⭕️皇帝支配を支えた天命思想の中華天下再建と共産党支配への影響!

2023年6月10日

始皇帝による天下大一統・皇帝支配の確立以来盤石を誇った?!中華帝国は西欧列強の圧力の下で遂に天命を失い、辛亥革命の影響もあり崩れ去りましたが、今や鄧小平のような慎重さをかなぐり捨て、内外で中国のパワーを誇示するような活動を繰り広げつつある習近平は新時代の皇帝として、かつて董仲舒が成し遂げたように中華の価値を体系化総合化した上で普遍的な世界観として提起出来るのでしょうか?
私もつい最近までは、一帯一路や新型コロナ関連での国際支援・連帯に向けた一定のリーダーシップなどで、世界の中華化などの流れも見え始めたかと注目はしていましたが、少なくとも2020年の5月6月で急激に変化した香港の人権状況や国家安全法制定に向けた習近平及び中国共産党政治局常務委員会の強硬姿勢を見せつけられた上は、習近平とその指導部に董仲舒が成し遂げたような中華価値の体系化や天下大一統に向けた普遍化を成し遂げようとする意欲も能力もないことが露呈した、との認識を強めており、中華帝国の真の再生に向けては中国指導部の脱皮と新たな展望の開拓を待つ必要がありそうな気がしてきた今日この頃です。
少なくとも習近平指導部には清朝の極盛性期に中華天下を大幅に拡大したような世界観も、前漢・武帝の時代に天下大一統の理論的な根拠を提示した董仲舒のようなコペルニクス的な世界観の転換をもたらすパワーも欠落しているのかもしれません・・・

中外一体,華夷一家,大一統を雍正帝の大義覚迷録で検証!

近代化の圧力に晒される大清帝国

日中関係の文化的形勢逆転の衝撃

近代に入って西欧列強のアジアへの進出が進行する中で、安定した統治を誇ってきた中華帝国も西欧列強の圧力にさらされ始めた。
そうした中で、日中の関係は、日本の明治維新の成功により、文化的な形勢が逆転しはじめ、中華帝国にとって、日本と言う、半ば格下の弟子のような存在と位置づけてきた小国に日清戦争により敗退したことは、歴史的な衝撃波となって、何らかの変革の必要性に迫られることとなった。
特に日本の明治天皇が天命思想とは無縁の近代的立憲君主制の下で国家を統治し、遂に列強の一角である大国ロシアとの大戦争に勝利して、国家的な基盤をより強化するに至った。

清朝への日本の近代的立憲君主制の影響

この段階において、清朝としては、天命思想を欠いた日本の近代立憲君主制に習うことを選択せざるを得ない状況に陥っていた、と言えるであろう。
この間の動きを主たる年号で追うと、以下のようになる。
・1901年に義和団事件の講和として辛丑条約が成立したが、これにより、亡国的な状況への危機感が一層強まった。
・1906年に戴沢が訪日して伊藤博文と面会し、官制改革や憲政施行に向けた動きを準備した。
・1908年に憲法大綱、上事論が公布され、君上大権や臣民の権利義務が規定された。この内容は、大日本帝国憲法を踏襲しており、特に「君上大権」の条文は、ほとんど帝国憲法第一章「天皇」の内容が、そのまま採用されている状況であった。(1)
この時、清朝は日本の大日本帝国憲法をほぼ踏襲する形で、中華帝国皇帝の位置付けを憲法上に規定することで、遂に始皇帝以来の統治体制を放棄し、天命思想を捨て去り、皇帝は聖なる存在としての天子の地位を喪失し、「地上の統治者たる皇帝」にその地位と立場を限定する存在となったのである。

中華伝統の天命思想の放棄=君権に対する憲法の優位の明記

この憲法は、立憲主義による君権強化を目指しており、皇帝の権力と権威を立憲政治で回復することが目指されていたが、立憲主義は君権に対する憲法の優位を明記しており、ここに皇帝の権威の大転換、天との関係の断絶、天子としての存在意義の喪失が明らかになった。君権が天の超越性の支えを失い「ネーション化」したことで帝国の権威を象徴する皇帝の政治的身体が国民共同体の象徴に横滑りしたものであり、中華伝統の天命思想が非常に静かな形ではあるが明確に、1908年の時点で放棄されたと言えよう。(2)

