鄧小平,中国共産党が天安門事件で示した中華帝国支配原理の解明!

鄧小平による天安門事件での民主化運動の武力弾圧は中国共産党一党独裁体制維持のため必然の帰結である!

天安門事件

天安門事件での民主化デモへの武力弾圧を経ても「安定」した支配を継続する中国共産党の統治原理について検討する。

1.天安門事件に至る道程における「人民日報」の「動乱社説」の政治性
1)「人民日報」に発表された「動乱社説」の主張
2)「動乱社説」において明確にされた中国共産党による統治構造の枠組み
3)中国共産党による政治の核心的原理の表面化
2.「動乱社説」後の天安門事件における「反革命暴乱武力鎮圧」への道程
1)「動乱社説」後も盛り上がる「反体制的」な活動
2)天安門事件に直結する中国共産党政権側の動き
3)中国共産党側の「対話」拒否の姿勢
4)武力鎮圧に直結する「戒厳令」の布告
3.日中で相違する治安維持のための実力行使の方法論
1)日本の安保闘争の鎮圧方針と鄧小平体制の方針の相違
2)中国における政権側の絶対的な統一権力の維持と貫徹への強い志向性
3)中国共産党の本質的性格としての「民衆に依拠しない専制的な」方向性の明確化
4.中華世界大一統維持を最優先する中国共産党
1)「暴徒の物理的排除」を超える中華天下統一維持のための「実力行使」
2)皇帝専制時代から中国共産党一党独裁を通底する「帝国的権力」
5.天安門事件鎮圧における武力行使と中国共産党支配の正統性調達
1)鄧小平体制の天安門事件での武力行使と人民大衆の認識
2)中国共産党の統治方針の個人崇拝的方向性からの転換

1.天安門事件に至る道程における「人民日報」の「動乱社説」の政治性

人民日報,動乱社説

1)「人民日報」に発表された「動乱社説」の主張

天安門広場に市民,学生が集結し、各種の要求を掲げると言う未曽有の緊迫した状況の中で、「人民日報」が、いわゆる「動乱社説」を発表し(1989/4/26)、この中で、「胡耀邦追悼大会終了後に、下心をもったごく少数の者が、共産党の指導と社会制度反対を扇動し、一部の大学で不法組織を結成し、様々な活動やより大きな事件を起こそうとしたが、これは、明らかに計画的な陰謀であり、動乱である。その実質は、中国共産党の指導と社会主義制度を根本から否定することにあり、全党と全国各民族人民の前で行われた重大な政治闘争である」と主張した。(1)

2)「動乱社説」において明確にされた中国共産党による統治構造の枠組み

中国共産党

この「動乱社説」で取り上げられた、「党の指導と社会主義制度」は、中華人民共和国がその建国にあたり、まさに「国是」として選択した基本的な国家の枠組みであり、人民民主主義独裁として規定された。さらにマルクス・レーニン主義の前衛党理論に立脚し、中華世界の独立や統一を確保するナショナリズムの旗手として屹立する中国共産党を中核的存在とし、国家の政治の全てが中国共産党の指導のもとに行われるべきものとされていた。このような体制において、人民は日常生活の場でも全ての活動が、党のもとに組織化され、全ての運動が党の指導のもとに行われることとなり、これは現代に至るまで、現代の中華世界の政治構造の有りようの最も基本的な枠組みとして常に機能している。(2)

3)中国共産党による政治の核心的原理の表面化

中国共産党中央委員会

このように、「動乱社説」は、「中国共産党の指導や関与の範囲外の一切の組織、活動、運動を全て不法組織、体制への挑戦と看做す」と言う中国共産党政権の核心に存在する最も原理的な政治の有りようを、極めて明白に白日のもとに晒すこととなった。また共産党による一党独裁体制とは、どのような政治的な枠組みと政治構造を持つのか、ということを鮮明に映し出したものであったとも言えよう。(3)

