⭕️天安門事件で鄧小平が改革開放路線を切り体制死守に走った論理!

2023年6月10日

天安門事件という体制の危機に直面して鄧小平は、自ら側近中の側近である胡耀邦、趙紫陽と言う「改革開放」のシンボルを葬り去り、文革を毛嫌いする保守派長老の陳雲らと連携して体制転覆を武力で阻止することとなった。これは当に天安門事件で鄧小平が体制死守の論理という観点から、なりふり構わぬ体制存続に向けて、改革開放路線を後退させたわけであるが、ここではその在り方を検討する。

天安門事件をどのようにとらえるか?

天安門事件を批判的に再解釈する試み

天安門事件については、西側民主主義的な立場からは当然ながら批判的な言辞が大半であり、中国共産党当局は学生・知識人の最低限の要求も拒否し、あたかも言論の自由にも普遍的人権にも無頓着にしか観えない。
とはいえ、まずは天安門事件当時の情勢を幅広く検討した上で、可能な限り柔軟な視点から事件を再解釈し、中国共産党の実相と今後の統治継続の可能性について考えてみたい。
そうした中から人民共和国を自称する現代中国の「帝国性」の実態を確認していければと思量している。

天安門事件に対する西側民主主義的な視野を離れた論調の存在

天安門事件の直後に現れた論調の中では、「いかなる独裁者であれ、彼を支える社会的な権力基盤がなければ強権を発動しえない。だとすれば中国社会には今なお、鄧小平個人独裁を容認し支える基盤が存在するということを認めなければならない」(1)「現代中国の理解に要求されるのは、現状分析に加えて、長いタイムスパンと広域にわたる視野を取り込んだ、すぐれて平衡感覚に富んだアプローチなのである」(2)というような内容があり単純に西側民主主義の範疇から割り切った視点だけで中国を捉えるべきでないということを示唆していており、批判や非難一色に染まりかねない中では、異彩を放っていた。

中国共産党に対する人民の「圧倒的支持」と強権支配の関連

中国共産党指導部の意思決定過程や行動パターンがどのようなものかを検討するときに、帝国的な伝統に直結するモノ、人民革命以来革新されたもの、改革開放以来伸張されたものなどの要素が重複して存在しているのは間違いないところであろう。
また党指導部も人民大衆から遊離しては成り立たず、圧倒的多数の支持を受けない政権はたとえ共産党と言えども長続きすることはないであろう。

体制の安定のため必要不可欠な強権の発動

支配の正当性に関するマックス・ウェーバーの分析

天安門事件のような弾圧と混乱を経て政治を安定させるために不可欠なことは、その支配の正当性を人民大衆に納得させることであるが、このあたりについてマックス・ウェーバーにならって類型化すると以下のようになる。

・第一として、人々のふるくからの価値意識を中心に組み立てられる伝統的支配
・第二として、特定の人または集団に他の人にはない能力または資格を認めてこれを絶対化するカリスマ的支配
・第三として、対等な個人を前提に合法的に確立された合法的支配(3)

中国の伝統的な支配類型と近代における一党独裁の近似性

中国においては伝統的に儒教的な徳治主義が行われており、これはウェーバーの類型に従えば、第一と第二の類型が重なり合ったものと言えよう。徳治主義とは、有徳者による政治であり、その有徳者とは、いわゆる聖人君子のことである。有徳者は人々を教育し、啓蒙する権威を持つが、この「有徳者」の権威をそのまま君主の統治原理におきかえると漢代以降の儒教政治となった。(4)
そして、この「有徳者」の権威と君主の統治原理を近現代に焼き直した形で、中華民国における中国国民党一党独裁、さらには中華人民共和国における中国共産党一党独裁体制が、今日まで継続して来ているとも言えるのではないだろうか。

中国における統治者と人民の関係性

西欧と中国の支配に関する感覚の相違

西欧の民主主義の発展段階においては、本来平等であるべき人間と人間の関係において、民主主義といえども「人が人を支配する」という耐えがたい事実が存在する中でこれを隠ぺいするために「匿名の国家人格」という概念が提出された。(5)
しかるに、天命思想を伝統に持つ中国においては「人が人を支配=指導する」ということに大きな疑義や抵抗感が提起されることはなかった。(6)このように有徳者の教化と君主の支配は、大きな抵抗を受けることもなく受け入れられ民衆に浸透していった。

中国における人民の存在感の二面性

他方で人民大衆は、天下の人民であり、民の声は人民の声として重んじられてきたが、実態としては政治主体としての資格を与えられず、「知らしむべからず寄らしむべし」というような受け身の存在として取り扱われた。このような民を指導するのが聖人君子ということになった。(7)
人民大衆は日常的には、非政治的に生きて税金と徴用以外は政府に用がない存在であったが、彼らが生活に行き詰ると天命が革まったとして起義(暴動)を起こし、易姓革命を実行した。(8)
確かに、一見したところ政治に関与する資格を喪失しているかのような中華世界の人民が、一たび立ちあがって大規模な叛乱を惹起すると、その勢いは時の王朝権力を一掃する凄まじさを発揮する例は、ほとんどの王朝交替の歴史において枚挙に暇が無いほど、観察されるところであり、万世一系を建前とする我が国の天皇制とは、明確に一線を画している。

社会主義革命後も継続する中国における「啓蒙専制政治」

易姓革命後も継続される独裁と強権による統治

易姓革命後には暴動の指導者は、支配体制の中にそのまま吸収され、新たなる啓蒙専制政治を開始した。このように王朝・君主と民衆指導者たちは、中国的独裁と強権政治の発想において思考パターンを共有していた。
社会主義革命後の中国においても、こうした啓蒙専制政治の伝統は、脈々と息づくこととなった。

プロレタリアート前衛の独裁と伝統的啓蒙専制統治の近似性

マルクス・レーニン主義においては論理上は人民大衆が第一であるが、実際は統治能力を持つ幹部がプロレタリアート前衛の建前の下で指導権を確保し、民主独裁の遂行として人民の敵、階級上の敵に対して独裁を遂行してもよいとされた。(9)また民衆の叡智の結晶としての共産党は、意識の遅れた民衆を指導する義務と権利を有するものとされた。このように社会主義中国においては、伝統的啓蒙専制の有りようが、そのまま社会主義的用語をまとって再生されてきたようにも観受けられる。

尚、本稿で取り上げた天安門事件と中国共産党鄧小平指導部の対応については、以下のリンクでも詳しく取り扱っております。
鄧小平,中国共産党が,なぜ天安門事件で民主化運動を武力弾圧しなければならなかったのかを解明!

<参考文献>
(1)金塚貞文:週刊読書人 読書人 1989/7/3 武力鎮圧後の中国の行方
(2)可児弘明:読売新聞 1989/6/22 近代観念のみでは判断できない国
(3)宇野重昭:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の民主主義 p105
(4)宇野重昭:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の民主主義 p105-p106
(5)H・ケルゼン:デモクラシーの本質と価値
(6)宇野重昭:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の民主主義 p106
(7)宇野重昭:現代中国 民主化運動と中国社会主義 岩波書店 1990 中国の民主主義 p107
(8)村田雄二郎:帝国とは何か 岩波書店 1997 中国皇帝と天皇 P120
(9)毛里和子:現代中国 現代中国の政治世界 岩波書店 1989 政治体制の特徴とその改革 P58