⭕️中国共産党統治が崩壊したら魏晋南北朝時代の再現にまで至るのか?!

2023年6月10日

大一統崩壊期の魏晋南北朝時代の統治構造の分析することで、秦・始皇帝の天下統一以来の中華領域における統一国家としての王朝の特徴は、基本的に「大一統」を実現しているか、少なくとも「大一統」を目指していたが、なかでも実際に「大一統」を実現していたのは、王朝で言うと「秦」「漢」「隋」「唐」「宋」「元」「明」「清」ということになりましょうか。
しかるに、この「中華大一統」堅持あるいは死守?!の伝統には、数世紀の例外的時代が存在しました。これは魏晋南北朝時代ということになりますが、本項ではこの「中華大一統の例外」とも言える魏晋南北朝時代を分析することで、逆に「中華大一統」のメカニズムに迫っていきたいと思います。

政治制度・土地制度から観た魏晋南北朝時代の特徴

魏晋南北朝期に中華帝国大一統の存立基盤が失われた中華領域では、どのような政治的経済的な状況が現出していたのであろうか。

支配エリートの貴族化傾向の増大

魏晋南北朝の中国でまず目立っていたのが、支配エリートの貴族化傾向が怒涛のように進んだことが挙げられよう。このため、官僚機構が次第に世襲貴族に独占されるようになり、九品中正制が漢以来の官僚選抜のための察挙・徴辟制度に取って代わっていった。このような魏晋時代の門閥貴族勢力の拡大、王権の凋落、門地等級思想の根強さは他の時代には観られない特異な現象であった。(1)
治世の能臣、乱世の奸雄と言われた魏の実質的な創立者の曹操は、自らは実力主義を実行して天下の大半を支配したが、結局は安定的な中華の大一統を果たせず、政治制度的にも社会の混乱の延長線上に過渡的な秩序しか産みだせなかったと言えようか。結局、曹操は中華大一統を実現し、数百年の太平の天下を築いた先輩の劉邦にも後輩の李世民にも及ばず、「簒奪者であり、一代の奸雄に過ぎない」との評価から完全に抜け出すことが出来なかったとも言えるかも知れない。

地主経済から領主経済への移行現象の進行

宗法一体化構造の不全による経済構造への主たる影響としては、地主経済から領主経済への移行現象が挙げられよう。このことは農民の地主に対する身分的従属関係の著しい強化となって跳ね返ってくるのである。特に西晋の滅亡後には、この時代に顕著な領主制に類似する二つの経済組織が出現した。一つは塢堡主経済でもう一つは宗主督護制と呼ばれるものである。前者は、大塢堡主が小塢堡主を支配し、小塢堡主が労働者を支配する形態で、大塢堡主は政権に密着し、貢納関係を形成するというもので西欧や日本の封建性に近いものであった。後者は、合戸制であり戸主である塢堡主や宗主が数十軒から百軒を束ねて、政府への賦役負担を請け負うものでった。こうした中で、塢堡主や宗主などの貴族層は、農民に対して経済的搾取を行うとともに、行政上の管理権も行使していた。
貴族層は占有する土地を治外法権的に支配する権利を持ち、所属する人民を自由に管理する権限を有していたのである。(2)
このようになってしまうともはや中央集権的専制国家というような代物ではなく、単なる弱小貴族の割拠した分裂型領邦制国家とでもいうべきものになってしまうであろう。統一的な強力な常備軍の存在も期待出来ず、新たなる騎馬民族の襲来に対しても十分な国防力をもって対処する術がなかったことも理解出来る。

西晋崩壊後の中国の状況

西晋が匈奴の反乱である永嘉の乱で崩壊した後、江南に避難することもせず、異民族支配も拒否した貴族たちは塢堡塁を建設して自衛しながら、大量の自作農を取り込んで部曲として編成していった。部曲は平時には耕作し、戦時には戦うと言う形で貴族との強い身分的従属関係を有しており、逆に国家の兵役からは免除されていた。このような部曲は、ほとんど農奴同然の立場であり、貴族との従属関係を解消して自作農になるためには、放免されるか自ら身請けするかしかなかった。北方における領主経済はこのような部曲を中心に成り立っていたのである。(3)
南方における状況も大同小異であり、貴族化は絶え間なく増大し、自作農は減少するばかりであった。地主経済の衰退は、蔭客制の発展と軌を一にしていたが、この蔭客制とは、農民が貴族に身を投じて「蔭庇」(庇護)を受けることで、国家への納税や徭役負担を免れようとすることを指す。東晋時代の蔭客数は数万人いた官吏の人数から推定すると15万戸程度存在したとされており、総戸数が60万とすれば四分の一以上が蔭客となっていた。このような領主型経済では、農奴と化した農民への封建的搾取は激甚であり、農業の生産水準は先秦時代を下回っていたとされる。(4)

魏晋南北朝時代の中国に蔓延する政治・経済・イデオロギー構造

これらの状況を踏まえて、魏晋南北朝時代の中国封建社会の政治・経済・イデオロギー構造を分析すると、これは既に超安定構造から明確に逸脱した新たな類型が出来あがっていたことが読み取れる。