2.「動乱社説」後の天安門事件における「反革命暴乱武力鎮圧」への道程

天安門事件222

1)「動乱社説」後も盛り上がる「反体制的」な活動

国家権力の中枢が、「動乱社説」と言う形で、中華人民共和国の在り方と中国共産党の存立基盤を明確に表明したことで、「天安門に集結した学生・知識人」は抜き差しならない立場に追い込まれることになったが、逆に「反体制的な活動」そのものは、五四運動の記念日を挟んで、百万人規模のデモの出現など、一層大規模な盛り上がりを見せる展開となった。

2)天安門事件に直結する中国共産党政権側の動き

天安門事件336

この後の展開のポイントは主として、2点取り上げることが出来るだろう。(4)

・第一は、共産党政権側が、「対話」要求に一切応じようとしなかったこと。
・第二は、実際のところ、学生知識人の「物価抑制、生活向上、官倒反対、民主と法制建設」は、政権のスローガンでもあったが、「治安回復」と「秩序維持」のために、人民を敵に回すことも厭わず「首都戒厳令」の布告に踏み切ったこと、である。

3)中国共産党側の「対話」拒否の姿勢

趙紫陽,対話

第一の政権側が「対話」を一切拒否する姿勢は、まさに「党の指導によらない不法組織を容認しない姿勢を貫いた」ということであり、「全国のあらゆる機関、組織、工場、団体における党の指導を体現する合法組織」の存立基盤を確保し、全国に遍く張り巡らされた共産党一党独裁体制の網の目を綻びさせないための措置であった、と言えよう。

4)武力鎮圧に直結する「戒厳令」の布告

第二の「戒厳令」布告に関しては、中国共産党政権が人民の側を向いているのか、あるいは体制維持を最優先するのかの試金石でもあったし、ここで「戒厳令」を選択することで、中国共産党政権の本質を明らかにするものであった、と言えるだろう。この「戒厳令」布告から「反革命暴乱武力鎮圧」までの距離は、ほんの一歩であった。

3.日中で相違する治安維持のための実力行使の方法論

安保闘争

1)日本の安保闘争の鎮圧方針と鄧小平体制の方針の相違

我が国の安保闘争においては、最終段階まで政権側に動員されたのは警視庁機動隊を中心とする警察権力のみであり、自衛隊による武力鎮圧が結果的になされなかったことは、国家権力の中枢部における日中の相違を象徴する出来事とも言えるのではないだろうか。
結局鄧小平体制は、学生・知識人との開かれた場での対話ではなく、物理的強制力による鎮圧を選択した。中国の歴史を辿ってみると、「国家制度の運用」「制度的手続きを含みこんだ政治過程の進行」というのは、統治権力にとって異質であった。鄧小平は、次のように語って統治権力の一元的掌握の強い決意を表明している。
「彼ら(今回の運動に参加した学生たち)は、憲法の中の民主主義、自由を用いて、われわれと闘争している」(5)「中国で、もしあなた方の三権分立や普通選挙制度を持ちこむならば、中国は必ずや動乱の局面になり、今日はこのデモ、明日はこのデモとなろう」(6)

2)中国における政権側の絶対的な統一権力の維持と貫徹への強い志向性

天安門事件221

中国においては、強固な一元的権力の貫徹が行われないと、潜在するアナーキー的な状況が噴出して大混乱に陥る、という危機感が政治指導者の共通認識であり、実際に統一権力が崩壊すると分裂割拠の有りようとなる、と言うのが歴史的事実でもあった。このような歴史的な経緯もあり、国家権力の側は常に絶対的な統一権力の維持と貫徹を志向してきたと言えようし、鄧小平の権力観もその延長線上にあったことは疑いないと思われる。(7)

