東思想」と密接に関連している文革に関して本質的な議論を行ったり、文革の根底的な総括を行うことは、「社会主義の解釈をめぐるマルクス主義論争を招き、このような論争が、党内抗争を巻き起こし、党内の団結を崩し、党の指導性が失われ」(10)体制の危機に至るということを鄧小平を始めとするという党幹部が熟知していたということがあるのだろう。このあたりの対応を間違えると、ソ連のペレストロイカの帰結のように体制の崩壊につながる可能性もあったのではないか。またかれらが敢えて議論を回避した文革そのものが、体制混乱の極みでもあった。そのような状況に陥らない様に、当時は「改革開放」と並んで「安定団結」がスローガンとして再三提起されていた(11)という。

このような次第で文化大革命に関する根底的な議論は未だに十分に行われてきたとは言い難い状況があると言えよう。

毛沢東が文化大革命を断行した目的は中華王朝崩壊時の農民大反乱のエネルギーを活用した国家大改革再現である!

毛沢東が文化大革命で標的にした劉少奇、鄧小平ら実権派、走資派の何が問題にされたのか?

<参考文献>
(1)加々美光行:歴史の中の文化大革命 岩波書店 2001 序章 文化大革命をどう見るか p5
(2)加々美光行:歴史の中の文化大革命 岩波書店 2001 序章 文化大革命をどう見るか p7
(3)加々美光行:歴史の中の文化大革命 岩波書店 2001 序章 文化大革命をどう見るか p8
(4)安藤正士:現代中国 歴史と近代化 岩波書店 1989 Ⅶ 文化大革命の諸問題 p229
(5)加々美光行:歴史の中の文化大革命 岩波書店 2001 序章 文化大革命をどう見るか p10
(6)加々美光行:歴史の中の文化大革命 岩波書店 2001 序章 文化大革命をどう見るか p11-p12
(7)加々美光行:歴史の中の文化大革命 岩波書店 2001 序章 文化大革命をどう見るか p12-p13
(8)加々美光行:歴史の中の文化大革命 岩波書店 2001 序章 文化大革命をどう見るか p13
(9)加々美光行:歴史の中の文化大革命 岩波書店 2001 序章 文化大革命をどう見るか p13-p14
(10)加々美光行:歴史の中の文化大革命 岩波書店 2001 序章 文化大革命をどう見るか p14
(11)加々美光行:歴史の中の文化大革命 岩波書店 2001 序章 文化大革命をどう見るか p14