イギリス

ドイツは二度の世界大戦敗退を踏まえた強者の自制により欧州支配を実現するのか?

2017年9月の選挙では、大方の予想に反して極右反移民のポピュリスト政党AFD(ドイツのための選択肢)に躍進を許し、大幅に議席を減らしたメルケル首相ですが、ドイツが20世紀中に世界征服を目指して二度の世界大戦を闘い、軍事力や科学力等で世界最強レベルだったにも関わらず、二度とも脆くも敗退した理由を「強者の自制」の視点から検証しつつ、戦後七十年を経て、メルケルのドイツがイギリス,アメリカの混乱を尻目に着々とヨーロッパを支配しつつある状況を分析しています。

1.「強者の自制」の欠如がもたらす歴史的な敗北
 1)ドイツが二度の世界大戦で敗北した要因の分析
 2)「強者の自制」の演者がイギリス、アメリカからドイツに移行
2.総括・2017年G7直後のメルケルのミュンヘン宣言の歴史的重大性

1.「強者の自制」の欠如がもたらす歴史的な敗北

1)ドイツが二度の世界大戦で敗北した要因の分析

以前から感じているのですが、アングロサクソン国家や中国は、流石に先述したビスマルクがナポレオンの言行から導き出した「強者の自制」という教訓を実践している気がします。
イギリス、アメリカは、この200年間ほど、中国に至ってはより長いタイムレンジで、いわゆる「最大成功を積み重ねてきている」ことは歴史的な事実だと思われますが、一定の自制の精神を発揮することで、それなりに安定した国際秩序を維持してきている、と認識しています。
ドーラ

翻って、ドイツは第一次世界大戦、第二次世界大戦において、「強者の自制」の精神を発揮出来ていたでしょうか。もっと遡れば、たとえ世界強国になったとしても、その瞬間に直ちに世界制覇を目指すべきだったのでしょうか?
やはりドイツが、これまで科学力や技術力で世界最強レベルをキープし、二度も世界征服を目指す戦いを展開しながら、どうしても世界覇権国の座に手が届かなかったのは、「強者の自制」を発揮出来なかったことに尽きる、ような気がするところです。

世界戦争における勝敗のカギは、戦力差や戦術差、戦略差もさることながら、圧勝を積み重ねた段階でどこまで「自制の精神」を発揮出来るかにあった、ということになりそうです。
自走砲

2)「強者の自制」の演者がイギリス、アメリカからドイツに移行

ちなみに、第二次世界大戦後のドイツは、戦争の痛手の大きさもあったかと思われますが、三度目の世界戦争に邁進するような暴挙とは無縁の非常に慎重で丁寧な政治活動に終始してきた印象があります。

翻って2016年の欧州情勢に関しては、難民問題以上にショッキングな出来事として、イギリスのEU離脱国民投票がありました。
この時のイギリスのデイビット・キャメロン首相兼保守党党首は、あたかもウィルヘルム二世やヒトラーが世界大戦に打って出た時と似たような気分で、自分の信念に基づき未来への確信に満ち満ちて、英国の今後の命運や自分の政治生命を賭けてまで、敢えて本来は必要不可欠だったかどうかわからない国民投票を選択して敗北した、と認識しています。
キャメロン

イギリスでは、その後2017年4月に任期を3年も残し、選挙前の時点で過半数を確保しているにも関わらず、前倒しで総選挙を実施して圧勝し、より多くの議席を確保して強力な政権基盤を背景にEU離脱交渉を有利に遂行しようとしたテリーザ・メイ首相が、蓋を開けてみれば結果的には保守党の議席が10議席以上も減ることで、過半数割れに追い込まれてしまいました。メイ首相の賭けは失敗に終わり、キャメロン前首相の賭けに続いて、またもやイギリスは階段を転がり落ちるスピードを増した印象で混乱と奈落へまっしぐら?な雰囲気すら出てきています。