3)中国共産党の本質的性格としての「民衆に依拠しない専制的な」方向性の明確化

中国共産党専制支配

中国において整備されてきた「憲法」やその中で規定された自由・民主主義はあくまでも「法の支配」のためのものではなく「法による支配」の正統性を支える存在ということになろうか。(「法制の確立」とは、むろん「法の支配」ではなかった。それは「何よりも法による支配」を意味していた」(8))
このような権力の在り方は、中国の政治風土に根ざしたものであり、「党の指導」の基本的根拠を構成するマルクス・レーニン主義の「前衛党」の意味、役割とは全く無縁のものであることは確かであり、むしろ伝統的かつ前近代的な専制権力の一つの態様を表出していた。(9)
ここに至って、中国共産党の権力中枢はギリギリの段階で、「民衆に依拠しない専制的な」性格を如実に明らかにした、と言えるだろう。

4.中華世界大一統維持を最優先する中国共産党

李世民

1)「暴徒の物理的排除」を超える中華天下統一維持のための「実力行使」

戒厳令布告から武力行使に至る15日間の過程において、一部では地方の人民解放軍部隊のデモ支持というような噂も流れていたが、このような中で軍閥割拠や分裂の可能性の排除は党指導部にとって至上命題であったろう。結局党指導部は予想される広範な人民大衆の批判の矢面に立つことや国際的なボイコットの動きのマイナス面よりも、天安門広場を制圧して国家を統一的に支配貫徹して秩序を維持することを最優先に決断を下した。天安門広場の武力制圧は、単なる「暴徒」の物理的排除ではなく、中華天下の統一維持を貫徹する伝統的専制権力の現れとしての権力の側からする力そのものの示唆であり、抵抗するあらゆる力に対する威嚇であり、非服従者に対する見せしめとなった。(10)

2)皇帝専制時代から中国共産党一党独裁を通底する「帝国的権力」

乾隆帝

六四天安門事件で行使された権力は、まずは「一党独裁権力」であり、「開発独裁権力」の要素も併せ持ち、さらにはそれが「伝統的専制権力」と結合された重層的な権力であったといえよう。(11)
ここで立ち現れることとなった幾つかの権力の実態のうち、「伝統的専制権力」こそは、かつての皇帝専制時代から中国共産党一党独裁時代を一貫して流れる「帝国的な権力」の有りようを白のもとに晒したことになるだろう。中国共産党中枢部は、中華世界大一統維持のために、まさに「快刀乱麻を断つ」一撃に出たのである。

5.天安門事件鎮圧における武力行使と中国共産党支配の正統性調達

鄧小平333

1)鄧小平体制の天安門事件での武力行使と人民大衆の認識

鄧小平体制のこのような武力行使と言う選択が人民大衆の支持を受けるか否かは疑問であった。人民大衆は学生・知識人の自由と民主の要求は支持していないし、三権分立や多数政党主義なども考えてもいないが、中国の政治文化の徳治主義の伝統を踏まえれば武力行使と言う物理的強制力の発動にも批判的であった。天安門に集結した「暴徒」が特に人民大衆の生活を危険に陥れるものと断定出来ない以上、今回のような武力弾圧は体制の側にとっても一定の政治的打撃となったと言えよう。

2)中国共産党の統治方針の個人崇拝的方向性からの転換

江沢民

六四天安門事件後の動向として、毛沢東や鄧小平のような個人カリスマに頼った統治は困難になっており、党が指導の中心とならざるを得なくなってきているが、同時期のソ連・東欧の体制崩壊の影響もあり共産党の支配の正当性も急速に後退しつつあった。このような中で党が国民を指導する正統性の根拠としては、「愛国主義」と「天と自然の理」を社会主義に加える動きが観られた。

 ・「今日の中国においては、愛国主義と社会主義は本質的に統一されています」(12)
・「社会主義は中国の国情に合致し、人民の心から擁護されている。40年の風雨を経て、社会主義は神州の大地に根を下ろし、天を衝く大樹に成長し、葉を茂らせ、生気はつらつとしている」(13)

このように「天の理」「自然の理」が強調されている状況を観れば、中国における社会主義は西欧起源の原型が後景に退き、中国化あるいは中国伝統の徳治主義や「天の思想」が前面に復活しつつあることが窺えよう。

尚、本稿でも取り上げた天安門事件と中国共産党の方針については、以下のリンクでも詳しく取り扱っております。
天安門事件に至る中国の国内状況及び中国共産党一党独裁=鄧小平体制の支持基盤の解明!