魏晋南北朝時代に特有の準安定構造

魏晋南北朝に中国に成立していた社会構造としては、「領主荘園経済が政治上の門閥貴族制と適応し、国家の分裂が仏教・老荘・玄学のイデオロギー構造に適応する形態」となるだろう。
このような構造は、ほとんど一体化調節の機能を保持していないか、あるいは一体化調節機能がほとんど微弱な状態に陥っているかのいずれかであり、元々保持されていた一体化調節機能が衰弱から消滅に向かうような時期には、このような新システムが、「地主経済・大一統の官僚政治・儒家の正統」と言った本来の封建社会の在り方に取って代わってしまっていたのであった。(5)

魏晋南北朝時代の準安定構造とヨーロッパや日本の封建社会構造の類似性

このような準安定構造が、いわゆる典型的な封建社会とされるヨーロッパや日本の封建社会構造に類似しているという指摘は確かに当たっていよう。魏晋南北朝時代には、天下領域全体を覆うように存在する統一権力も交通のネットワークも統治組織も破壊され、領主荘園経済の優勢の下で経済的にも商業や都市は振るわず、関所で隔てられた狭い範囲での流通経済が微小ながら運営されているような状態に止まっていた。北周時代には河西回廊地域では、西域の金銀通貨が使用されたにもかかわらず役所がこれを禁止しなかった例にも観られる通り、魏晋南北朝期においては統一的貨幣制度は、破壊されてしまっていたのである。このような情勢下では、土地兼併の問題よりも、人手不足を解消するための人口の争奪が問題になっていた。(6)

魏晋南北朝の混乱状況から超安定構造への復帰の動き

このような超安定構造から観れば、混乱し逸脱したヨーロッパや日本の封建社会並みの群雄割拠的な分裂状態から本来の超安定構造に回帰、移行する流れが芽生えてきたのはなぜであろうか。この要因を探るためには、超安定構造を破壊した撹乱源が克服されているかどうかを知ることが手掛かりになりうるだろう。

魏晋南北朝時代の混乱要因の解消に向けた動き

①「少数民族の中国内地への大量移住」の問題
魏晋南北朝期の300年間に渡る長期の大分裂を経過する中で、「内地へ移住した少数民族」が漢族の文化を幅広く受容し、新たなる漢族を中心とした民族の大融合が実現していった。
②仏教の中国化の促進
仏教の影響は300年に渡る分裂抗争の中で刺激を受け続けることで、儒学が漢代経学の古臭さや現実への適応性の無さを一掃し、徐々に主導権を発揮し始める中で希薄化していった。さらに仏教はこの時期、中国式に改造され仏・道・儒の融合体である禅宗が誕生することで、儒家正統イデオロギーに対して真っ向から撹乱作用を起こす主体では無くなっていった。(7)

北朝による新たな政策の推進

さらにこれに合わせるように準安定構造がより顕著に現れていた南朝ではなく、少数民族の影響をより強く受けてきた北朝により以下のような3つの施策が強力に推進されることにより、「中華帝国大一統」は最終的に再建されることとなった。
①経済構造において均田制を推進して荘園制度を破壊し、身分的従属関係を破壊して、部曲や佃客を解放して自作農とすること
②政治構造においては、門閥貴族の勢力を弱体化し、皇帝と中央政府の絶対的権威を再建し、九品中正制度を廃止して、一体化の実現に資する任官制度を構築すること
③イデオロギー構造においては、儒家が再び正統としての地位を獲得し、広範な知識人が無為・脱俗の消極的態度を改めて積極的に世事に関与することを促し、大一統の組織力となること(8)

魏晋南北朝時代の大一統復活へ向けた歴史的経過

こうした中で、魏晋南北朝時代は以下のような3つの段階を経て最終的には、宗法一体化構造に立ち戻る経過を辿ったのである。
・「第一段階:後漢滅亡から西晋までの一体化調節機能の喪失時期」
・「第二段階:西晋の滅亡後、南北朝に分裂し、さらに北側は十六国の大乱に陥った準安定構造の時期」
・「第三段階:北魏の建国以降半世紀の準安定構造から宗法一体化構造再建への過渡期」(9)
尚、本稿とも関連する中華大一統の本質については、以下のリンクでも詳しく取り扱っております。

中国伝統の支配正統性の根拠である大一統,天下思想,儒家正統の解明!

トランプ大統領の不法移民流入制限の根拠は魏晋南北朝時代の中国の混乱が証明する!

参考文献
(1)金観濤:中国社会の超安定システム 研文出版 1987 第六章 撹乱、衝撃と準安定構造 p173
(2)金観濤:中国社会の超安定システム 研文出版 1987 第六章 撹乱、衝撃と準安定構造 p174
(3)金観濤:中国社会の超安定システム 研文出版 1987 第六章 撹乱、衝撃と準安定構造 p174-p175
(4)金観濤:中国社会の超安定システム 研文出版 1987 第六章 撹乱、衝撃と準安定構造 p175-p176
(5)金観濤:中国社会の超安定システム 研文出版 1987 第六章 撹乱、衝撃と準安定構造 p177
(6)金観濤:中国社会の超安定システム 研文出版 1987 第六章 撹乱、衝撃と準安定構造 p177-p178
(7)金観濤:中国社会の超安定システム 研文出版 1987 第六章 撹乱、衝撃と準安定構造 p179-p180
(8)金観濤:中国社会の超安定システム 研文出版 1987 第六章 撹乱、衝撃と準安定構造 p180
(9)金観濤:中国社会の超安定システム 研文出版 1987 第六章 撹乱、衝撃と準安定構造 p181