天命を喪失した皇帝と中華帝国の末路

皇帝が天命を喪失した直後に発生した辛亥革命

天命を喪失した皇帝は、立憲主義の建前の下に皇帝としての権力と権威を失地回復しようとしていたが、天との関係の断絶、天子としての存在意義の喪失ということの意味は、中華帝国の存続にも影響を与えるような静かなインパクトを有していたと言えよう。こののち、形式上の中華帝国は1911年の辛亥革命による清朝の崩壊で、一旦その幕を閉じることとなるのである。
この後、1911年の武昌起義の直後に立憲確約の「重要信条」が出され君権と憲法との関係が明示された。これにより皇帝の権限は憲法に規定する内容に限定されることが確定し、君権の憲法による制約が一層明確化し、皇帝機関説とでもいうべき法体系が現出した。このような天の原理的超越性の衰弱や喪失でネーション化した君権は、この直後に辛亥革命で倒壊し中華民国が成立することとなった。(3)

皇帝権の世俗化完了の意義と中国統治体制の選択肢拡大

確かにこのような皇帝の権威の由来の天との断絶や皇帝の権限や君権の基礎が憲法にあることが、明確化してしまうと中華帝国の最高権力者が皇帝である必要はなくなり、憲法の規定する何らかの地位を持った存在が皇帝に取って代わりうることが明確に示される形勢となっていったと言えようか。そういう意味でも、1908年の皇帝権力の世俗化の影響は、中華帝国の世俗化、統治体制の選択肢の拡大を図らずも準備していたと言うことになるのではないだろうか。

辛亥革命の成功の要因

こうしてみると辛亥革命成功の基礎的要因の一つに君権、皇帝権の源泉が天から憲法に世俗化、ネーション化を完了していたことが挙げられることになるだろう。これは謂わば、天命思想、天下主義の国民主義化が、清朝の側からも準備されていたことを表すとも言えよう。(4)
このように誰でも、「憲法上の規定により、国家を統治出来ると言う新たな原則を示し、天命思想の放棄や皇帝権力の世俗化を宣言した」ことのインパクトは、中華帝国の近代化にとって非常に大きな意義を持つ、始皇帝の中華大一統達成にも匹敵する画期的な出来事であったと言えようか。

「天命思想」「天下主義」を喪失した近代中国のアイデンティティ確立の行方

毛沢東、鄧小平亡き後の状況

いずれにせよ、政治・文化において辛亥革命前後において「天命思想」「天下主義」と言った「聖なる中心」を近代中国が喪失した中で、「冷戦解体後」に孤高の共産主義国家としての立場を保ちつつも、真に安定した国民的アイデンティティの所在ははっきりしているようには観えない。毛沢東の権威や歴史的存在は大きかったが、その後の中国で毛沢東に比肩しうる権威を誇った鄧小平亡き後、中国はかつてのような確固とした「天命思想」や「天下主義」のような規範・信条を欠くなかで、どのように国家の安定を図っていくのであろうか。(5)
天命思想や天下主義を、その支配の根幹として、確立していた中華帝国であったが、天命思想を放棄し、天下主義が列強の圧迫の下で相対化してしまった今日、中華のアイデンティティがどこにあるのかは、明確になっていない。このことは、亡国に直結しかねない混乱状況や国家建設の要請の下で、容易に自らを省みる余裕の無かった毛沢東時代や鄧小平時代であれば、人々の胸に去来することも少なかったであろうが、習近平時代の今日においては、容易に中華世界を混乱させかねない要因として、燻っているのではなかろうか。

新時代の董仲舒出現への期待

儒教が中華の中核となるイデオロギーとして復活するためには董仲舒(天人合一を政治理論化し、儒教独尊=国教化を確立)のような新たな大成者の出現が必要であろう。(6)
中華の中核としてのイデオロギーの確立は急務であると言えるが、その可能性の一端を担う儒教にしても、現状のままではまだまだ厳しいものがあり、習近平の目指す中華価値の世界標準化をモノとカネの世界だけでなく真に実現するためには、かつての武帝時代の董仲舒並みの現代中国にもマッチした思想体系の総合化を行える理論家の出現が待たれるところである。

尚、本稿の中心課題である中華帝国の成立ちや原理に関しては、以下のリンクでも詳しく取り扱っております。
中国伝統の支配正統性の根拠である大一統,天下思想,儒家正統の解明!

参考文献
(1)村田雄二郎:帝国とは何か 岩波書店 1997 中国皇帝と天皇 p123-p124
(2)村田雄二郎:帝国とは何か 岩波書店 1997 中国皇帝と天皇 p124-p125
(3)村田雄二郎:帝国とは何か 岩波書店 1997 中国皇帝と天皇 p125
(4)村田雄二郎:帝国とは何か 岩波書店 1997 中国皇帝と天皇 p125
(5)村田雄二郎:帝国とは何か 岩波書店 1997 中国皇帝と天皇 p131
(6)村田雄二郎:帝国とは何か 岩波書店 1997 中国皇帝と天皇 p131