天安門事件=体制転覆の危機で表面化した改革開放の象徴としての鄧小平と中国共産党による一党独裁体制の本質!

<参考文献>
(1)人民日報 旗幟鮮明に動乱に反対せよ 1989/4/26
(2)野村浩一:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の権力と伝統 p185-p186
野村浩一:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の権力と伝統 p186-p187
(3)野村浩一:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の権力と伝統 p187
(4)野村浩一:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の権力と伝統 p192
(5)矢吹晋:チャイナクライシス 重要文献 第一巻 蒼蒼社1989 鄧小平講話 1989/4/25
(6)人民日報 1989/6/24 カーター元米大統領との談話
(7)横山宏章:中国の政治危機と伝統的支配 研文出版 1996 第1章 中国の危機とは何か p13
(8)野村浩一:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の権力と伝統 P199
(9)野村浩一:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の権力と伝統 P199
(10)野村浩一:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の権力と伝統 p199
(11)野村浩一:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の権力と伝統 p199-p200
(12)江沢民演説 1989/9/29
(13)人民日報 1989/10/1

天安門事件=体制転覆の危機で表面化した改革開放の象徴としての鄧小平と中国共産党による一党独裁体制の本質!

天安門事件_0

天安門事件という体制の危機に直面して鄧小平自ら側近の胡耀邦、趙紫陽らの「改革開放」のシンボルを葬り去り、体制転覆を武力で阻止した中国共産党のなりふり構わぬ在り方を検討する。

1.天安門事件をどのようにとらえるか?
 1)天安門事件を批判的に再解釈する試み
 2)天安門事件に対する西側民主主義的な視野を離れた論調の存在
 3)中国共産党に対する人民の「圧倒的支持」と強権支配の関連
2.体制の安定のため必要不可欠な強権の発動
 1)支配の正当性に関するマックス・ウェーバーの分析
 2)中国の伝統的な支配類型と近代における一党独裁の近似性
3.中国における統治者と人民の関係性
 1)西欧と中国の支配に関する感覚の相違
 2)中国における人民の存在感の二面性
4.社会主義革命後も継続する中国における「啓蒙専制政治」
 1)易姓革命後も継続される独裁と強権による統治
 2)プロレタリアート前衛の独裁と伝統的啓蒙専制統治の近似性

1.天安門事件をどのようにとらえるか?

天安門事件,戦車出動

1)天安門事件を批判的に再解釈する試み

天安門事件については、西側民主主義的な立場からは当然ながら批判的な言辞が大半であり、中国共産党当局は学生・知識人の最低限の要求も拒否し、あたかも言論の自由にも普遍的人権にも無頓着にしか観えない。
とはいえ、まずは天安門事件当時の情勢を幅広く検討した上で、可能な限り柔軟な視点から事件を再解釈し、中国共産党の実相と今後の統治継続の可能性について考えてみたい。
そうした中から人民共和国を自称する現代中国の「帝国性」の実態を確認していければと思量している。

2)天安門事件に対する西側民主主義的な視野を離れた論調の存在

鄧小平1

天安門事件の直後に現れた論調の中では、「いかなる独裁者であれ、彼を支える社会的な権力基盤がなければ強権を発動しえない。だとすれば中国社会には今なお、鄧小平個人独裁を容認し支える基盤が存在するということを認めなければならない」(1)「現代中国の理解に要求されるのは、現状分析に加えて、長いタイムスパンと広域にわたる視野を取り込んだ、すぐれて平衡感覚に富んだアプローチなのである」(2)というような内容があり単純に西側民主主義の範疇から割り切った視点だけで中国を捉えるべきでないということを示唆していており、批判や非難一色に染まりかねない中では、異彩を放っていた。