メイ首相 敗北

さらにアメリカでは、自制の精神とは対極の精神構造の持ち主を中核メンバに結集した、トランプ政権が発足しました。トランプ政権では、コミーFBI長官の解任を巡ってロシアの大統領選挙への介入とトランプ陣営との関りが益々問題とされ、メイ首相が賭けに敗北した総選挙の投開票日である2017年6月8日同日にコミー前FBI長官への上院での議会証言が行われ、コミー氏はトランプ大統領による自らの解任やフリン前補佐官捜査中止要請、忠誠明言要求などについて述べ、トランプ大統領と自分との二人だけの会話メモを第三者で友人であるコロンビア大学教授と共有し、「録音テープがあるというトランプ陣営の発言通りであれば公表してほしい、本件メモの存在と外部への展開が特別捜査官の設置に直結すると考えていた」と述べるなどトランプ政権を巡る混乱も一層深まっています。ちなみに、トランプ政権内ではロシアゲートの進展に伴い本件に関与していたとみられるクシュナー氏が失脚しつつあり、ロシアンゲートに無関係とみられるレーニン主義者で毛沢東の文化大革命に郷愁を抱くバノン氏が復権してパリ協定離脱を主導したとも言われています。

コミー証言

このようなアメリカ、イギリスの混乱した状況を観察していて気付かされるのは、先の第二次世界大戦までは、統治者が賭けに頼るのはドイツ側が専門で、自制の精神を備えた統治者は英米側の専売特許だったのが、戦後70年を経た現代においては自制の精神を備えた統治者の本場はドイツ側で、賭けに頼るのが英米側というように、統治者の方向性が完全に入れ替わってしまっていることです。

2.総括・2017年G7直後のメルケルのミュンヘン宣言の歴史的重大性

このような情勢を踏まえてヨーロッパの状況を振り返ればドイツは、ベルリンの壁崩壊、東欧革命、ドイツ統一、ソ連邦崩壊、EUの東方拡大、南欧諸国の経済危機、中東からの難民受け入れ、などの節目節目で存在感を増大させ、いつの間にかEU内での覇権国の地位を確保するに至ったように見受けられます。

先の二度の世界戦争の敗北も踏まえてドイツは、遂に三度目の正直で「石橋を叩いても叩いてもなかなか渡らない」「自制の精神」に満ち満ちたアンゲラ・メルケルという、エカチェリーナ二世を模範として仰ぐ傑出した指導者を得て、かつてウィルヘルム二世やアドルフ・ヒトラーが武力では成し遂げられなかった、欧州制覇という高みに手が届きそうなところまで到達した気もする、昨今のヨーロッパ情勢とも言えましょうか。
メルケル首相

これらの状況も踏まえつつ、2017年5月のG7直後にミュンヘンのビアホールで支持者を前に、ドイツのメルケル首相がいつになく明確に、「もはやアメリカ、イギリスに完全に頼れる時代は終わった。ヨーロッパ(ドイツ?)は運命を自分たちの手で勝ち取らなければならない新しい歴史の段階に入った。私は今回のG7でそのことを痛感した」と述べました。
この演説を聴いた支持者達の拍手は、一分間ほど鳴り止まなかったということですが、ミュンヘン宣言はよほどドイツ人の心に響いた、ということになるんでしょうか。
メルケル首相は、その後もことあるごとに、このような論旨を繰り返しているということですが、これは本質的にはベルリンの壁崩壊、ソ連崩壊で東側からの掣肘がなくなってからも引きずっていた第二次世界大戦の残滓について、いずれも不安定な基盤の上で混乱した政権運営を重ねるアメリカのトランプ大統領、イギリスのメイ首相らと直接G7の首脳会談の席で対峙した結果を踏まえて、メルケル首相が事実上「もはや72年間も続いた、異様に長かった第二次世界大戦の戦後は完全に終わった。我々は自分たちのフリーハンドで我が道を行く」との自己主張を開始した、ということになるのではないでしょうか。