3)中国共産党に対する人民の「圧倒的支持」と強権支配の関連

中国共産党1

中国共産党指導部の意思決定過程や行動パターンがどのようなものかを検討するときに、帝国的な伝統に直結するモノ、人民革命以来革新されたもの、改革開放以来伸張されたものなどの要素が重複して存在しているのは間違いないところであろう。
また党指導部も人民大衆から遊離しては成り立たず、圧倒的多数の支持を受けない政権はたとえ共産党と言えども長続きすることはないであろう。

2.体制の安定のため必要不可欠な強権の発動

天安門事件戦車

1)支配の正当性に関するマックス・ウェーバーの分析

天安門事件のような弾圧と混乱を経て政治を安定させるために不可欠なことは、その支配の正当性を人民大衆に納得させることであるが、このあたりについてマックス・ウェーバーにならって類型化すると以下のようになる。

・第一として、人々のふるくからの価値意識を中心に組み立てられる伝統的支配
・第二として、特定の人または集団に他の人にはない能力または資格を認めてこれを絶対化するカリスマ的支配
・第三として、対等な個人を前提に合法的に確立された合法的支配(3)

2)中国の伝統的な支配類型と近代における一党独裁の近似性

中国共産党政治局常務委員

中国においては伝統的に儒教的な徳治主義が行われており、これはウェーバーの類型に従えば、第一と第二の類型が重なり合ったものと言えよう。徳治主義とは、有徳者による政治であり、その有徳者とは、いわゆる聖人君子のことである。有徳者は人々を教育し、啓蒙する権威を持つが、この「有徳者」の権威をそのまま君主の統治原理におきかえると漢代以降の儒教政治となった。(4)
そして、この「有徳者」の権威と君主の統治原理を近現代に焼き直した形で、中華民国における中国国民党一党独裁、さらには中華人民共和国における中国共産党一党独裁体制が、今日まで継続して来ているとも言えるのではないだろうか。

3.中国における統治者と人民の関係性

リバイアサン

1)西欧と中国の支配に関する感覚の相違

西欧の民主主義の発展段階においては、本来平等であるべき人間と人間の関係において、民主主義といえども「人が人を支配する」という耐えがたい事実が存在する中でこれを隠ぺいするために「匿名の国家人格」という概念が提出された。(5)
しかるに、天命思想を伝統に持つ中国においては「人が人を支配=指導する」ということに大きな疑義や抵抗感が提起されることはなかった。(6)このように有徳者の教化と君主の支配は、大きな抵抗を受けることもなく受け入れられ民衆に浸透していった。

2)中国における人民の存在感の二面性

孟子

他方で人民大衆は、天下の人民であり、民の声は人民の声として重んじられてきたが、実態としては政治主体としての資格を与えられず、「知らしむべからず寄らしむべし」というような受け身の存在として取り扱われた。このような民を指導するのが聖人君子ということになった。(7)
人民大衆は日常的には、非政治的に生きて税金と徴用以外は政府に用がない存在であったが、彼らが生活に行き詰ると天命が革まったとして起義(暴動)を起こし、易姓革命を実行した。(8)
確かに、一見したところ政治に関与する資格を喪失しているかのような中華世界の人民が、一たび立ちあがって大規模な叛乱を惹起すると、その勢いは時の王朝権力を一掃する凄まじさを発揮する例は、ほとんどの王朝交替の歴史において枚挙に暇が無いほど、観察されるところであり、万世一系を建前とする我が国の天皇制とは、明確に一線を画している。

4.社会主義革命後も継続する中国における「啓蒙専制政治」

啓蒙専制政治

1)易姓革命後も継続される独裁と強権による統治

易姓革命後には暴動の指導者は、支配体制の中にそのまま吸収され、新たなる啓蒙専制政治を開始した。このように王朝・君主と民衆指導者たちは、中国的独裁と強権政治の発想において思考パターンを共有していた。
社会主義革命後の中国においても、こうした啓蒙専制政治の伝統は、脈々と息づくこととなった。

2)プロレタリアート前衛の独裁と伝統的啓蒙専制統治の近似性

マルクス
マルクス・レーニン主義においては論理上は人民大衆が第一であるが、実際は統治能力を持つ幹部がプロレタリアート前衛の建前の下で指導権を確保し、民主独裁の遂行として人民の敵、階級上の敵に対して独裁を遂行してもよいとされた。(9)また民衆の叡智の結晶としての共産党は、意識の遅れた民衆を指導する義務と権利を有するものとされた。このように社会主義中国においては、伝統的啓蒙専制の有りようが、そのまま社会主義的用語をまとって再生されてきたようにも観受けられる。

尚、本稿で取り上げた天安門事件と中国共産党鄧小平指導部の対応については、以下のリンクでも詳しく取り扱っております。
鄧小平,中国共産党が,なぜ天安門事件で民主化運動を武力弾圧しなければならなかったのかを解明!

<参考文献>
(1)金塚貞文:週刊読書人 読書人 1989/7/3 武力鎮圧後の中国の行方
(2)可児弘明:読売新聞 1989/6/22 近代観念のみでは判断できない国
(3)宇野重昭:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の民主主義 p105
(4)宇野重昭:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の民主主義 p105-p106
(5)H・ケルゼン:デモクラシーの本質と価値
(6)宇野重昭:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の民主主義 p106
(7)宇野重昭:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の民主主義 p107
(8)村田雄二郎:帝国とは何か 岩波書店 1997 中国皇帝と天皇 P120
(9)毛里和子:現代中国 現代中国の政治世界 岩波書店 1989 政治体制の特徴とその改革 P58

天安門事件に至る中国の国内状況及び中国共産党一党独裁=鄧小平体制の支持基盤の解明!

天安門事件、趙紫陽

天安門事件に至るまでに行われた鄧小平指導部の改革やそれに対する国内各層の反応、及び体制の不安定要因等を整理する。

1.中国共産党統治と伝統的な統治体制の相違点
1)中国共産党による人民民主主義革命で何が変化したのか?
2)文革後に鄧小平体制が目指していたもの
2.鄧小平体制による民主化に向けた取り組み
1)文革的混乱を最大限警戒する鄧小平体制
2)鄧小平体制での民主化の一定の成果
3.鄧小平体制による政治改革に対する国内各層の認識
1)長老、特権的幹部、先鋭的知識人からのの鄧小平の政治改革への反発
2)人民大衆=農民の鄧小平改革への認識
4.鄧小平指導部の警戒する体制混乱の要因
1)流民の増大と反対派の知識人の一体化への懸念
2)天安門事件に至る鄧小平指導部の体制の脅威への警戒感
5.天安門事件での武力弾圧に至る条件の確認
1)鄧小平体制で一部容認されていた改革派のスローガン
2)天安門事件に直結する状況の整理

1.中国共産党統治と伝統的な統治体制の相違点

中国共産党1

1)中国共産党による人民民主主義革命で何が変化したのか?

伝統的な支配と本質をほぼ同じくするかに観受けられる中国共産党支配であるが、以下の3点については従来型の体制と趣を異にするところも生じてきている。(1)

・第一に血縁的原理を退け、才能による指導を基本とする発想が生じた。有力者の血縁と言うだけではカリスマ性が生じず、原理的には学歴・能力・指導力が優先する形となった
・第二に指導者は人民大衆から学ばなければならないという発想が生じた。このような人民大衆重視の姿勢はあくまでも啓蒙専制の枠内のことではあるが、伝統的専制の考え方からするとからすると画期的であり、人民大衆に刺激を与え、政治参加を促し、基層幹部層を厚くすることに役立った。
・第三にカリスマ的な権威の所在を個人から共産党組織に移す努力が行われたが、プロレタリア独裁が本来個人ではなく共産党組織によっておこなわれるはずであったので当然の行き方ではあったが、これは結局は上手くいかなかった。 結局は「毛沢東思想」という個人のカリスマ性に立脚するイデオロギーを組織としての党の権威の上に置くことを余儀なくされ、大躍進から文化大革命に至る混乱の過程で毛沢東自身の権威も共産党の権威も打撃を与えられることとなった。