メルケル プーチン枢軸

今後、安倍首相の対米従属朝貢外交一辺倒とは真逆になりそうなメルケル政権のトランプ政権との本格的な対峙やEU離脱交渉を巡るメイ首相とメルケル首相の駆け引きの行方も、非常に愉しみになってきました。

尚、トランプ政権に対峙する日本とドイツの本質的な立場の相違については、以下のリンクもご参照ください。
小池新党に怯え,前倒し総選挙を目指す安倍首相のトランプ大統領への朝貢的対米従属の淵源に迫る!
トランプのアメリカファースト密着の朝貢的対米従属でドンシン関係を目指す安倍首相の前倒し総選挙はメイ首相の二の舞か?

西洋の衝撃=西欧によるアジア,アフリカへの侵略と植民地化の進行を帝国主義=国民帝国の論理から解明!

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「帝国」に関する諸類型のうち、西欧における国民国家の成立から西欧内部と西欧外部のダブルスタンダードを基調とするウェスタン・システム及びその中核を形成した「国民帝国のメカニズム」について検討する。

1.「国民帝国」の特徴と行動原理
2.「国民帝国」とは対極的な存在である「世界帝国」の特徴と行動原理
 1)「世界帝国」の概念
 2)「世界帝国」と「国民国家」の本質的な相違点
3.「国民帝国」が繁栄していた時代
 1)西欧国民国家間の競争と対外発展の連動
 2)西欧国民国家による世界分割の帰結としての国民帝国

1.「国民帝国」の特徴と行動原理

ヘンリー八世

ここからは近代のウェスタン・システムの中核を成した「国民帝国」について検討していく。
「国民帝国」とは、「主権国家体系の下で国民国家の形態を採る本国と異民族・遠隔支配地域から成る複数の政治空間を統合していく統治形態」であり、「世界体系としては、多数の「帝国」が同時性をもって争いつつ手を結ぶ」もので、「本国と支配地域が格差原理と統合原理に基づく異法域統合として存在」していた。(1)
このように「国民帝国」とは、本国においてはイギリス、フランス、ベルギーのような国民国家の形態を取りながら、アジアやアフリカにお
いては経済的・軍事的な優位性をベースに、「文明化の使命」などと言った正当化言説を掲げて、異なる民族や政治社会の意志を無視して支配・統治・制御を行うという帝国体系が重ねあわされていたのである。(2)
これこそダブルスタンダードの典型とも言える存在であったろう。すなわち、欧州本国においては、自ら以上の最高決定権を持たない主権・国民国家間の法的平等を前提に相互の内政干渉を拒絶する国家体系を構築していた(3)にも関わらず、植民地に対しては国家主権も基本的人権も踏みにじる収奪行為に明け暮れていたことは歴史的な事実である。
このように「国民帝国」は矛盾に満ちた存在として出現し、全ての諸国民が国民国家の理念に目覚めた時には陽炎のように消滅せざるを得ないような不安定な存在であったとも言えるだろう。

2.「国民帝国」とは対極的な存在である「世界帝国」の特徴と行動原理

ホワイトハウス

それでは、ここからは近代の国際体系を規定した「国民帝国」の存在についてより深く観ていくことにしたい。
まずここで「帝国とは何か?」ということを最大公約数的に規定しておく。それは「多民族・多宗教・多文化からなる広領域的政治社会」ということになるだろう。(4)