2)文革後に鄧小平体制が目指していたもの

鄧小平,大平正芳

そうした中で、改革開放後の鄧小平主導体制下においては、文化大革命後の混乱を収拾するためにも民主と法制の整備が急務となった。このため党はまず選挙の意味を浸透させ、人民大衆の政治参加の実績を積み重ねようとした。また法制の意義についても人民に判り易く説明し、対等の人間同士の関係を合意に基づいて律する法体系を整備していこうとした。(2)
このように、鄧小平体制は、慎重な歩みながら、経済面の改革開放だけでなく、政治面の民主化に関しても取り組みを開始しつつあったことは、注目すべきであろう。

2.鄧小平体制による民主化に向けた取り組み

鄧小平,趙紫陽,胡耀邦

1)文革的混乱を最大限警戒する鄧小平体制

こうした状況を推進するために鄧小平体制においては、慎重に民主と法制漸進の課題に取り組むこととした。これは文革直後ということもあり、タガが外れた場合の人民大衆の暴動や革命起義を恐れる指導者が多かったことにも由来する。(3)
鄧小平本人を始めとして、文革=人民大衆のエネルギーの恐ろしさも身を持って、肌で感じた指導者も多く、民主の行き過ぎによる混乱には人一倍警戒心が強かったことも間違いないところであった。
鄧小平体制の基本的スタンスは伝統的啓蒙の要素を含んだ「指導民主主義」であり、鄧小平はあくまでも政治制度の改革ではなく、指導制度の改革を提起した。文革で傷ついた党の権威を回復し、これを個人のカリスマの的権威の上に置くことを目指した。西側の政治スタイルである三権分立については、混乱を生じ、党の信用が失墜し、安定と団結を損なうものとして排除された。(4)

2)鄧小平体制での民主化の一定の成果

八大元老

結局、鄧小平指導下における政治面の改革は、西側先進諸国の民主主義をモデルにするわけではなく、あくまでも中華世界の現実に合わせた特有の制度を構築する形を取らざるを得なかった。
このような鄧小平体制の指導民主主義に基づく改革において、党主席制度が廃止され、1982年憲法においては「組織や個人が憲法や法律を超える特権を持つことを否定」され、幹部の若年化、専門化がはかられ、老幹部の引退が促進されるなどの漸進的な成果が観られた。(5)

3.鄧小平体制による政治改革に対する国内各層の認識

八大元老2

1)長老、特権的幹部、先鋭的知識人からのの鄧小平の政治改革への反発

このような六四天安門事件前後に至る鄧小平指導下の政治改革は、必ずしも多くの人民大衆の支持を受けることが出来なかった。
改革によって被害を被る長老や特権的幹部の抵抗は激しかったし、他方で積極的な改革を望む人々は鄧小平の指導民主主義スタイルや「ブルジョア自由化反対」の態度に反発していた。