1)「世界帝国」の概念

次に帝国同士の並列的な存在を許容する「国民帝国」と対極の存在である「世界帝国」の概念についてもここで確認しておく。
「世界帝国」とは、上帝から天命を得た天子や神から委託された預言者、神の名代たる法王などが権力と権威によって、神や天の命令を代行して地上の世俗世界(天下)を治めるという宇宙論的な観念に支えられた帝国である。このような世界帝国は、儒教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教などの諸宗教の教義や世界観に基づき固有の発現形態を持っていた。このような世界帝国は、神や天と言う絶対的な権威を基盤としており、自ずと普遍的な存在であるという世界観を有していた。このため自ら統治するエリアの外に存在する「異教徒」も本来はその統治対象であるという認識から、領域拡張や異教徒の取り込みは自明のこととされた。この世界帝国の「世界」とは自ら知りうる世界の全てであり、観念的には全世界と同義であった(5)

本ブログの全体のテーマは、「中華帝国」であるが、ここで挙げたように「世界帝国」としては、キリスト教・イスラム教・ヒンドゥー教など幾つかの普遍的な理念を掲げる「中華帝国」以外の帝国も実在した。
このうちイスラム教を理念とするオスマン帝国については、西欧の衝撃に対応した「世界帝国」のモデルケースの一つとして別項にて取り上げる予定である。

2)「世界帝国」と「国民国家」の本質的な相違点

ドイツ統一
次に「世界帝国」と「国民国家」の国境を巡る本質的な相違について検討してみたい。
「世界帝国」は、普遍的世界観と異教徒をも統一しようとする志向性を強く有しており、帝国の外延を常に拡張しようとする存在である。このように「世界帝国」においては、境界を可能な限り外へと押し広げようとすることを基本的属性としており、帝国の境界は流動的・不確定であることが帝国の生命力の根源の一つでもあった。また外延の茫漠さが、外部を持たない無限性や他者の存在を無に帰するのに役立ってもいただろう。このような開放系としての帝国の有りようは、国境を画定して領域を固定化し内部の固有性を軸として均質的統治を図る、自他の峻別に基づく閉鎖系としての主権・国民国家とは本質的に相違している。(6)

こういうわけで、世界帝国には明確な国境の概念は無いのが本来の姿であり、逆に国民国家は自らの存立基盤を確保するためにも明確な国境の存在が不可欠であった。世界帝国の外には荒涼たる原野や巨大な山脈、砂漠などの人跡未踏の地が広がるというイメージであり、一方で国民国家の国境の外には同様な国民国家が存在して共存しつつ競争するイメージであろうか。
また国民国家は、個別性を持った成員を平等に取り扱うことで統合することを志向するのに対して、世界帝国はその内部に相互に対抗する異質性や個別性を多様に内包しながらも、それらに対する支配者側の超越性により統合することを志向する。(7)
オスマン帝国版図

世界帝国の存立基盤がこのような支配者の超越性に由来する以上、世界観の異なる外界からの衝撃が強力であればあるほど、脆く崩れやすい状況に陥ることは自明であろう。オスマン帝国も清帝国もこのような西欧の衝撃に抗し切れず崩壊の道を辿ることとなった。
ただし、オスマン帝国は、跡形もなく消滅したが、清帝国の領域および臣民は、ほぼそのまま後継国家に引き継がれ今日に至っている。

「世界帝国」は、その唯一性と普遍性を基盤に成立しており、理念的には他の帝国の存在は想定されていないのが普通であった。
一方の「国民帝国」は、国民国家の延長線上に存在しており、国民国家が他の国民国家との関係性で成り立っていた。異民族・異文化の統治を国民国家が相互に認証しつつ、比較優位を求めてより多くの空間と資源を自己の統治領域に組み込むべく覇権を追求していく競合過程の中で国民帝国が徐々に形成されていったと言える。(8)

3.「国民帝国」が繁栄していた時代

アフリカ植民地

1)西欧国民国家間の競争と対外発展の連動

競合する国民国家間での競争が欧州の外での覇権競争につながり、その際の領域拡大の延長線上で結果的に「国民帝国」が形成されていったということになろうか。こうしてみると「国民帝国」というのはアジア・アフリカが覚醒する寸前に西欧の優位が極大化していたという特殊な時代環境の産物ということになるのであろう。
「国民帝国形成期」に西欧諸国を突き動かしていた衝動は、主権・国民国家体系の世界への普及というような高尚なものではなく、あくまでも自己保存・発展すなわち生き残りのためのなりふり構わぬ活動であった。現に存在する西欧の秩序はそのままに、他の地域を市場として再編成し、結果的に広域的多民族統治を行う国家形態へと移行していく中で徐々に国民帝国が形成されていった。この駆動力となる精神的基盤は、ナショナリズムであったが、ドイツ・イタリアなどのナショナリズムはその中でも先行するイギリス・オランダ・フランスの超域的資本主義活動や国民国家形成に対抗して自分たちの国民経済や政治社会の固有性を維持するための防御的なものであったという違いがある。(9)

「国民帝国」とはこのように西欧国民国家の危機意識の中に育まれ、アジア・アフリカ等のその他の世界を動乱の渦に巻き込んでいった。国民国家の形成により本国では、徐々に福祉政策や選挙制度の充実等の国民のための政策が取られ始めている中で、本国外地域の人民をかつてない不幸に追い込んでいったのは極めて対照的な有りようであり、このあたりは、人類の進歩とは何かを考えさせられる事案でもある。

2)西欧国民国家による世界分割の帰結としての国民帝国

植民地地図
いずれにせよ「国民帝国」は「世界帝国」のように普遍的理念の下に文明圏全体を支配するような存在とは異質であり、あくまでも本国たる「国民国家」を持ち明確な国境としてのボーダーを持った存在であった。
このため「国民帝国」相互間でもボーダーにより他の「国民帝国」と領域を接合しつつ、競合し並立するという関係が成り立っていた。
国民国家とは元来等質性をもった民族と領域性をもった土地との緊密な結びつきによって形成される「血と土の共同体」であるとすれば、「国民帝国」にように「民族と土地」を超えて拡張していくのは「国民国家」としては矛盾している。しかるに西欧の国民国家は、自らが生き延びるためには非西欧世界を自己の勢力圏に取り込み領域を拡張していくしか道が無い。また元来世界帝国とは、外縁を持たず外部に競合する他者を持たない卓越的な存在であり、境界線などというものは概念的に受け付けなかったが、国民帝国としては他の国民帝国との領域的区別を明確にするために人為的な境界線が必要不可欠であった。(10)

このように「帝国」としても「国民国家」としても相矛盾する要素を抱え込んだ「国民帝国」は当初からその存立基盤に脆弱さを併せ持った存在だったと言えよう。

尚、今回取り上げた国民帝国の意外な脆さや崩壊の原理については、以下のリンクで詳しく検討しています。
西欧の帝国主義列強によるアジア,アフリカ植民地支配の理念と法律体系!

参考文献
(1)山室信一:帝国の研究 名古屋大学出版会 2003 第3章 「国民帝国」論の射程 p89
(2)山室信一:帝国の研究 名古屋大学出版会 2003 第3章 「国民帝国」論の射程 p89
(3)山室信一:帝国の研究 名古屋大学出版会 2003 第3章 「国民帝国」論の射程 p89
(4)山室信一:帝国の研究 名古屋大学出版会 2003 第3章 「国民帝国」論の射程 p90
(5)山室信一:帝国の研究 名古屋大学出版会 2003 第3章 「国民帝国」論の射程 p90
(6)山室信一:帝国の研究 名古屋大学出版会 2003 第3章 「国民帝国」論の射程 p91-p92
(7)山室信一:帝国の研究 名古屋大学出版会 2003 第3章 「国民帝国」論の射程 p91-p92
(8)山室信一:帝国の研究 名古屋大学出版会 2003 第3章 「国民帝国」論の射程 p92
(9)山室信一:帝国の研究 名古屋大学出版会 2003 第3章 「国民帝国」論の射程 p93
(10)山室信一:帝国の研究 名古屋大学出版会 2003 第3章 「国民帝国」論の射程 p94