2)人民大衆=農民の鄧小平改革への認識

中国農民

そうした中で人民大衆特に農民は鄧小平改革をどのようにとらえていたのであろうか。
基本的な状況としては、農民は押し並べて共産党員や幹部を昔ほど信用してはいないし幹部の不正を疑う人も多いが、幹部や共産党員が彼らの基準からして「良い人」である限り比較的従順にその指導に従っていたと言えよう。また党員の側でも農民の集団主義や愛郷心を利用してその影響力の浸透を図っており、このような状況下においては正常な生活を営んでいる農民の間からは現在の指導体制に対する批判も起きてこない半面、鄧小平の政治改革に対しても関心のが低いのが実態である。縁者びいきなども農民にとっては当たり前であり、農民の願いは現体制による秩序と安定であって急激な変化を望んでいるわけではない。この段階において農民大衆は人口の90%に達しており、その動向は政権に深い影響を与えたし中央の指導民主主義体制を支えていた。(6)
このように中国共産党やその幹部に対する農民層の支持は、積極的とは言えない状況になっていたが、農民層の政治的な願いが、あくまでも「急激な民主化や大胆な政治改革」とは無縁の「現状の維持と秩序の安定」であった以上は、農民層にとって「現体制の中核である鄧小平指導部への支持」は、実質的な強固なものであった、と言えるだろう。

4.鄧小平指導部の警戒する体制混乱の要因

流民

1)流民の増大と反対派の知識人の一体化への懸念

問題は増大しつつある流民であり、彼らは急速な経済改革の進展と局部的な挫折と混乱の中で揺れ動いていた。その数は1989年当時5000万以上と言われ、大半が不安定な状況に置かれ、一部(数百万人)は反権力的な「暴徒予備軍」の状況にあり中央の指導部が重大な警戒心をいだいていた。こうした中では、鄧小平体制から見れば、方励之のような人物の反対意見や多元的流派の存在を認めるべきとの要求は危険なものと映った。これは西側民主主義制度の導入要求であり、同様な改革を求める都市知識人や学生を煽り、指導民主主義の否定から中国伝統の政治スタイルを覆すところまで至る、というのが党中央の判断であった。また方励之の言動に触発され都市流民の反権力衝動や暴徒的エネルギーが点火されれば、軍隊や警察の物理的強制力使用が必要になりかねないとの危機感もあった。(7)

2)天安門事件に至る鄧小平指導部の体制の脅威への警戒感

劉暁波

天安門事件直前の段階での鄧小平体制にとっての脅威は、数百万人の不安定な状況に置かれた都市流民と西側民主主義を直接導入することを主張する方励之らの知識階級であり、この両者が連動して大規模な暴動が発生した場合には、軍・警察を動員してでも、現体制を維持すると言う必要性が認識されていた、と言えよう。

5.天安門事件での武力弾圧に至る条件の確認

胡耀邦,胡錦涛

1)鄧小平体制で一部容認されていた改革派のスローガン

一方で当初の段階では、鄧小平体制にとって天安門に集結した学生・知識人の「言論の自由と官倒反対」という要求はどうしても受け入れられないものであったわけでもないと想定される。なぜなら、党や政府の指導部も公式には条件付きで「言論の自由」や「官倒反対」を認めている立場であったからである。

2)天安門事件に直結する状況の整理

胡耀邦,趙紫陽

とはいえ、「天安門に集結した学生・知識人」の「言論の自由と官倒反対の要求」の帰結が、党や政府の権威を失墜させ党の全国に対する道義的な統制力を危うくするわけにはいかなかった。また少なくとも党の最大支持基盤である農民大衆は党指導部が学生・知識人の要求に歩み寄るような動きを支持しているわけでもなかった。(8)
こうして天安門事件に至る伏線が徐々に形作られていくことになった。

鄧小平による天安門事件での民主化運動の武力弾圧は中国共産党一党独裁体制維持のため必然の帰結である!

天安門事件=体制転覆の危機で表面化した改革開放の象徴としての鄧小平と中国共産党による一党独裁体制の本質!

<参考文献>
(1)宇野重昭:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の民主主義 P107
(2)宇野重昭:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の民主主義 p110-p111
(3)宇野重昭:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の民主主義 p111
(4)宇野重昭:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の民主主義 p111
(5)宇野重昭:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の民主主義 p112
(6)宇野重昭:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の民主主義 p113-p114
(7)宇野重昭:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の民主主義 P114
(8)宇野重昭:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の民主主義 p115